第一章:執着の蔓、ミント色に絡む
春は、気づくといつも終わりかけている。
高校の入学式なんて、正直どうでもよかった。
俺は制服の肩を直しながら、ざわざわする新しいクラスの空気に身を沈めていた。
桜はもう散って、校門の横で掃除をしている先生が、うっとうしそうに花びらを集めている。
教室には、親に付き添われた生徒や、自己紹介のことで緊張しているやつらが集まっていた。
そのとき、廊下の向こうから“あの声”が響いた。
「やったー!ロミアのクラス、○○くんと一緒だーっ!」
瞬間、教室の空気が一度止まる。
次いで、小爆発のような明るさが巻き起こる。
ミントグリーンの髪を高い位置で跳ねさせた女が、まっすぐこっちへ走ってきた。
リボンには蝶の飾りが揺れている。俺のことをロックオンした視線は、もう何も見ていなかった。
「ねえねえ、見て見てー!ロミア、今日もサイドテールかわいく決まってるでしょ?
○○くん、ちゃんと見てくれたー?」
教室の壁を跳ね返るようなテンション。
周囲の新入生たちは戸惑い、けれど無理やり笑顔を作って拍手したり、口々に「ロミアちゃんだ」「本物だ」と噂し始める。
あの“陽キャのロミア”が同じクラスにいるという事実だけで、教室の空気は急激に明るくなる。
「○○くん!聞こえてるー!?ロミア、今日からこのクラスで一番目立っちゃうから!えへへー!」
腕を思いきり伸ばして、袖をぐいっと引っ張ってくる。まわりはニヤニヤしたり、興味深そうにこっちを見る。
でも、俺は──
「……ああ」
とだけ返した。
俺がロミアに冷たくするのには、理由があった。
幼稚園の頃、あの子の笑顔が本物じゃなくて、ただの演技だって気づいた瞬間、なんか怖くなったからだ。
自分の家も冷たくて、感情を表に出さない環境で育ったから、他人の『偽り』に敏感になってたのかもしれない。
だから、最初はロミアのあざといアピールを無視して、距離を取ろうとした。
でも、それが逆にロミアを引きつけることになることは、予想外だった。
ロミアは明らかに一瞬きょとんとした。だけど、すぐに演技を切り替える。
「えー!なんでそんなに無反応なのぉ?ロミア、めっちゃかわいいのにー!」
「ねぇねぇ、無視するなんてひどくない?ロミア、悲しくて死んじゃうかも……」
わざと大袈裟にしなを張り、俺の前で両手をぶらぶらさせる。
袖をまた引っ張り、今度は「お願い、お願い!」と子供みたいに懇願してみせる。
しかし、俺の態度は変わらない。
「静かにしろ、始まるぞ」
ホームルームが始まるチャイムが鳴る。
先生が教卓に立つ。
「騒がないでくださいね」と笑顔で言う。
その瞬間だけ、ロミアは少しだけおとなしくなる。けど、瞳の奥は全然諦めていない。
~~~
休み時間になると、再びロミアは俺の机に直行した。
「○○くん、さっきの冷たい態度、ほんとにヒドイって思いまーす!
ロミア、今日から特別な存在になりたいから、いっぱい見て、褒めて、優しくしてほしいなっ♡」
周囲も慣れたように「ロミアちゃん、ほんと元気だよね」「すごい、ずっとテンション高い!」と持ち上げてくれる。ロミアも「そうかなー?えへへ!」と笑って受け流す。
「授業始まるから」
ぶっきらぼうに答えるたび、ロミアの瞳はほんの一瞬だけ曇る。
けれど、すぐにまたキラキラとした光をまとって、「ロミアは負けないもん!」と小さく呟いている。
~~~
昼休み、教室の窓際で飯を食っていると、またロミアがやってきた。
「○○くん、となり座ってもいーい?」
「好きにしろよ」
「……ふふっ、やっぱり○○くんって、ロミアがどんなに可愛くしても無反応だよね!
他のみんなはロミアのこと好きって言ってくれるのに、○○くんだけ、ぜーんぜん動じない!」
ロミアは俺のサンドイッチを勝手に覗き込んだり、リボンを自慢したり、ひたすら俺の視界を占領しようと必死だ。
周囲から「ロミアちゃん、かわいいのにー」なんて冷やかす声も聞こえる。
でも俺は、黙って食べ続ける。
ロミアの笑顔は一見変わらない。
だけど、たまにちらっとだけ、俺の顔をじっと観察している。
俺がどこまで無反応でいるか、どこで笑うか、どこで呆れるか──全部、隅々まで測っている。
そして、そのたびにほんの一瞬、サイドテールの蝶の飾りが揺れるたび、あの幼稚園の時と同じ“何か”を見ている気がした。
~~~
放課後、昇降口に向かう途中、またロミアが隣にやってくる。
正直、最初はロミアのあざとい仕草がうざくて仕方なかった。
袖を引っ張られるたび、ため息が出そうになる。
でも、何度もそんなことを繰り返されるうちに、ふと気づいたんだ。
あの笑顔の裏に、必死で隠してる何かがあるんじゃないかって。
幼稚園の頃の記憶がよみがえってきて、俺は少しずつ、ロミアの視線を避けられなくなっていった。
「○○くん、今日も一緒に帰るでしょ?ロミア、さみしいもん!」
「一人で帰れよ」
「ええー!?そんなのやだよぉ……ロミア、今日から毎日、○○くんと帰りたいのに!」
大げさに嘆いて、腕を抱きつくように絡めてくる。廊下の向こうから生徒が見ているのも気にしない。
「みんな、ロミアのこと見てるね!……でも、○○くんが一番、ロミアのこと見てくれなきゃ意味ないの!」
その言葉に、俺はふと足を止めた。
「……ロミア、お前、他のやつにそう言われるとどう思う?」
ロミアはぱちくりと瞬きをしたあと、にこっと笑う。
「えへへっ、それだけでロミア、頑張れちゃうよ!」
明るい声。でも、その実、俺しか見ていない視線。
この日から、ロミアは──
俺だけには絶対に演技を通さないと決めたみたいだった。
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