2話 論理の檻と黄金の誘引
貨物気球が、大気圏に浮上していた。
白、赤、複数の色を不規則に彩り、青の支配する空域を騒がしくしていた。貨物気球自体は、産業革命が起こる前から運用がされていると、聞いたことがあった。
事実だと仮定すれば、最低でも二世紀は運用し続けていることになる。非論理的な効率だ。一種の既得権益の維持対象になっているのか。単なる邪な推論ではあるが。
「あれ、初めて見たかもしれない」
フレイムハートが指で示す場所は、貨物気球だった。都市部では、頻繁に見かけるが、地方出身なのだろうか。瞳が心なしか輝いているように見える。
少しでも近くで見ようと、物理的な距離を詰め、さらに身体を寄せてきた。
肩がぶつかり合い、制服の生地が波打つ。
「この辺りはよく見かける」
「そうなんだ。私、スーベン育ちだから見たことないんだ」
スーベン。北部に位置する小規模な居住区だったはずだ。開発特区にも入っていない。見たことがないのも頷ける。貨物気球の優位性が発揮されるのは都市間に限られる。効率を考えれば、近距離は蒸気機関車による陸上輸送が勝るのだろう。
「これからは、見る機会が増えるだろうな」
「言い切るんだ」
「アカデミーの上空はあり得ないけど、周囲なら飛ぶはず。アカデミーの奥には新興都市があるからさ。電車は通ってないからまだいけないんだどな」
新興都市と言っても、既存の居住区を再編・都市化するだけの論理的な計画だ。
一から建設し直すような非効率は採らない。新しくするついでに、政府が線路も変えようと言葉にしたおかげか、新線路の構造計算を終える前に旧線路を解体するという政治的な無能性を、披露していたのを思い出す。
論理的なプロセスの崩壊に、俺は思わずは頭を抱え込んだ記憶がある。
「ん? なんでアカデミー上空は通過しないの?」
「学術的な実験において、未定義の魔法が気球に干渉する可能性がゼロではないからな」
ほへーと、息を漏らしながら、首を上下に振る。
前髪が飛んでいきそうな勢いだった。
思考の深度から見れば、年少者を相手にしているようなイメージがある。
脳裏に焼き付こうとしている。
「あっ、そういえば聞きたいことがあってね」
車内の静寂に物理的な波紋を起こすように、態勢を改めた。フレイムハートの腰は、最初に腰を下した位置に戻った。どこか真剣さを感じる彼女には目を奪われる。手を自身の太腿の上に置くと、言葉の続きを、緊張を滲ませた口元で紡ぎ始める。
「ヴァリスは、なんの目的を持ってアカデミーに進学したの」
純粋無垢な質問だった。だが、その声の平静さとは裏腹に、太腿の上の手がわずかに震えているのが観察できた。さらに言えば、視線が焦点から逸脱し、時たまに外れている。フレイムハートからすれば、かなり踏み込んだ話題なのだろう。と、見ることができた。
「目的か……単なる興味があったからだ」
「興味?」
頭部を空気の塊に委ねるように、小さく傾げた。
深紅の髪が左肩に流れ落ちる軌跡は、まるで鯉が水面を滑降するようだった。空気が分かれた。分かれるしかないと、言わんばかりだ。俺と彼女の間に静かになった。
「国最高の教育機関を体験し、そのシステムを解析できる年齢だ。知的好奇心以外、他に何があるというのか」
「良い就職先に行くためじゃなくて?」
「視野に入っていない。どうせ、実家の古書販売業を継ぐからな」
俺の視線は、フレイムハートの表情を捉えていた。口角が、わずかに収縮と弛緩を繰り返していた。神経細胞に電流が流れた筋肉のように、微細な波を生み出している徐々にその動きの振幅が大きくなる風貌は、熱帯低気圧が発達する前の静けさ。
津波発生前の海面の引きに酷似していた。
「とことん珍しいね。アカデミー進学は、その権益と後ろ盾を得るためだけの一般的な動機だと思っていた。アカデミーの選定基準としても想定外では?」
「そんなことはないと思うが……非常な事象は、それなりに面白いだろう?」
質問を質問で返してしまった。これは良くない。コミニケションエラーだ。
しかし、フレイムハートが向けている矛は質問返しに向いてはいなかった。
どちらかと言えば、この俺という個人の内面構造に向いているように感じられた。
向けている視線に違和感を感じる。
咽頭は動いているのに、口唇は動いていない。
これが動揺の物理的な証拠だ。
言語化を拒否する感情的要素が、彼女の内部に存在している。
客車の椅子に、体躯をわずかに上げ、重心を深く沈め直した。
長距離移動は物理的、精神的に多大な負荷をかける。
「面白いからって……すごいね。本当に。私たちと生きている世界が違う感じがする。言葉を選ばないで言うならば、異質という言葉で包み込むのがあってる」
思わず呼気が吐息となって口元から漏れる。
俺自身、視覚的なフィードバックがなくとも、口角が不快な角度で吊り上がっているのを筋繊維の動きで自認できた。自己評価としても相当に不気味な笑みを浮かべているだろう。フレイムハートの解析結果が、俺の知的好奇心をこれほど刺激するとは。
この反応を、俺は抑制しなかった。
「異質、か。その定義の適用範囲を、この俺に固定してしまっていいのか?」
「どういう意味で」
「世の中には、俺なんかよりも逸脱してる人間は多い。……実際に、この目で見てきたからね。あえて言おう、俺はそんな人間たちをハイブリットした下位互換に過ぎない。俺が異質だと、定義するのはアカデミーに着いてからでも遅くない」
警告じみた言葉が、口からあふれ出した。説明臭くなったと思うが、事実故しょうがない。そう割り切るしかない。認識の輪郭すら確定していない状況で、常識という名の不変の定義を決めることは、後悔という感情的欠陥しか生まない。この経験則が、この情報開示を無意識に促した要因かもしれない。検証不能な推測だが。
「そ、そうだよね。まだ決めつけるというか、異質なんて言ってごめんなさい。気を悪くしちゃったよね。言葉選び苦手で……」
「言葉選び苦手なのは、俺も同じだ。気にすることはないよ。これを糧にして、次に生かせばいい。互いに十五歳の人間に過ぎない。基本的には許される。この権限を思いっきり使っていくのが、正しい生き方だと、個人的に思っているけどね」
一々口から出る自己説明的な言葉が冗長で嫌悪感を覚える。非効率な接続詞を多用する低級な知性と同格にはなりたくない。そう自己批判したとき、小さく呼吸を排出した。
「優しいね。ヴァリスは」
「そうか?」
「うん。ここまで、真摯に会話してくれる人は少ないよ」
太ももに置かれた手が、制服のスラックスの布地をしわを立てて巻き込み、強い物理的な力で握られていく。どのような環境因子が、このレベルの感情的反応を形成したのか。とはいえ、人の内情まで触れられるほどに、親密ではない。
余計なことをしないのが英断だろう。
乾いた空気が客車を支配している。
依然として、乗客の言語活動と線路の振動リズムのみが反響している。
カーブに差し掛かる線路と、荘厳たる城壁らしき壁が視界に映り込む。
「あれは?」
フレイムハートは再び距離を詰めて、今度は耳元の近くで疑問を問う。その白い構造壁は徐々に視界を侵食してきた。入学試験時も観測したが、改めて見ると、その質量と規模は大きい。壮観という概念が似合う物理的な威容だ。美学的知覚を持つ者が羨ましい。
同時に、再び、肩が物に押し付けられる感覚がある。フレイムハートがアカデミーに興奮してパーソナルスペースを無視して入り込んでるだけだろう。
横目で瞳を捉えると、俺の姿はなかった。あるのは希望のみだ。
俺はかばんを取り、席を立ち上がった。
軋み音のような空気が聞こえてくるが、それはかばんを握った時の音に過ぎない。「どうしたの?」と、フレイムハートは困惑した表情を隠そうともせずに聞いてくる。
「先に、ドアに待ってようかなと。そろそろトンネルに入るだろうし」
そう、言葉を紡いだ瞬間、客車は暗くなった。
客車の室内灯が明かりを灯す。
アカデミーの駅は地下にあるんだ。そろそろ、止まる頃合いだろう。
ただの予測を立てただけで、確証は持てない。
なんせ、二ヶ月前の出来事だ。覚えていない。
「そうなの……? それなら、私も一緒に待つよ。どうせなら、一緒に行きたいからさ。でも、道はあやふやだから、案内お願いしてもいい?」
「問題ないよ。着いてきな」
フレイムハートもかばんを片手に持ち、ドアの前に先に移動する。周りの人間たちも、降りる準備をし始めている。かばんに荷物を詰めたりしている。先にドアの前に着くと、左右の壁に俺とフレイムハートは背中を預けて、止まる時を待つ。
甲高い金属音が鳴り響く。蒸気機関車が制動力を発生させた物理的な証拠だ。すると、ドアの窓から外部の照明が鮮明に確認できる。待っている人はいない。閑散としたホームが、空気たちが闊歩しているだけだ。不気味な環境といえば否定はできない。
ドアが開く。
俺が先に降車する。続いてフレイムハートがプラットフォームに接地した。高湿で澱んだ大気が肺に取り込まれる。可能な限り速やかに地上へ移動したい。右手側にある階段に向かって足を進めた。後ろから駆け足で追ってくる音が聞こえてくる。声は聞こえない。フレイムハートではないのかもしれない。だが、あの距離ではぐれることはないはず。念の為に、首を回して、後ろを見るとフレイムハートが共に上がっていた。良かった。
「人少なくないかな。こんな感じだっけ?」
「こんな物だ。前は入学試験で倍以上の人間が居たからな」
「そっか」
疑わないで肯定を示した。道なりに進んで、改札を通過する。すると、陽光が投射される空間へ、影を背にして逆行する。すると、俺の体躯の四倍近い高さを持つ構造物が、視界を遮断した。物理的な威圧を感じる。必要のない、価値のない人間を選別するようなその姿、一度見たとはいえ、恐ろしかった。
門の通過を完了すると、視界の遠方まで続く一本の直線状の道が展開していた。左右には広大な花畑が領域を主張している。絶対不可侵の領域であることを示す厳格な制限看板が立っていた。管理者以外立ち入り禁止とあるその表示領域は、極めて狭隘だった。
道なりに進んでいくと、噴水を中心に四方に開く道があった。
初見の人間では、空間認識能力の低い者は確実に迷うだろう。なぜ案内標識による情報開示がないのか。ここを通る人間が極めて少ないため、設置コストが非効率だと判断されたのだろう。その論理以外、成立しない。
「……一種の迷路みたい」
「道なりに進んでいけば、辿り着ける。はぐれないように」
警告の意図を含んだ俺の声に、フレイムハートは頭部を物理的に大きく縦に振る。その勢いは、周囲の空気を巻き込むほどだった。こんな所で一人になりたくはないだろう。自分だって、こんな広いだけの所を一人で居ろと言われてしまえば、精神が狂うかもしれない。目の前に助けになる人が居るのなら縋るのは、当然と言えば当然だろう。フレイムハートの背中の先には、ほかの新入生たちの姿がおぼろげながら見えてくる。
噴水ロータリーの対岸へ迂回経路を辿る。すると、観測される景色に幾何学的変化が表面化していく。中央議事堂にも匹敵する規模の建築物が顕現する。
これこそが、エーテル・アカデミーの主棟への入口だ。警備の厳重性を二重構造にしている点は、生徒を外部干渉から護る意図と、生徒が外部へ逸脱するのを阻止する意図の二律背反を同時に示唆している。国の意図はわからないが、外部からの影響は受けないようで安心だ。もとより、山間の高地に建ち、周囲は深い森や渓谷に囲まれ、外界からのアクセスは限られている。杞憂だったのかもしれない。
「入口だよね……これ。見覚えあるけど、こんな感じだっけ」
「リニューアルでもしたんだろう。気にすることはないじゃないか?」
端的に伝えた。門を潜ると喧騒が襲い掛かることはなく、むしろ静かだった。当然か。寮といった施設はアカデミー本棟のさらに奥だ。加えて、アカデミー本棟に入るには右手側に見える、これまた立派な扉から講堂を通らなければいけない。
その時、その扉から一人の人間が出てきた。わかるのは、切れ長でやや鋭いが、柔らかさもある二重まぶたの目の形。柔らかいライトブロンドの髪は、肩にかかるくらいの長さのゆるいウェーブだった。全体的な曲線構成は豊潤であり、見た者はに柔軟性と安全圏を想起させる。横目でフレイムハートを見ると、完全に焦点が固定されており、無意識に頭部を前傾させるほど釘付けになっている。
その動き一つ一つは、優雅だった。貴族生まれだと、勝手に認識してしまう。クラシカルな意匠のジャケットとスカートのセットアップは、落ち着いた光沢を帯び、品格と威厳を自然に醸成している。接地面のヒールが体躯に安定性を付加している。一種の美学的かつ機能的な理想形ではないだろうか。隣から「綺麗だなぁ」と、フレイムハートがつぶやく声が聞こえる。女子生徒にとって目標になるのかもしれない。
「あら、もう新入生が来ていたのね。入学おめでとう。こちらにおいで」
上品で優雅。貴族育ちを匂わせるが、あくまで柔らかく耳に心地よかった。手招きされて、女性の背を追いかける。その間、意識が完全に女性に向けられていたフレイムハートの手を取り、無理やり連れていく。
放置するのは、さすがに俺の良心が許さなかったようだった。
フレイムハートから声が漏れたのを拾い上げたら、すぐに手を離した。
何時間も、好意を抱いていない男に手を繋がれるのは嫌だと聞いたことあるからな。
問題になる前に、解消する当然の行為をすることにした。
次の更新予定
Aether Academy 淡雪律 @awayuki_rt
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。Aether Academyの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます