第2話 謎の美少女

「身じろぎもしやせん。ありゃ、屍体したいかもしれませんぜ。やっぱりよしましょうよ……」

「なにを言っているんだい、矢吉。ならばなおのこと、屍体がどうか調べて番所に届け出なきゃ。磯次、近づけておくれ」

「わかりやした」

 緊張した面持ちで船頭が猪牙舟を小舟に横づけし、隼之丞はそろりと小舟に飛び乗った。体重移動で船が揺れたが、絶妙な体術で横転もせずに乗り移れた。隼之丞は神道無念流の道場で鍛え、抜群の体術をそなえていて、度胸もあった。

 眉をひそめた隼之丞は、小舟の筵をまくりあげた。

 泥だらけの着物をまとった若い娘が、ぐったりとして舟の中で横たわっていた。かすかに胸が動いている。

「死んではいないようだ……」

「なんだぁ……驚かせやがって。どこかの船饅頭ふねまんじゅうの女が居眠りしているのかもしれやせんぜ」

 船饅頭とは、大川中洲の脇、永久橋の辺りで舟を浮かべて売春をしていた私娼ししょうのことだ。中洲を舟でひとまわりする間に楽しむのが定番だった。

「いや、船饅頭なら、舟にとまの屋根をつけて、船頭が用心棒についているものですぜ。ありゃちがいますよ」

 河川の情報にくわしい磯次が否定した。

「磯次のいう通りだ。それにこの娘は身形みなりからして、それなりの武家の子女らしい……」

「さいですか」

 隼之丞は気絶している娘の身体を揺り動かした。

「娘さん、こんなところで寝ていては、風邪をひいてしまうよ……起きなさい」

 よく見ると、娘は全身が霧で塗れていたが、実は汗をかいていたのだ。もしやと思い、額に手をあてると熱があった。

「大変だ。医者に診せなければ……」

 隼之丞は磯次に舟を引かせ、巴屋にまで戻させた。

 娘を背負った隼之丞を見た女将が眼を見張って驚いた。巴屋の女将であるお登勢とせだ。色白でふっくらした頬で、どっしりした腰をした三十路の女将だ。

「あらまあ、沙魚を釣りにいったのに、人魚にんぎょを釣ってきたんですか?」

「何を呑気なことをいってるんだい。それより、お医者を呼んでおくれよ」

「は、はい……わかりました。誰か、道休どうきゅう先生を呼んできておくれ!」

 船宿「巴屋」の一室に蒲団を敷かせ、娘を寝かせた。お登勢と女中たちが男たちを部屋から追い出し、着物を脱がせて汗を拭き、寝間着をきせて休ませた。


 医者の道休は、娘が極度の疲労で熱をだし、栄養が足りていないと診断した。

「熱冷ましを飲ませたから、あとは安静にして身体を休ませ、滋養のあるものをるように……」

「そうですか……」

 時刻はもう辰刻半いつつはん(午前九時)になっていた。行きがかりじょう、隼之丞が看病をした。

「隼之丞さま、あとは女中にまかせて、屋敷に一旦もどりましょうよ」

 矢吉が結城屋敷への帰還をうながした。

「そうはいうがな、私が拾った娘さんだ。気になるじゃないか」

「気になるって……もの好きだなあ、若さまは……しかし、あの泥だらけの恰好を見るとなにかがあったように見えやすが……」

 小舟には娘の身許がわかるような物はなかった。泥だらけの着物を脱がせたお登勢たちも着物に身の証しとなるものがないか調べてみたが、何も無かったという。

「うむ……何か事件性があるようだ」

「あっ!!」

 矢吉が驚いたように叫び、隼之丞は反射的に背後をみた。

 蒲団に横臥している娘が、まぶたを見開いていたのだ。

 ――なんと美しいひとみだ……

 思わず隼之丞が眼を見張るほど、美しい黒瞳であった。落ち着いて見れば、白い肌に高い鼻梁、ぐみのごとき紅い唇。弁天さまのごとき美少女であった。


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