第2話 二つの出会い

 とある日、ルーマの港での仕事を終えたユイルは、賃金をくれた荷主から慶事を知らされた。

 今年二十二歳になるレオ三世に、世継ぎの男子が生まれたのである。「レオ四世(フォース)」の誕生だった。

 それから、嫡男の生誕を祝して、街の修道院前で食料の配給が行われることも教えられた。

 食べること、食べさせることで毎日が手一杯のユイルにとって、誠に喜ばしい知らせだった。

 ユイルは、修道院へと急いだ。

 すでに市民の長い列ができており、ユイルはその最後尾に並んだ。

 列の先頭では、修道女たちが中心となって、山ほどのパンやシチューを民衆に分配している。

 その様子を見ていたユイルの視線が、一人の少女の姿に釘付けになった。

 奇跡と思えるほどに、美しい少女だった。

 流れるような長い金髪、サファイアのように神秘的な青い瞳。か細い体に金糸で縁取られた修道衣をまとっており、修道女たちの仕事を健気に手伝っている。

 前後にいた男女が、口々に少女のことを賛美し、ユイルは彼女の名を耳にした。

「カテリーナ様だ」

「なんて綺麗な御方」

「レオ三世猊下の妹御だそうだ」

「なるほど、美しいわけだ。それに、神々しい」

「有り難い御姿ね」

「幼い頃からルーマン正教を学ばれ、将来はプリーストとして、レオ三世様をお支えになるとか……」

「なんと素晴らしい」

 カテリーナのことは、ユイルも知っていた。

 確か、今年九歳になる、レオ三世の歳の離れた妹だ。存在を知ってはいたけれど、その姿を目にするのは初めてだった。

 列が進み、程なくユイルの番がやって来た。いかなる偶然か、彼に施しを与えたのは、カテリーナその人だった。

「何人分、ご入用ですか?」

 少女の澄んだ声が、ユイルの耳に響く。

「三人分、お願いします。弟と妹がいます」

 ユイルが答えると、カテリーナは彼の瞳をじっと見つめた。

 二人の視線が交錯する。

 大きめの木椀にシチューを注ぎながら、少女がささやく。

「大変ですね。貴方に、神のご加護を」

 三人分のパンとシチューを、ユイルは感謝しつつ受け取った。

「ありがとうございます」

 深く一礼して、カテリーナの前から退く。

 数歩歩んで、ユイルはカテリーナを顧みる。

 その真剣な表情に、ユイルは思わず見惚れた。

「可愛い子だな。オレとは身分が違いすぎるけど。いつかまた、会えたらいいな……」

 立ち去り難く感じながらも、ユイルはお腹を空かせて待っている弟妹のために、家路を急いだのだった。


 ……いよいよ、限界かもしれない。

 ユイルは、そんな思いを抱いて、自宅のベッドに横になっていた。

 ここ数日、きつい仕事が続いた。昨日は夕立に遭い、体を冷やしたのか少し寒気がした。

 もうそろそろ起きて、今日の仕事に出かけなければならない。そう分かってはいたけれど、半身を起こすことすら今は不可能だった。

「大丈夫? ユイル兄さん」

 義兄を心配して、義弟レオンがやって来る。

 大丈夫だ、と応じようとして、ユイルは失敗した。強いめまいに襲われたのだ。

「ユイル兄(にい)、お客さんだよ!」

 そのとき、義妹のリィナが部屋に入って来た。

「客?」

 めまいに耐えて、ユイルは起き上がった。

 どうにか立ち上がる。よろめいたけれど、レオンが支えてくれた。

 小さい家には客間などない。玄関から入ってすぐの食堂に、その客人は立っていた。

 老境の男性。歳の割に背が高い。白い髪と白いひげがとても印象的だった。

 その黒い瞳は、慈愛と厳愛が混ざったような、温かな光を湛えている。

「アダムスの子、ユイルか?」

 老人が聞いてくる。アダムスとは、ユイルの亡き父親の名だった。

「そうですが、貴方は?」

「老師と呼ぶが良い。アダムスも、わしをそう呼んだ」

「父さんのことを知ってるんですか?」

「アダムスはわしの弟子じゃった。わしが剣技を教えた」

 父親の師匠と名乗る老人を前にして、ユイルは少し安心した。安堵の余り、緊張の糸がほどけ、その場に片膝をついてしまう。

「兄さん!」

「ユイル兄!」

 レオンとリィナが、慌てて駆け寄ってくる。

 そんなユイルを見守った老師は、ゆっくりと彼に近づき、その肩にしわの浮かんだ手を置いた。

「随分痩せておるな。両親を亡くしてから、お前が家計を支えてきたのじゃな」

 抱えるようにして、老師はユイルを助け起こしてくれた。

「すまぬ。知らせを受けたのが遅過ぎた。両親の訃報を聞き、急ぎ駆けつけたのじゃが」

 老師は苦渋に満ちた表情を浮かべた。

「もう心配は要らぬ。お前たちの面倒は、このわしが見よう。わしに子はないが、アダムスは息子も同じ。その子どもであるお前たちは、孫のようなものじゃ」

 苦闘の果てに訪れた光明に、ユイルは心から感謝した。

(父さんは、死んでからもオレたちを見守ってくれてたんだな)

 優しい父の面影を、ユイルは思い返した。涙が、自然と頬を伝わる。

 久しぶりに心を解放して、ユイルは泣いた。

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