婚約破棄され、反逆者として逮捕された私。――ですが気が付けば、断頭台に上げられたのは「貴方」でした。

katonobo

第1話 その断罪は、花言葉なき世界にて


 シャンデリアの光が乱反射する大広間。

 着飾った貴族たちがグラスを傾け、嬌声を上げている。

 国王陛下が崩御されてから、まだたったの三ヶ月。国中が喪に服しているはずの時期だというのに、この王城だけは別世界のようだった。


「……趣味が悪い」


 私は壁際でグラスを揺らし、小さく溜息をついた。

 私の視線は、着飾った貴族たちではなく、会場の「飾り付け」に向けられていた。

 豪華な花瓶に生けられているのは、ただの緑色の葉を束ねただけの、無骨な植物だ。杉や松のような、耐久性だけが取り柄の枝葉。

 色彩がない。華やかさがない。そして何より――「意味」がない。


 この異世界では、植物は「食べるための作物」か「邪魔な雑草」か「建材」の三種類にしか分類されない。

 花を愛でる文化もなければ、誰かに想いを託して花束を贈る風習もない。

 

 『花言葉』という概念すら存在しないのだ。


 前世で花屋を営み、植物学を修めていた私「立花みどり」――今は男爵令嬢エリザベートにとって、この世界はあまりにも退屈で、殺風景すぎた。

 色とりどりの花びら。その一枚一枚に秘められた物語。それらを知らないなんて、この世界の人々はなんと人生を損していることだろう。


 だからこそ、私だけが知っているのだ。

 王城の庭の隅、誰もが見向きもしない雑草の中に、私が前世でよく知る「ある残酷で美しい花」がひっそりと蕾をつけていることを。


「――おい、エリザベート。何をしけた顔をしている」


 不意に、乱暴な声が頭上から降ってきた。

 顔を上げると、豪奢な衣装に身を包んだ金髪の男が立っていた。

 この国の第一王子であり、私の婚約者でもあるジェラルド殿下だ。


 本来なら喪に服すべき次期国王が、派手な赤色のマントを羽織り、ワインで顔を赤らめている。その姿には、亡き父王への哀悼など欠片も感じられない。


「ジェラルド殿下。……少し、酔いが回ってしまったようですわ」

「ふん、まあいい、今日は俺の戴冠の前祝いだ。存分に感謝して飲むがいい」


 勝ち誇った笑みを浮かべ、彼は私の肩に馴れ馴れしく手を置いた。

 私は反射的に身を引きたくなるのを、ドレスの下で拳を握りしめて堪える。

 私が正面を向いたまま沈黙を守っていると、ジェラルド殿下は不意に表情を変えた。


「チィ。最後までつまらないやつだったな……」


 そう言うと、先ほどまでの傲慢な笑みを消し、突然、わざとらしく顔を覆って、肩を震わせ始めたのだ。

 そして、広間中に響き渡るような大声を発した。


「うぅ……っ、父上……! 可哀想な父上……!」


 突然の奇行に、ざわめいていた会場が水を打ったように静まり返る。

 音楽が止まり、貴族たちの視線が王子に集中した。

 舞台は整った、と言わんばかりに、ジェラルド殿下はバッと顔を上げた。その目には、嘘くさい涙が光っている。


「皆の者、聞いてくれ! 実は……父上の死は病死ではなかったのだ!」

「なっ……!?」

「なんと、陛下が……!?」


 動揺が広がる中、王子は悲劇のヒーローのように胸を張った。


「父上は、毒殺されたのだ! 何者かが父上の茶に毒を盛ったのだ!」


 会場が悲鳴と怒号に包まれる。


「だから、ここにいる誰も陛下のご遺体に謁見できなかったのか!」


 信義に篤い老伯爵が叫んだ。

 ――検分が完了するまで、何人も遺体への謁見を許さない。それはこの国では異例のことだったのだ。


 誰だ、犯人は誰だ。そんな声が渦巻く中、ジェラルド殿下はスッと右手を上げた。

 その指先が、真っ直ぐに私に向けられる。


「犯人は――そこにいるエリザベートだ!」


 ……始まった。

 私は表情を崩さず、真っ直ぐに王子を見返した。


「……殿下。それは、どういう意味でしょうか」

「白を切るな! 貴様が父上のお茶を淹れる当番だったことは調べがついている! それに、これを見ろ!」


 彼が懐から取り出したのは、一冊の古びた日記帳のようなものだった。

 パラパラとページをめくり、皆に見えるように掲げる。


「これは貴様の部屋から見つかった日記だ! 『国王が邪魔だ』『早く王子に王位を継がせたい』……そう記されているではないか!」


 身に覚えのない日記。

 おそらく、私の筆跡を真似て部下に書かせたのだろう。

 それを見た周囲の貴族たちの反応は冷たかった。


「ああ、やっぱり……」

「あの女、いつも薄気味悪い雑草ばかり弄っていたからな」

「薬草オタクの男爵令嬢か。毒の一つや二つ、作れても不思議ではない」


 蔑むような視線が、無数に突き刺さる。

 彼らは知らない。私が育てていたのが、人々を救うための薬草であったことを。

 この世界において、植物に詳しい人間は「魔女」か「変人」扱いだ。私の知識は、ここでは理解されない。


 ジェラルド殿下は勝ち誇った顔で叫んだ。


「衛兵! この国家反逆者を捕らえろ! こいつとの婚約は、今この時を持って破棄とする!」


 ガシャン、と鎧の音が鳴り、数人の衛兵が私を取り囲む。

 太い縄で腕を縛り上げられ、私はその場に膝をつかされた。

 抵抗はしない。弁明もしない。

 今ここで何を言っても、彼が用意した「筋書き」の前では無意味だからだ。


 私の沈黙を「観念した」と受け取ったのか、ジェラルド殿下は私の耳元に顔を寄せ、誰にも聞こえない声で囁いた。


「……父上が死んだのはお前のせいだ。俺のために死んでくれよ、エリザベート?」


 吐き気がするほどの邪悪な笑み。

 そして彼は、高らかに宣言した。


「このふしだらな女への断罪は、迅速に行う必要がある! 明日の正午、中央広場にて公開処刑を行う! ギロチンの露としてくれよう!」


 おおお、と広間が熱狂に包まれる。

 国王殺しの悪女への怒りと、正義を執行する王子への称賛。

 

 衛兵に腕を引かれ、私は引きずられるように会場を後にする。

 罵声が背中に投げつけられる中、私はふと、窓の外に視線を向けた。


 そこには、明日の処刑会場となる中央広場が見える。

 石造りの冷たい広場。その片隅にある、放置された花壇。


 私は王子の背中に向かって、誰にも気づかれないほどの微かな笑みを向けた。


「……ちょうど好(い)い頃合いね」


 花言葉を知らない愚かな人たち。

 明日の正午、貴方たちは知ることになるでしょう。

 言葉を持たないはずの花が、どれほど雄弁に「真実」を語るのかを。

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