第2話 お年玉を止めろ!

 ――目が覚めたら、

 わたしは、

 二〇一六年の。

 十年前の一月一日、の、我が家にいた。


「そんなバカな」

 思わず声に出してつぶやく。


 でも目の前には、子どもの姿のわたし。

 そして、二〇一六年と書かれた、一月のカレンダー。


 子どもの「わたし」は、ベッド上で呆然としているわたしに気づくことなく、部屋から走り出ていった。


 わたしは考える。

 これは――

 あれか。

 いわゆる、タイムスリップってやつ?

 テレビやマンガでは見たことあるけど。

 まさかそんなことが、現実に起こるなんて。


 もう一度、壁のカレンダーを見る。

 二〇一六年ってことは――

 ここは、十年前で、

 あの、子どものわたしは、九歳か。


 九歳のお正月――


「マズい」

 わたしは立ち上がる。


 九歳のお正月。

 忌まわしき思い出がよみがえる。


 なんとか阻止しなくては。


 わたしは部屋を飛び出した。


           *


 九歳のわたしは無邪気にコタツに入り、お年玉を待っている。

 こう見ると、わたしも結構かわいいじゃないか。

「あけましておめでとうございます」

 父が、もったいぶって、ポチ袋を取り出す。

「ありがとうございます」

 九歳のわたしは、うやうやしく受け取る。

 その手触りに、パッと顔が輝く。

「中を見るのは、食事がすんでからよ」

 お箸を並べながら、母が言う。

 九歳のわたしは、

「うん、わかってる」

と言いながら、そわそわと肩を動かし、目をキョロキョロさせている。

 ……まずいな。

 この流れは――


「ちょっとトイレ」

 九歳のわたしが、パッと立ち上がって、廊下のトイレに走って行った。

 手にはポチ袋を持ったまま。

 いや、置いてけよ。

 わたしはあわてて後を追う。

 家族の誰も、わたしに気づく様子はなかった。


 わたしは思い出す。

 十年前の、あの日。


           *

 

 わたしは、トイレでこっそりと――

 ポチ袋を開けて、中をのぞいたのだ。

 去年までより、分厚くなってる気がしたから。

 その予感は当たっていた。

 去年まで一枚だった千円札が、一枚、二枚、三枚……!


 その時。

 

 するっ、と。

 手から、ポチ袋がすべり。

 

 ポチャン。


 水洗トイレの中に落ちた。


 全身から血の気が引いた。

 当時のわたしは、泣きそうになりながら、しばらく逡巡し――

 思い切って、手を伸ばし、ポチ袋を拾い上げた。

 自動水洗のトイレでなかったのが、せめてもの救いだろう。

 あと、わたしがトイレで用を足していなかったことも、幸いした。

 

 手洗い場でお札を洗い、そっとタオルで拭き、親に見つからないように、風呂場の窓に貼りつけて乾かし。

 何事もなかったかのような顔で、食卓に戻り。

「手、ちゃんと洗った?」

 母の問いかけに「洗った」と返しながら、

 心臓はバクバクと激しく踊り、

 手のにおいが気になって気になって、しかたがなかったのだった。


 あの後、お札は無事乾いたけれど、シワシワにヨレてしまったんだったなあ。


           *


 と、いうわけで、わたしは、九歳のわたしを追って、トイレに飛びこんだ。

 トイレのドアは、難なくすり抜けることができた。

 まるで今のわたし、幽霊みたい。


 九歳のわたしは――

 思った通り、ワクワクした表情で、ポチ袋を開けて、中をのぞきこんでいる。

 ああ、なんで便器の蓋を開けたまま、便座の方を向いてそんなことするかなあ。

 わたしは、なんとか止めようと、九歳のわたしに手を伸ばすが――すり抜けてしまう。

「やめ! ちょっと、ストップ!」

 叫んでも、九歳のわたしには、全然聞こえてないようだ。

 九歳のわたしが、袋の中のお札を数え――

 するり、と。

 その手から、ポチ袋が落ちる。


 いかん!!


 わたしは必死で、落ちていくポチ袋をつかもうと、手を伸ばす。

 しかしそれもむなしく、ポチ袋はわたしの手をすり抜ける。


 ――が。


 ふわっ、と、ポチ袋が浮き上がり、

 そのまま、便器の外、床の上に落ちた。


「うわっ……あれ?」

 九歳のわたしは、キョトンとして、床の上のポチ袋を見つめる。


 わたしの心臓は、バクバクと鳴っている。

 けれど、どうやら、なんとか。

 最悪の事態は、止めることができたようだ。


 九歳のわたしは首をかしげて、キョロキョロと周りを見回すが、すぐ目の前にいるわたしには気づかない。

 そのまま、ポチ袋を拾ってポケットにしまうと、パタパタとトイレを出ていった。


 はあー……。

 わたしは、ため息をつく。

 そして、考える。

 さっきは何が起こったんだろう。

 たしかにわたしの手は、ポチ袋には、さわれなかった。

 けれどたしかに、ポチ袋は浮き上がり、落下の軌道からそれた。

 ……なんか、物にはさわれないけれど、物を浮かせたり、そういう力があるのかな……?

 わたしは、何かで試してみようかと、周囲を見回す。


 と、その時。

「じゃ、いただきましょう」

 母の声が聞こえた。


 ――あっ。

 脳裏に浮かぶ、十年前の記憶。

 そうだ。

 十年前の悲劇は、お年玉のことだけじゃなかった。


 わたしはあわてて、トイレを飛び出した。

 わたしのお正月は、まだ、始まったばかりだ。

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【お正月コラボ企画】今年こそは!早起きする!と思ったら十年前でした。 春日七草 @harutonatsu

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