第3話 死を招く花、その名は

 カツ、カツ、カツ。

 乾いたヒールの音が、静まり返った広場に響く。


 私が処刑台の床板を踏みしめると、目の高さに拘束されたジェラルド殿下の顔があった。

 かつて愛を囁いたその口は、今は恐怖と怒りで歪んでいる。


「……近寄るな! この人殺しめ!」


 ジェラルド殿下は私を見るなり、唾を飛ばして叫んだ。


「国民よ、騙されるな! 父上を殺したのはこの女だ! 薬草の知識を悪用し、父上の紅茶に毒を混ぜたのだ! 俺は無実だ、これは陰謀だ!」


 広場にどよめきが走る。

 王子の必死の形相に、民衆の心はまだ揺れ動いている。長年敬ってきた王族の言葉と、突然現れた男爵令嬢の告発。どちらを信じるべきか、彼らは迷っていた。


 私は溜息を一つつくと、バーナード騎士団長に目配せをした。

 彼は頷き、部下に命じて一枚の羊皮紙を広げさせる。それは、王室専属医師が書いた検死報告書――ではなく、私が昨晩、現代の法医学知識を用いて書き上げた「真の検死報告書」だ。


「ジェラルド殿下。貴方は『紅茶に毒を混ぜた』と仰いましたね? ですが、陛下の遺体からは、紅茶に含まれるような毒物は検出されませんでした」


「な……っ、な、なら病死だろう! やはり父上は病気で……」

「いいえ。病死に見せかけただけです。陛下は、ある特殊な『神経毒』によって呼吸不全に陥り、亡くなられたのです」


 私は一歩、彼に近づく。


「その毒は、摂取してから数時間後に効果を発揮し、心臓麻痺や呼吸困難を引き起こす。そして死後、体内から急速に成分が分解され、証拠が残らない。……この世界では完全犯罪に等しい、魔法のような毒草」


 私は群衆にも聞こえるように、朗々とした声で続けた。


「この国の植物図鑑には載っていません。一部の裏社会の人間だけが、その禍々しさからこう呼んでいます。――『紫の魔女』と」


 ジェラルド殿下の喉が、ゴクリと鳴った。

 その視線が泳ぐ。知っている反応だ。


「……知らん。なんだそれは。物語の中の話か?」

「とぼけないでください。私の故郷では、その植物はこう呼ばれています。『トリカブト』」


 トリカブト。

 前世の日本であれば、サスペンスドラマでお馴染みの猛毒植物だ。しかし、植物への関心が薄いこの世界では、ただの美しい雑草として見過ごされている。


「その根や葉に含まれるアコニチン系アルカロイドは、成人男性ですらわずかな量で死に至らしめる。貴方はその特性に目をつけた」

「だから! 知らないと言っているだろう!」

「知らないはずがありません!」


 私は王子の言葉を遮り、声を張り上げた。

 その鋭さに、王子がビクリと肩をすくませる。


「貴方は知っていた。だからこそ、実験をしたのでしょう?」

「……あ?」

「文献もない、誰も知らない毒草を使うのは不安だった。致死量はどれくらいか。飲ませてからどれくらいで死ぬのか。苦しむのか、即死なのか。……それを確かめるために」


 私は冷徹な目で、王子の目を射抜く。


「殿下にとって命は、自分のためにある――そういう方ですものね」


 「小さな命」は、いつだって正直だ。死に方だけは、誰にも偽装できない。


「半年前。貴方は王城の裏庭で、“害獣駆除”を命じましたね?」


 広場がざわついた。

 害獣駆除――それ自体は、どこの城でもあり得る。それが一体国王の毒殺と、どう繋がるのか。


「や、やめろ……」

「よく覚えております。庭師たちに言いましたね。『鼠(ねずみ)が増えた。薬師から取り寄せたものだ。指示通りに使え』と」


 私は、そこで言葉を切った。

 王子の表情が、ほんのわずかに強張ったからだ。


「貴方は“餌”に、『紫の魔女』の抽出液を混ぜていました。――自分では手を汚さず、誰にも疑われない形で」

「で、デタラメだ! 証拠はあるのか!」

「ええ、ありますとも」


 私は淡々と告げる。


「害獣駆除係の記録です。いつ、どこに、どれだけ撒いたか。効き始めるまでと、死ぬまでの時間も――報告書に残っている。……そこに、殿下の印章が押されている」

「……っ!」


 群衆がざわめく。

 “些末な事務”のはずの駆除記録が、今この場で、王子の首に縄をかける鎖になる。


「加えて、廃棄場所も把握しています。裏庭の北側、石垣の陰。土が妙に柔らかく、雨の日だけそこが黒く沈む場所――」

「やめろ……!」

「今頃、騎士団が掘り起こしているはずです。死骸そのものから毒は出なくても、その場所の土壌からは高濃度のアルカロイドが検出されるでしょう。餌が染み、腐葉土に混ざり、半年経っても“痕”だけは残る」


 ジェラルド殿下の顔が真っ赤に染まる。

 それは無実の怒りではない。隠していた手口を言い当てられた羞恥と、図星を突かれた焦りだ。

 民衆の視線が変わる。疑惑から、軽蔑へ。そして恐怖へ。


 追い詰められた王子は、獣のように歯を剥き出して吠えた。


「だ、だからどうした! 俺が鼠を殺したとしても、父上を殺した証拠にはならん!」


 彼は首を激しく振り、汗を撒き散らしながら叫ぶ。


「その『紫の魔女』とやらを、俺が持っていたという証拠を見せろ! 俺の部屋からも、温室からも、そんな草は見つかっていないはずだ!」


 そうだ。

 彼は証拠隠滅には長けていた。

 犯行に使ったトリカブトは、全て焼却処分されている。騎士団がどれだけ探しても、彼の所有物からは見つからない。

 だからこそ、彼はまだ強気でいられるのだ。「凶器」さえなければ逃げ切れると信じているのだ。


「エリザベート! 証拠だ! 俺がその花を育てていたという決定的な証拠を出してみろ! 出せなければ、これは不敬罪だ! 貴様を八つ裂きにしてやる!」


 断頭台の上で喚く王子。

 私は彼を哀れみの目で見つめ、ゆっくりと右手を上げた。

 そして、その指先を、断頭台のすぐ真下――広場の片隅にある花壇へと向けた。


「……証拠なら、そこにありますわ」

「は……?」

「貴方が見下ろしているその場所に。……ずっと、あったのですよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る