福引きで当てたのは、食事券と約束
白川
福引きデート?(最悪)
夏休みの商店街は、学校よりうるさい。
シャッターが半分閉まった店の前でも、風鈴だけは律儀に鳴ってる。
たこ焼きの匂いと、駅前から聞こえる選挙カーの残り声に、学生の笑い声が混ざって、全部まとめて「休み中」って空気だ。
俺は私服のまま、紙袋をぶら下げていた。
家で母さんに頼まれた買い物――こういうのって、家の中で勉強してても普通に降ってくる。
商店街の真ん中、ちょっとした広場みたいなところに、でっかい看板が立ってる。
――夏の大感謝祭! 福引き開催中!
景品一覧の「特等:温泉旅行ペア券」が妙に眩しい。
あれ当てたら、人生変わりそうだな。少なくとも一瞬は。
その福引き場の前で、ポツンと見慣れた後ろ姿が固まっていた。
肩までの髪が、夏の光でちょっと透けてる。背筋はまっすぐなのに、落ち着きがなくて、そわそわしている様子。
凛だ。
……なんで商店街にいるんだ。いや、いるのはいい。地元だし。
でも、凛がこういう場所で「困ってる顔」をしているように見えるのは、なんだか珍しい。
俺が近づくと、凛が気配だけでこっちを見ていた。
目が合った瞬間、顔が「うわ、見られた」って形に変わったのが分かる。隠す気ゼロのやつだ。
「……何見てんの」
ぶっきらぼうなのは、いつも通り。
でも、今日は声の端がちょっと細いように聞こえた。
「いや、見てません」
反射でです・ますが出る。
やべ。部活の上下関係、俺の口に染みつきすぎだ。
凛が福引き箱の前を顎で示していた。
「……これ、やばい」
福引き箱の横で、おばちゃんが笑顔で立ってる。手元には景品一覧の札と、小さなベル。
で、凛の手元には――抽選券の束があった。
端がきっちり揃ってるのに、厚みだけが異常だ。でかい券の間に、やけに細い紙が何枚も挟まってる。
二十枚とか、そういう次元じゃない。
「……それ、何軒回ったんだよ」って、喉まで出た。
「え、何それ。買い物しすぎじゃない?」
口が砕けた。相手が凛だと、勝手にそうなる。
「違う。……頼まれただけ」
凛は束を持ったまま、目だけそらしていた。
抽選券が、きっちり揃えて束ねられてる。
……こういうとこだけ、妙にちゃんとしてるのが見える。
おばちゃんが言う。
「抽選券一枚で一回ねー! 補助券は五枚で一回に替えられるよ! はい、ガラガラどうぞ!」
凛の手が止まっていた。
ガラガラ……あの木の取っ手付きの抽選器。触ると意外と重いし音が目立つ。こんな開けた場所で、凛がずっと回していれば、周りの視線も集まる。
「……回すの、嫌?」
俺が言うと、凛の眉が寄っていくのが見えた。
「嫌とかじゃない。……恥ずい」
言い終わってから、さらに不機嫌そうに眉が寄る。
自分で言って恥ずかしくなったのが丸わかりだ。
凛は、こういうのに強そうに見えて……こういう時がある。
逃げるってより、笑ってごまかす。けど笑いきれてない感じ。
「じゃ、俺やるわ」
俺が手を伸ばすと、凛の顔が一瞬だけ「は?」って形になっていた。
「……別に。……ありがと」
小さく言いながら、凛が抽選券の束をこっちに押しつけてくる。
勢いが雑すぎないか。
「はいはい。責任取りますよ」
俺が言うと、凛が小さく舌打ちしていた。
「おま……そういう言い方やめろ」
「え、だって……」
「余計に目立つ」
確かに。
俺は目立ちたいわけじゃない。むしろ今日は買い物だけして早く帰りたかったのだ。
福引き器を回す。ガラガラガラ、って音が広場に響く。
周りの人が、ちょっとだけこっちを見ては通り過ぎて行く。
気が付くと、凛が一歩だけ後ろに下がっていた。視線も、さっと外しているのが分かる。
カラン、と玉が出た。白。
「はい残念賞ー! ティッシュね!」
おばちゃんがティッシュを渡してくる。
俺は受け取りつつ、凛を見る。
「ほら、これが日常だ」
「……日常をわざわざ音出してやるのが嫌なんだよ」
なるほど。
凛の「恥ずい」は、ただの照れじゃなくて、外聞――見られたくない自分がいる感じだ。
俺はもう一回回す。白。
また回す。白。
……白しか出ない世界って、あるんだな。
「特等、都市伝説かも」
俺がぼそっと言うと、凛の口元が小さく動いていた。
……笑うじゃん。なにそれ。そういうの、ずるい。
その時、後ろから声が飛んできた。
「おーい康介! 何やってんの!」
男の声。聞き覚えある。
振り向くと、同じクラスのやつ――優斗が、彼女の真奈と並んで歩いてきてた。手、繋いでる……袋も提げてるし、完全にデートの途中。
うわ、タイミング最悪。よりにもよって今かよ。
「え、凛ちゃんもいるじゃん!」
真奈が目を丸くして、にやっとした。
「なにそれ、福引きデート? かわい〜」
優斗も笑う。
「康介が回してんの彼氏っぽくね」
悪意のない軽い言葉。
凛の肩がぴくっと動いていた。
ああ、やっぱり……俺は一瞬、何を言うべきか迷った。
動くまでが遅い。ここは、まさにそれ。
凛は、笑って誤魔化す方に寄せていた。
口元だけ作って、目は笑ってない。
「違うし。買い物のついでだし」
そう言いながら、凛が俺の持つ抽選券の束を指差していた。
「ほら、これ。親の使い。はい解散」
凛の声が一段だけ速くなって、足が半歩下がる。
軽く流したい、っていう速さだ。
真奈が「そっかぁ」と言いながらも、嬉しそうに笑う。
「でもさ、康介くんが代わりに回してるの、優しいじゃん。いいな〜」
優斗が肩をすくめる。
……やめろ。
ここで「違います!」って大声出したら、それこそ目立って凛が死ぬ。
俺はつい、言葉が口から出てしまった。
「俺が代わりに回してるだけ」
――って言った瞬間。
(……あ、やべ)
真奈の目が輝く。
「え、尊っ……!」
優斗が笑う。
凛が俺の腕を肘で突いていた。痛い、痛いって!
でも、凛の耳が赤くなっているのも見えた。
「……違うし」
凛のぶっきらぼうが飛ぶ。
「かわい〜……」
「真奈、からかうなって」
「ごめんごめん。つい」
二人が笑ってる。
悪気がないのが分かるぶん、余計に逃げ道がない。
凛が一歩だけ後ずさりすると、視線が落ちて、肩が固くなる。――あ、これ。
このまま凛が引いたら、勝手なノリだけが残る。
……それは、嫌だ。
俺は福引き器の取っ手を止めて、二人に言った。
声は張らない。短く、いつもの調子で。
「悪い。面白いのは分かるけど、あんま言うとさ、凛が困るから」
空気が一瞬止まった。
真奈が「あ……」って口を押さえる。
「ごめん! ほんとごめん、凛ちゃん!」
「康介ごめんな――俺らパフェ行くから。またな!」
真奈が手を振って、二人はそのまま歩き去った。
手をつないだまま、肩を寄せ合いながら。
広場の音が戻る。
風鈴と、たこ焼きと、福引きのガラガラ。
凛が小さく息を吐いていた。
「……余計なことすんな」
「余計じゃないです」
です・ますが戻った。反射で。
戻った瞬間、凛の口元が笑いそうに動いて、慌てて顔がそらされた。
「……ほんと、お前さ」
「……」
「腹立つ……」
口では腹立つって言うのに、声が柔らかい。
凛が、ちらっと俺を見ていた。
「助けて」じゃなくて、「お前、どうすんの」って確かめる目――そう見えた。
その一瞬で、胸がきゅって縮んだ。
熱い。ムカつくとかじゃない。……やばい、これ。
思考が止まって、次の瞬間、耳まで熱くなった気がした。
自分に腹が立つ。最悪。
俺は誤魔化すように福引き器を指さした。
「で、まだ抽選券ありますけどー」
「……うん」
凛の指も、ガラガラの方をちょいっと示した。
「最後までやって」
「うわ、言い方」
「……別に」
言い終わった凛が、ふいっと横を向いた。
俺は回す。白。
回す。白。
回す。……赤。
「おっ」って、口が出た。
おばちゃんが目を丸くして、ベルを鳴らした。
「おめでとう! 三等! 商店街お食事券だよー!」
渡された食事券を、俺はいったん受け取って――そのまま凛の手に押し込んだ。
指先が触れて、凛の肩が小さく揺れる。
ガラガラの中が、からん、と軽い音を立てて静かになる。
周りから小さな拍手が起きた。
凛の目が見開いて、それから、口元がほんの少しだけ動く。
「……すご」
凛がぽつっと言う。
その「すご」が俺に向いたのか、券に向いたのか分からない。
でも、嬉しい。……俺、単純。
ガラガラを回し終えると、凛は食事券を握ったまま、急に早足になっていた。
人の少ない方へ寄っていき、コンビニの前で止まる。日陰で視線が薄い場所。
凛は、券を握ったまま、俺を見ないで言っていた。
「さっきの……ああいうの」
「うん?」
「……助かった」
俺の声が照れで崩れた。
「いや……普通に困ってたし」
「普通じゃないし」
凛が即答していた。
俺は口を開いて、閉じた。
言おうか言うまいか――動くまでが遅い。
でもさっき一回動けた。ならもう一回いける。
俺は食事券を指差した。
「これ、使える店多いよね」
「……そうだな」
凛が頷いていた。視線が少しだけ柔らかい。
俺の心臓がうるさい。
「……じゃあ」
声が少し変になる。
「じゃあ、夏休み、これで……甘いのでも行きません?」
言ってしまった。
恥のしわ寄せが、今、襲ってきた。顔が熱い。
凛が、やっとこっちを見ていた。
目が丸い。それからちょっとだけ口元が緩む。
「……何それ。デート?」
こちらの弱みを握ったような、からかう口調。
……さっきまで逃げてたくせに。こんな時は強気に攻めてくる。
俺の頭が真っ白になる。崩れる、完全に崩れる。
「で、で、デートっていうか……」
凛が肩をすくめていた。
「別にいい。……でも、条件」
「条件?」
「その時、誰かに見られても、逃げんなよ」
凛が言う。
一拍置いて、凛が俺の袖を指先でつまんでいた。
意識した時には、離れていた。
でも、それで十分だった。
「お前が。責任、持てよ」
……ずるい。
さっき俺が使った言葉が、凛の口から出ると全部特別になる。
俺は、ちゃんと頷いた。
「はい。持ちます」
俺の、今の本音のです・ます。
凛が食事券をひらひら振りながら言ってきた。
「……さっき真奈が言ってた……パフェとか甘いやつがいい」
「影響されてんじゃん」
「うるさい。……行くの? 行かないの?」
「行く」
即答してしまった俺の返事に、凛が視線をそらしていた。
照れの逃げ方が、またずるい。
凛が、目を合わせずに言っていた。
「……ブロックとか、してないよな」
「してないよ」
「……じゃ、決めて。いつ行く?」
凛は先に歩きながら、スマホだけこっちに向けて――
「……早い方がいいだろ」
小さく言うと、凛は先に行った。
早足に遅れまいと、俺もついていく。
商店街の風鈴が、ちょっとだけ涼しく鳴った。
夏休みは始まったばかりで。
次の約束は、もう手の中にある。
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