第一章 ユイル

第1話 ユイルとルーマン法皇国

 ユイルの生い立ちには、喜びと悲しみが交錯している。


 ユイルの父は、ルーマン法皇国の騎士だった。強さと優しさを兼ね備えた、誇るべき人物だった。

 母は、元・バード(歌い手)だった。聡明さと温かさを併せ持つ、素晴らしい女性だった。

 両親の愛情に恵まれ、ユイルは幸福な幼少期を過ごした。


 ユイルには、忘れられない思い出がある。

 それはある日、父と交わした、こんな会話だ。

「ユイル、覚えておけ。家族や仲間は大切だぞ」

「家族と、仲間?」

「ああ。騎士なんて、ただ剣を使って敵を倒すだけだ。だが、それで金を稼ぐことができ、何百何千もの民衆を守ることができる。俺の戦い次第で、何百人、何千人もの人間の人生が変わってしまう……」

「騎士は大変?」

「そうだな……。もし来世でも騎士になるかと問われたら──ならないかもしれないな」

「父さん……」

「だからこそ──」

 父は告げる。

「俺は、この現世で燃え尽きたい。燃え尽きるまで戦う俺の背中を、ユイル、お前や母さん、仲間に見せたい」

 父は、強い意志を込めた瞳でユイルを見つめた。

「俺のこの夢──継いでくれるか、ユイル」

「はい、父さん」

 それはユイルにとって、父と約束した神聖な誓いとなった。


 ユイルが五歳のとき、家族が一人増えた。

 レオンハルト。三歳の男の子。長い金色の髪に青い瞳を持つ、美しい少年だった。三歳にして親を亡くし、ユイルの両親に引き取られたのだ。

 ユイルたちは、レオンハルトのことを、愛情を込めて「レオン」と呼んだ。


 ユイルが六歳のとき、家族がもう一人増えた。

 リィナ。三歳の女の子。ショートカットの青い髪、赤い瞳の、愛らしい少女だった。彼女も親を亡くし、ユイルの両親に引き取られたのだった。

 ユイルが歩くと、レオンが後に続く。その後ろを、リィナが追いかける。三人は、いつも一緒の三兄弟妹(きょうだい)だった。

 リィナは、良くユイルの母に懐き、バードだった彼女から、子守唄として自然に歌を教え込まれた。

 また、リィナは、ユイルのことを、愛情を込めて「ユイル兄(にい)」、レオンのことを、親しみを込めて「レオン兄(にい)」と呼んだ。


 ユイルたちが住む村、「ガリア」は、小さいがとても重要な場所だった。

 近接する都市「ルーマ」の、前衛基地的な地理を占めているのだ。


「ルーマ」

 それは、エウロパ大陸の南、海に面したエトリヤ半島の中西部にある、宗教都市の名だ。

 「ルーマン正教」を奉じる宗教国家、「ルーマン法皇国」の皇都でもある。

 ルーマンを治めるのは、「法皇」と呼ばれる祭政一致の王である。

 ルーマン正教の誕生は、大陸暦が始まった頃にまで遡るが、ルーマン法皇国の建国自体は、二百年ほど昔に過ぎない。

 大陸暦七八十年、時のルーマ総大司教「イノケンティウス一世」が、自らを法皇と呼び、ルーマン法皇国の開闢を宣言したのである。

 ルーマン法皇国の領土は、皇都ルーマと、その周辺のいくつかの町、村だけで、決して大きな国ではない。

 しかし、エウロパ大陸の諸国家で広く信仰されているルーマン正教の中心地として、多くの寄進が集まる、絶大に裕福な国家だった。

 法皇は、その保有する領土以上の権力と栄光を有している。

 法皇位は、時に世襲、時に有力な司教への禅譲によって受け継がれてきた。

 聖職者以外に、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵・騎士(ナイト)の貴族階級がいるが、法皇に即位してきたのは聖職出身者だけである。

 現在、法皇位に就いているのは、「レオ三世(サード)」だ。彼は二十歳のとき、先代の父、「レオ二世(セカンド)」が四十二歳で急逝した後を受け、若くして至高の座に登った。

 レオ家は、レオ二世の父、「レオ一世(ファースト)」の御世に、大きく飛躍した家系である。

 レオ一世は、即位前、時の法皇の有力な司祭の一人でしかなかった。獅子を思わせる長い金髪と、凍てついた氷のような碧眼を持つ美丈夫だったが、剣術においても類稀な腕を誇っていた。

 ある時、一頭のゴールド・ドラゴンが、ルーマ近くの町を襲った。レオ一世は町に駆けつけ、その尋常ならざる武勇で金竜を圧倒した。竜は降参し、レオ一世に忠誠を誓った。

 ドラゴンマスターとなった若き英雄を、ルーマン中の人間が賞賛し、法皇位が空いたとき、誰もが竜退治の英雄の登極を厚く支持した。

 レオ一世は、ルーマン史上、最も華麗で強靭な法皇と呼ばれた。

 彼が老いて亡くなったとき、法皇の地位と、「オニキス」と名付けられたゴールド・ドラゴンの支配権が、嫡男であるレオ二世に受け継がれた。

 そして現在、オニキスは現法皇レオ三世が騎乗する忠実な僕(しもべ)となっている。


 ユイルが十歳になったとき、過酷な宿命が少年を襲った。

 騎士である父が亡くなったのだ。年若い仲間をかばっての、名誉の戦死だった。

 そして数ヵ月後、最愛の母までもが、急な病で黄泉路へと旅立った。

 ユイルは十歳にして、孤児になってしまったのである。

 そして、八歳と七歳の幼い弟妹との生活が、ユイルの肩に重くのしかかってきたのだった。

 子どもが多かったこともあり、父は自宅以外の資産を残すことができなかった。ただ、銀色に輝く形見の剣が、ユイルの手に残された。

 ユイルは、悲しみに沈む暇もなく、港での船荷の積み下ろし、農家の耕地開墾などの日雇い仕事で、僅かな金を稼いだ。手に入れた賃金は、瞬く間にパンやジャガイモに変わり、生きる糧として消化されていった。

 朝早くから夜遅くまで、ユイルは懸命に働いたけれども、子どもたち三人で何とか生きていくのが精一杯だった。

 生きるということがどれほど大変なことなのか、ユイルは嫌と言うほど思い知らされていた。

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