ルーマンの宝剣

山本 司

プロローグ 初陣

 ──右か、左か。


 生き残るためなら、選択肢は、その二つだけだった。

 右に行けば、村の正門に出る。

 左に行けば、村の裏門に至る。

 どちらに走っても、この村「ガリア」から、無事に脱出できるはずであった。


 平穏だった村に、突然襲いかかってきた災難。それは、盗賊の襲撃だった。

 古びた剣を得物に、汚い服装をした賊の一団が、不意に村に侵入して来たのだ。

 ただ生き残りたいだけなら──右か左に曲がり、全力で走り抜けばいい。

 けれども、その黒髪の少年・ユイルは、別の答えを選ぼうとしていた。

 自分が逃げ出したりすれば、村で戦える人間が一人減ってしまう。その分、盗賊の被害は大きくなるだろう。

 十歳のときから五年間、無我夢中で剣を学んできた。実戦の経験はあまりないけれど、人一倍の努力をしてきたという自負がある。

 ユイルはためらうことなく、第三の道を選択した。

 真っ直ぐに、村の中心に走る。そこは、賊共が傍若無人に暴れ回っている真っ只中だ。

 勝算はあった。あと少し耐え切れば、「ルーマン」の防衛隊が、急を聞きつけて駆けつけて来るはずだ。形勢が不利と見れば、賊共は逃亡するだろう。

 両手に剣を構えて、ユイルは駆けた。右手には、騎士だった亡父が残した剣。左手には、老師から受け継いだ名剣、デュランダル。

 ユイルは、二刀流の剣士だった。

 左右を警戒しつつ、敵の気配を探る。

 ふと思いついた。

(奇襲をかけよう)

 生来の身軽さを活かして、ユイルは民家の屋根に上った。屋根から屋根に跳び移りながら、眼下に敵の姿を探す。

(レオンとリィナは、大丈夫かな)

 義弟と義妹の無事を、ユイルは祈った。自宅の地下貯蔵庫に身を隠すよう命じて、家を飛び出したけれど、賊に見つかってはいないだろうか。

 不安を心の隅に追いやって、ユイルは前方を見つめる。

 やがてユイルは、町の中心にある宿屋の屋根に辿り着いた。同時に見つけた。宿屋の馬小屋で、馬を物色している男がいる。

 馬に夢中になっている男に、ユイルは狙いを定めた。両手の剣を逆手に握り直し、剣先を下に向ける。

 男が、馬小屋を覗き込むように上体を屈めた。

「!」

 ユイルは跳んだ。

 男の背に、両手の剣を突き立てる。肉を刺す鈍い感触と、骨を絶つ硬い感覚が、両手に伝わってきた。

 ユイルは着地して、両剣を引き抜いた。男の背から鮮血が迸り、敵は声もなくその場に倒れ伏す。

(また殺した。人を……)

 ユイルは数秒、立ち尽くし、慄然とした。敵を倒したという高揚感と、人を殺めたという罪悪感が、混然となって胸を満たす。

 まだ終わっていない。意識を、戦場に戻す。

 宿屋の馬小屋を後にし、民家の壁を背にしながら横走りに進む。村の広場に至ったとき、ユイルは見たくなかった光景に遭遇した。

 数人の男が、地面に倒れた女性を取り囲んでいる。女性の口元には、大量の血液が溢れている。その四肢に力はなく、すでに息絶えているのが分かった。

 男たちに乱暴されそうになり、舌を噛んで自ら命を絶ったのだ。その無残な姿と、彼女が良く知っている女性だったことが、ユイルの怒りを助長した。

「シェリルさん──!」

 義妹リィナの歌の師匠である、美しい女性だった。

 男たちは、得がたい果実を失って落胆しているように見えた。しかし、それでもなお、死した彼女を陵辱しようとする素振りを見せていた。

 ユイルの黒い瞳に、怒りという名の意思が弾ける。

「貴様らぁ!」

 殺意の暴風となって、ユイルは男たちに襲いかかった。

 左手の剣で敵の攻撃を受け、右手の剣を相手の心臓に突き立てる。流れるように別の斬撃をかわし、敵の首、頚動脈を絶つ。弧を描く血の奔流をかいくぐって、次の敵の胴を両断する。

 わずかな間に三人を失い、男たちは戦意を喪失した。我先にと、その場から逃走する。

「逃がすか!」

 追いかけようとしたユイルは、男たちの前方に現れた人影を認め、立ち止まった。

 完全武装の兵たちが、男たちの退路を遮り、一人また一人と討ち取って行く。

 ルーマンの軍隊が、村の防衛に駆けつけてくれたのだ。

 勝敗は決した。

 失ったものは、余りにも大き過ぎるけれども……。

 ユイルは、シェリルの亡骸に暗い視線を落とした。

(シェリルさん! 間に合わなくて、すみません!)

 黒髪の少年は、深く頭(こうべ)をたれ、救えなかった命の冥福を祈った。

 少年の苦い初陣は、こうして終わりを遂げたのだった。

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