店の前がいちばん怖い
アーケードの出口が見えてきた。
外の光が白くて、目が細くなる。
凛が歩きながら、食事券の角を指先でなぞっていた。
折り目があるわけでもないのに、きっちり揃え直すみたいに。
「……で」
短い言葉が飛んでくる。
「いつ?」
来た。
頭の中で候補が渋滞する。明日? 明後日? 昼? 夕方?
さっき、凛が小さく言ったやつ――「早い方がいいだろ」が、妙に重い。
重いくせに、ちょっと嬉しいのが最悪だ。
俺は答えを出せないまま、口だけ動かした。
「……今日、メッセ送る。ちゃんと決めて送る」
言った瞬間、凛の横目がこっちに向くのが見えた。
何か言い返されると思ったのに、凛は短く息を吐いただけだった。
「……待ってる」
それだけ。
交差点で、凛が手を上げた。
「んじゃ」
踵を返して去っていく。迷いがない背中。
俺は見送ってから、ようやく息を吐いた。
(待ってる、って……)
普段の凛なら、行く店は自分で決める。
それを俺に投げてくるって、なんか試されてる気がして、嫌な気持ちになる。
でも心は嬉しい側にあって、もっとよく分からなかった。
玄関の鍵を閉めて、紙袋を台所に置く。
部屋に戻ると静かだ。外も静かだ。蝉もまだ本気出してない。
なのに、俺の頭だけがずっと騒いでる。
ベッドに転がって、スマホを見る。
画面は暗いのに、さっきまでの景色が勝手に浮かぶ。
商店街。福引き。白玉の地獄。赤玉。食事券。コンビニ前。
袖をつままれた一瞬。
そして、凛の声。
「……じゃ、決めて。いつ行く?」
「……早い方がいいだろ」
耳に残るのが……なんかずるい。
スマホを起こして、トーク画面を開く。
一番下の入力欄は空っぽで、当然、何も残ってない。
俺は指を止めたまま、天井を見た。
(今日送るって言ったよな……)
スマホで店を調べる。
食事券が使える店、甘い、商店街、混み具合。
候補が増えるほど、決めるのが怖くなる。
結局、画面の端に残ったのは――今日、ガラス越しに見た、あのキラキラした店だった。
名前もちゃんと見てないくせに、入口の明るさだけは覚えてる。
たぶん、凛が立ち止まったからだ。
……俺は、メッセ欄に打った。
『明日、昼。駅前でいい?』
自分の文字が急に恥ずかしくなって、耳が赤くなる。
送信を押した瞬間、心臓が跳ねた。
ただの待ち合わせだ。食事するだけ。デートじゃない。……多分。
なのに指先が熱い。意味が分からない。
……既読がつくのが、早い。
早すぎて、こっちがビビる。
いや、たまたま。たまたまスマホ触ってただけだ。そうに決まってる。
一拍も置かずに返ってきた。
『いい』
短っ。
短いのに、胸の奥が勝手に軽くなる。
『りょ』
少し間が空いて、また通知。
『寝坊すんな』
(お前が言うな)
……って返したら会話が続く。
続いたら、明日がもっと来る。
それが怖いのか嬉しいのか、俺はまだ判断できない。
俺は短く、一言だけ返した。
『しない』
送信。
スマホを伏せる。天井がやけに近い。
明日。昼。駅前。
約束が、頭の中でぐるぐる回ってる。
逃げ道が、また一つ減った気がした。
夏休み二日目の朝。
目覚ましが鳴る前に起きる。時間はまだある――二度寝しようとした瞬間、スマホが震えた。
『起きてる?』
(……圧)
昨日の「寝坊すんな」が冗談じゃない温度で返ってきてる。
俺は布団の中で、まだ目覚めていない頭で雑に返す。
『起きてる』
既読が秒。返事も秒。
『昼ね。駅前』
俺は「了解」って打ちかけて、やめた。
背伸びしてるみたいで恥ずかしい。
『おけ』
送信。
胸の奥が勝手に熱い……意味が分からない。
起きる。顔を洗って、鏡を見る。寝癖がひどい。
いつもならここで終わりなのに、今日は手が止まる。
シャツを一回着替えた。
“無難”の範囲で、少しだけちゃんとしたやつ。
結局いちばんダサいのは、迷ってる時間だと思って、雑に決めた。
駅前に着いたのは、十一時二十六分。
約束は「昼」。……俺、普通に早い。
なのに。
日陰のベンチに、凛がもういた。
スマホを見たままの手と、落ち着かない足が目に入る。
つま先が、地面を二回だけ叩いていた。
髪は後ろで軽くまとめてある。昨日よりちょっと大人っぽく見えた。
なのに足元はスニーカーで、いつもの凛だ。
俺に気づいた瞬間、凛が顔を上げた。
「……早いじゃん」
「凛が早いんだろ」
「別に。普通」
普通じゃない。
十一時二十六分で“普通”は無理がある。俺もだけど。
でも指摘したら面倒になる。だから言わない。
凛が立ち上がって、ポケットから食事券を出した。
折り目がない。昨日の抽選券の束も端が揃ってた。
そういうとこだけ妙にちゃんとしてる。
「これ……使うでしょ」
「うん」
「店、決めてる?」
ぶっきらぼうに投げて、俺の横に立つ。
俺は駅前から伸びる商店街の方を指した。
「うん、あっち」
「雑じゃん」
「分かりやすいだろ。甘いやつの店。昨日、見えたし」
凛の目が一瞬だけ細くなる。
「……“たまたま”?」
「たまたま……」
「ふーん」
絶対信じてない顔。
俺は視線をそらした。
凛が入りやすそうな店とか、人の目が散る場所とか――口にした瞬間、俺が気持ち悪くなる。
かっこつけてるみたいで死ぬ。
「……昨日、見てたろ看板」
凛がぼそっと言った。
「見てない」
「見てた」
「……気のせい」
「はいはい」
凛が先に歩き出す。俺も並ぶ。
商店街に入ると、人が多い。家族連れ、買い物帰り、私服の学生。
凛が周りに目をやるのが見えた。
視線がガラスや人の流れに引っかかって、すぐ前に戻る。
歩幅は乱れない。けど、食事券を握る指が少しだけ強くなっていた。
「……人、多くない?」
「夏休みだし」
「……うん」
返事はする。止まらない。
ただ、凛の肩がほんの少し固くなっているのが分かった。
目的の店が見えてきた。
ガラス越しに明るくて、なんかキラキラしてる。
中の人の顔も、全体的に楽しそうだ。
店の前で、凛が足を止めていた。
止まったのは一拍だけ。だけど、その一拍がやけに長い。
凛は食事券を握り直し、その指先で袖口をいじってる。
「……入るの?」
ぶっきらぼうなのに、声の端がちょっと細い。
「入る」
言い切ると、凛の目がこっちに向いていた。
「……見られるけど……」
凛が見ていたのは、入口すぐの席だった。
商店街に面してて、外から丸見え。
座った瞬間に“さらし者”になるやつ。
俺は逆に、入口脇のメニューと食品サンプルの方から店内を見ていた。
一回入っちゃえば、すぐ奥に案内される流れ……たぶん。
「……ここ。この席になったらやだ」
「……奥、空いてる」
「は? どこが」
「ほら、あそこ」
凛の視線が、入口のガラスに貼りついていた。
俺は、とりあえずメニューの立て看板に寄った。
「気まずくなったら、すぐ出ればいいじゃん」
「……そうじゃなくて」
「大丈夫だって。入って、奥に案内されて、はい終わり」
言ってる俺も、ちょっと必死だ。
凛の眉がぴくっと動いていた。
そのとき。
「あら」
背後から、柔らかい声が落ちてきた。
振り向くと、同じクラスの鈴木の親が、買い物袋を下げて立っていた。
二人とも、見た瞬間わかる“生暖かい顔”をしてる。
「康介くん、こんにちは」
――見なかったことにできた。できたのに。
俺の口が勝手に動いた。
「こ、こんにちは……」
おばさんの視線が、俺の横へ滑っていた。
にこっと笑って言う。
「まあ。彼女さんとデートなの?」
凛は「誰だよ」って顔を作る前に、素早く半歩下がって俺の後ろに滑り込んだ。
気配が近い。……俺、盾。
おじさんが追い打ちみたいに笑った。
「若いっていいね」
「あなた、やめなさいよ」
やめろ。そんな生温かい目で見ないでくれ。
俺が何か言うより先に、凛が俺の袖を一回だけ引いていた。短く、乱暴に。
「……早く行こ」
それだけ言って、凛の手が取っ手を掴んでいた。
迷いゼロで引く。ベルが鳴って、冷たい空気が流れ出す。
凛は一歩、中に入った瞬間――外に向けていた顔を、すっと前に戻していた。
「……二人です。奥、お願いします」
店員にそれだけ言って、奥へ歩き出していた。
背中はまっすぐ。さっきより少し速い。
「すみません、失礼します……!」
俺は半歩だけ頭を下げて、追いかけるように中へ入った。
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