第四章:夜の静寂、翅に宿る影

放課後の教室は、昼間の喧騒が嘘みたいに静かだった。

生徒たちはそれぞれの部活へ、あるいは友達と連れ立って昇降口へと消えていく。

日直だった俺は、黒板を拭き終え、教卓の上のプリントをまとめていた。



「○○くん、今日もおつかれさまー!」



後ろから聞きなれた明るい声。ロミアだ。

相変わらず元気な声色だけど、その教室にはもう誰もいない。

誰も見ていないとわかると、ロミアはしばらく静かに俺の横に立っていた。


「ねえ、○○くん。ロミア、今日も面白かった?」


俺は教卓にプリントを置き、ちらっとだけ横目でロミアを見る。

いつもなら「うるさい」とか「静かにしてろ」と言うところだけど、このときは、なぜか言葉が出てこなかった。



ロミアは無言で窓際へ歩き、空いた机に腰を下ろす。

夕日が差し込む教室で、彼女のミントグリーンのサイドテールが淡く光る。

けど、今のロミアの背中は妙に小さく見えた。


俺は帰ろうとしたが、ふとした違和感に足を止めた。

ロミアはじっと、手元のリボンをいじっている。

あれほどキラキラしていたはずの瞳も、今はただ空虚なガラス玉みたいだった。


「……どうしたんだよ」


無意識に口をついた。

ロミアはハッとしたように顔を上げる。

でも、その表情には“ロミア”のいつもの明るさがない。

ただ、静かに俺のことを見つめていた。



「ロミア、今日、ちょっとだけ疲れたかも。……本当は、こんな明るいふり、疲れるんだ」



珍しく素直な声。

サイドテールのリボンを指先でくるくる回しながら、誰にも見られていない教室で、ロミアは演じることをやめていた。


「別に無理しなくていいだろ」


「え……?」


「誰も見てないし、そんなに元気出さなくても、いいんじゃねーの」


ロミアは一瞬ぽかんとしたあと、ふっと無表情に戻った。

その無表情のまま、しばらく黙っていた。


「……そっか。でも、ロミアが元気じゃないと、みんなつまらなそうなんだもん」


「そんなのお前が決めなくていいと思うけど」


「○○くんだけは、いつもロミアのこと冷たく見るから、ちょっとだけ本音を言いたくなっちゃうの」


その言葉は妙にリアルだった。

窓の外では運動部の掛け声が聞こえてくる。校庭のほうから笑い声も混じってくる。


「……ロミア、本当はどっちなんだよ」


そう聞くと、ロミアはゆっくり立ち上がった。

リボンを両手でぎゅっと握りしめ、俺のほうに背を向けて呟く。


「どっちって?」


「みんなの前で騒いでるお前と、今みたいに静かなのお前と」


ロミアは振り返らない。そのまま窓の外をじっと見ていた。



「どっちも。……でもね、誰も見てないと、ロミアは何していいかわかんなくなるの」



しばらく沈黙が落ちる。

俺はただその背中を見つめていた。


やがてロミアがこちらに向き直る。

その顔にはもう、あの「陽キャロミア」が戻っていた。

いつものように大げさな笑顔をつくって、両手をぶんぶん振る。


「なーんて、冗談!○○くん、今日も冷たいなぁ。ロミア、もっと見てほしいのにー!」


一瞬の「空っぽ」を見た俺は、その演技の切り替えにぞくりとした。



“やっぱり、この子は無理してる”



そう思ったとき、ロミアは近寄ってきて、また俺の袖を掴む。


「明日はもっと楽しくなるから、○○くん、ちゃんとロミアのこと見ててね!

 がんばっちゃうから!」


その言葉と笑顔は、教室に二人きりなのにやけに大きく響いた。


「……無理すんな」


そう呟くと、ロミアは「えへへ」と笑った。けどその声も、少しだけ震えていた。



教室を出るとき、俺はそっと振り返った。

窓辺に残るロミアは、また静かにリボンをいじっていた。

サイドテールの蝶の飾りは、あの子の“鎧”みたいだった。



そして俺はこの日から、ロミアの“空っぽ”を見るたびに、その正体を知りたくなった。

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