第4話 貴方の墓標には、この花を

 私の指先が示した先。

 そこは断頭台のすぐ足元、石畳が少しだけ剥がされ、土が露出している小さな花壇だった。

 普段なら雑草しか生えないような場所に、今は一株の植物が、誇らしげにその姿を現していた。


 風に揺れる、深い紫色の花弁。

 まるで司祭がかぶる兜のような、あるいは魔女の帽子のような、奇妙で美しい形状。

 鮮やかなその色は、灰色の処刑場において異質なほどの存在感を放っていた。


「ご覧ください、ジェラルド殿下」


 ジェラルド殿下の視線が、その花に釘付けになる。

 瞬間、彼の顔から血の気が引いた。目が見開かれ、唇がわなわなと震えだす。


「な、な……ぜ……」


 その反応だけで十分だったが、私はあえて畳み掛けた。


「おや、ご存知ですか? とても綺麗な花ですね」

「馬鹿な……! なぜ、こんな所に咲いている!? あり得ない!」


 王子は鎖を引きちぎらんばかりに身を乗り出し、叫んだ。


「その花は……種を植えてから開花するまでに、少なくとも半年はかかるはずだ!」


 ――かかった。

 広場にどよめきが走る。

 その言葉こそが、彼がその植物の性質を熟知している何よりの証拠。

 そして、彼の無実の主張が破綻した瞬間だった。

 陛下が亡くなったのは三ヶ月前。だが、この花がここに咲くには半年前から準備が必要なのだから。


「ええ、その通りです。さすがはお詳しいですね、殿下」


 私はにっこりと微笑んだ。

 この瞬間のために、私は半年間、息を潜めて生きてきたのだ。


「……貴方が王城の温室で、密かにその毒草を育てているのを見た時、私は全てを悟りました。貴方の標的が国王陛下であること。そして、いずれその罪を『植物好き』の私になすりつけるつもりであることを」


 あの日の光景が蘇る。

 駆除係の報告を無表情で聞き、“結果”だけを数えた乾いた目。そして、私の姿を見つめるときに時折浮かべる、嗜虐的な笑み。

 彼は私を愛してなどいなかった。最初から、都合の良い「生贄」として婚約したのだ。


 だから、私は決めたのだ。

 ただ告発するだけでは足りない。生温い。

 この男には、自らが仕掛けた罠に嵌まり、絶望の中で裁かれてもらわなければならないと。


「ですから、私はあの日、貴方の温室からこっそりと種を一つ盗み出しました。そして、この広場の片隅に蒔いておいたのです」


 私は、満開の紫の花を愛おしげに見つめた。


「すっかり計算通りに育ってくれましたわ。『貴方がここで裁かれる日に、ちょうど満開になるように』と」

「き、貴様……! 半年も前から……!?」


 ジェラルド殿下の顔が恐怖に歪む。

 彼は理解しただろう。私が、殺人を未然に防ぐ正義の味方などではなく、彼を確実に地獄へ叩き落とすために準備を整えていた「復讐者」であることを。


「狂っている……! お前の薬草の知識を認め登用した父上を見殺しにしてまで、俺を罠に……!」

「見殺し?」


 私は小首をかしげた。


「何を勘違いされているのです?」


 その時だった。

 広場を取り囲む群衆が、モーゼの海のように割れた。

 そこから現れた人物を見て、ジェラルド殿下の目が飛び出るほど見開かれる。


「――すべて、そなたの元婚約者の読み通りだったな、ジェラルド」


 威厳あるバリトンボイス。

 王冠を戴き、立派なマントを羽織って歩いてくるのは――死んだはずの、国王陛下その人だった。


「ち、ちち……上……!? な、なぜ……幽霊……!?」

「幽霊ではない。足もあるし、脈もあるぞ」


 国王陛下は呆れたように肩をすくめ、私の隣に立った。


「エリザベート嬢から報告を受けていたのだ。『殿下が毒を盛るでしょう』とな」


 半年前、私は種を蒔くと同時に、国王陛下に謁見を求めていた。

 もちろん、最初は信じてもらえなかった。だが、私が提示した植物学の知識と、王子の不審な行動記録が、賢明な王を動かした。


「私は陛下に、毎日少しずつ『解毒薬』を飲んでいただいておりました。トリカブトの毒成分を中和し、一時的に仮死状態にする秘薬を」


 漢方の知識と、この世界の魔法素材を組み合わせた特製薬だ。

 もちろん、不確実な要素はあったが、私たちは賭けに勝った。陛下が倒れたのは、毒のせいではない。私が処方した薬の効果で、計算通りに「死んだふり」をしていただいただけだ。


「そ、そんな……そんな馬鹿な……」


 ジェラルド殿下はガタガタと震え、崩れ落ちそうになる体を鎖で支えられた。


「嘘だ……俺の計画は完璧だった……誰にも知られず、完全犯罪になるはずだった……!」

「完璧? いいえ」


 私は冷たく言い放つ。


「貴方は、植物を、そして私を軽視しすぎました。言葉を持たぬ植物も、扱う人間次第で、いかなる雄弁な証言者よりも残酷に真実を語るのです」


 ジェラルド殿下は、もはや言葉を発することもできず、ただ満開のトリカブトを見つめていた。

 自らが凶器として選び、そして今、自らの命を刈り取る鎌となった美しい花を。


 私は彼を見上げ、最後の仕上げにかかった。

 この舞台(処刑台)を用意したのは彼だが、脚本を書いたのは私だ。

 ならば、幕引きも私が演出しなくてはならない。

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