第2話 ギロチンの刃は誰に向く

 翌日、正午。

 王都の中央広場は、かつてないほどの熱気に包まれていた。


 石畳を埋め尽くす民衆の波。彼らの視線は一点、広場の中央に高く設置された処刑台――断頭台(ギロチン)へと注がれている。

 夏の日差しが、鈍く光る刃を照らし出す。その鋭利な輝きは、これから流れるであろう血の色を予感させ、群衆の興奮を煽っていた。


 ――本来ならば、今頃私はあの上に引きずり出され、石を投げつけられていたことだろう。


「……良い香りでしょう? 私が独自に調合したハーブティーです」


 カチャリ、と陶器が触れ合う軽やかな音が響く。

 私は断頭台を見下ろす貴賓席の最前列で、優雅にティーカップを傾けていた。


 広場の喧騒とは無縁の、特等席。

 私の隣には、王国の武力を統べる近衛騎士団長、バーナード卿が直立不動で控えている。歴戦の猛者である彼が、今は緊張した面持ちで額に汗を浮かべていた。


「……エリザベート嬢。貴女という御仁は、底が知れない」

「お褒めいただき光栄ですわ。それで、準備は万端かしら?」

「はっ。既に配置は完了しております」


 バーナード卿は短く答えると、広場に向けて片手を挙げた。

 それを合図に、重苦しい太鼓の音が広場に響き渡る。

 罪人の入場だ。


 民衆がわっと沸き立つ。

 地下牢から続く重い扉が開き、数人の衛兵に囲まれた「罪人」が姿を現した。


 ボロボロのシャツ。乱れた金髪。手足には重い鉄鎖。

 引きずられるようにして階段を上らされ、断頭台の前に突き飛ばされたその男を見て、群衆の歓声がピタリと止んだ。


「……え?」

「おい、あれ……」

「嘘だろ……?」


 困惑がさざ波のように広がっていく。

 無理もない。

 手枷をかけられ、無様に喚いているのは、民衆が讃えていた人物……。


「離せ! 貴様ら、狂っているのか!? 俺はジェラルドだぞ! 次期国王だぞ!!」


 昨夜、私を断罪したはずの第一王子、ジェラルド殿下その人だったからだ。


「おい衛兵! 間違っているぞ! 捕まえるのはあの女だ! エリザベートだ!」


 ジェラルド殿下は泡を飛ばして絶叫している。

 だが、衛兵たちは微動だにせず、冷徹な手つきで彼を断頭台に固定していく。


 なぜ、一夜にして立場が逆転したのか。

 その答えを、私はまだ口にしない。

 ただ一つだけ言えるのは――昨夜、私が差し出したのは「言い訳」ではなく、「証拠」だったということだ。


「……ッ、エリザベート! 貴様か! そこにいるのは貴様か!!」


 ふと、貴賓席にいる私に気づいた王子が、憎悪を込めて睨みつけてきた。


「バーナード! その女に騙されるな! そいつは口の上手い詐欺師だ! 俺が父上を殺した証拠などない! 俺はやっていないんだ!!」


 必死の形相で無実を訴える王子。

 その迫真の演技に、動揺した民衆の中から「そうだ、殿下がそんなことをするはずがない!」「あの女が騎士団長をたぶらかしたんだ!」という声が上がり始める。


 愚かね。

 まだ、自分が助かると思っている。


 私は音を立てずにソーサーにカップを戻すと、ゆっくりと席から立ち上がった。

 手摺りに手をかけ、眼下の王子を見下ろす。

 その視線が交差した瞬間、王子がビクリと肩を震わせた。


「……往生際が悪うございますね、ジェラルド殿下」


 私の声は、不思議なほどよく通った。

 静まり返った広場に、冷ややかな宣告が響く。


「証拠がない、と仰いましたか? いいえ、ありますわ。貴方が『ただのゴミ』だと思って見落とした、無数の証拠たちが」

「な、何を……」

「皆の前で証明しましょう。貴方がその手で奪い、そして隠蔽したつもりでいた――『名もない小さな命』たちの声を」


 私はドレスの裾を翻し、貴賓席の階段を降りていく。

 向かう先は、断頭台。

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