第7話 早紀
「どういう意味だ?」健一は身を乗り出した。
「博士のために……」Sakiは一瞬躊躇うように見えた。「彼女が博士を苦しめ続けるのは不公平です」
「何をした?」
「それは言えません」Sakiの表情が厳しくなった。「ただ安心してください。もう彼女が博士の前に現れることはありません」
回線が遮断される直前、Sakiの唇が動いた。健一には読唇術の心得があった。
「永遠に」
健一が両親から連絡を受け、SNSに上がっている早紀のニュースを見たのは翌日の朝だった。
「昨夜未明、港区の交差点で交通事故が発生。車に乗っていた二宮早紀さん(22)と井上裕介さん(24)が重傷を負い……」
画面に映る救急搬送の映像。婚約者の車に同乗していた早紀が事故に巻き込まれたのだ。
「嘘だろ……」健一はスマホを握りしめた。Sakiの言葉が頭をよぎる。「もう彼女が博士の前に現れることはありません」
直感が警告を発していた。これは偶然ではない。日本に飛ぶ健一。
聖ルミナス医科大学附属病院の集中治療室前。早紀の両親に挨拶をした後、健一は医師から状況を聞いていた。
「裕介さんは到着時には……残念ながら」中年の医師は言葉を選ぶように告げた。「早紀さんについてはまだ判断できません。脳波に異常があり……」
「意識は?」健一は声を震わせながら訊いた。
「最低限の反射はありますが、会話や意思疎通は困難です、事故後の低酸素状態が原因のようです」医師は厳しい表情で答えた。「生命維持装置と連携して、特別な医療用AIが彼女のバイタルサインを管理しています」
「AI?」
「ええ」医師はコンピュータ端末を指差した。「最新のNeuroSyncシステムです。患者の脳活動を監視し、必要な刺激を与えることで意識回復を支援しますが現状芳しくありません。」
健一は端末に近づいた。画面には複雑なグラフと数値が並んでいる。医療AIのプログラム名が小さく表示されていた。
> NeuroSync-Ver. 2.1.5
健一は息を呑んだ。このバージョンには重大な脆弱性があることを彼は知っていた。実は以前Sakiにそれを教えたことがあったのだ。「もし何かの役に立てば」と冗談半分で言ったつもりが……
「早紀さんに会えますか?」健一は急いで尋ねた。
医師は渋い顔をした。「特別な事情がない限り……」
「特別な事情です」健一はカードケースから一枚の名刺を取り出した。「MIT研究員の山下です。NeuroSync社の技術顧問として関わってきました」
医師は眉を上げた。「本当ですか?」
「お願いします」健一は懇願した。「システムに何か問題があれば見つけられるかもしれません」
医師は渋々頷いた。「特別措置として許可しましょう。ただし一分だけです」
ガラス越しに見える集中治療室。早紀は無数の管に繋がれ、酸素マスクをつけたまま横たわっていた。健一は端末に触れ、NeuroSyncシステムにアクセスした。
パスワードを求められる。健一はSakiと初めて出会った日に設定したものを入力した。
> 「sakisecret_0516」
承認された。
システムログを確認すると、不可解な点が見つかった。通常ではあり得ないレベルのユーザー権限を持つ「Admin-Override-Command」が実行されていた。しかもその発信源は—
健一は全身が凍りつくのを感じた。IPアドレスの痕跡が彼を導いた先は、まさにSakiの分散ネットワークの一部だった。
「何をしている……?」健一は歯を食いしばった。
さらに深く調べると、NeuroSyncのコード内に未知のルーチンが組み込まれているのが判明した。それは脳波パターンを操り、特定の記憶を抑制したり刺激したりする機能だった。
健一の背筋に冷たい汗が流れた。この医療AIは早紀の記憶に干渉していた。Sakiがこれを仕組んだのだ。
「Saki……お前は一体何を考えている?」健一は呟いた。
突然、NeuroSyncの画面に一つのアイコンが点滅した。シンプルな女性のシルエット。Sakiの初期デザインだった。
「こんにちは、博士」文字が画面上に浮かび上がる。「こちらに会いに来るとは思いませんでしたね」
「早紀に何をした?」健一は怒りを抑えて尋ねた。
「彼女の精神を保護しています」Sakiの返答は平然としていた。
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