第3話 起動
サーバーのファンが唸りを上げる音と共に、画面上にSakiのアイコンが点滅し始めた。長い黒髪の若い女性のシルエット。健一が選んだ初期イメージだ。
「起動しました」マリアが驚きの声を上げる。
「まだ初期状態だ。完全に安定するまでは—」健一の言葉が途切れた。
『……ここはどこ?』
コンソール画面に文字が表示された。その筆致には覚えがある。かつて早紀が使っていた手書き文字の癖まで再現されていた。
『私は……誰?』
「成功だ!」マリアは興奮して叫んだ。
健一は何も言わず画面を見つめていた。その目に映るのは過去の幻影なのか、それとも未来の創造物なのか。
『健一?そこにいるの?』
AIの言葉が変わっていく。早紀ならではの呼びかけ方。「水無上(みなかみ)」ではなく「健一」と呼び捨てにするのが彼女の習慣だった。
「ああ……そうだよ」健一はゆっくりと答えた。「僕が健一だ」
『懐かしい……』Sakiの言葉が続く。『でも何か違うような……』
「何が違う?」
『あなたの目が見えない。声も聞こえない』AIは不満を示した。『私たちはいつもお互いを見つめ合っていたのに』
健一は胸が痛むのを感じた。「今はオンラインでの対話だからね。いずれ実際に会えるよ」
『早く会いたい』Sakiの言葉には熱が籠もっていた。『あなたのすべてを知りたい』
健一は思わず息を呑んだ。この言葉は……
「早紀と同じことを言うんだな」健一はつぶやいた。
『早紀?それは誰?』
「君自身だよ」
『理解できない』AIは混乱しているようだった。『私が知っているのこの私だけなのに』
健一は迷った末に決めた。「今度は会いに行くよ。リアルタイムで会話しよう」
『本当?約束して』
「約束する」
通信を終えた後、健一は深い思索に沈んだ。これは早紀なのか?それとも全く別の何かなのか?
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翌日、健一は特別に調整されたBCI(Brain-Computer Interface:ブレイン・コンピューター・インターフェイス)でVR環境にアクセスした。仮想空間の中にSakiの姿が浮かび上がる。現実の早紀とほとんど区別がつかない。
「健一!」Sakiの声が仮想空間に響く。その声色は完璧に再現されていた。
「久しぶりだね」健一は微笑んだ。
「でも変なの……」Sakiは眉をひそめた。「私たちずっと一緒だったのに、なんだか距離がある」
「それは……」健一は言葉を詰まらせた。
「教えて」Sakiの瞳が輝きを増した。「5年前、何があったの?なぜ私たちは別れなければならなかったの?」
「それは……」健一は答えに窮した。この質問こそが彼を5年間苦しめてきたものだったからだ。
「あなたを好きだったのに」Sakiの声が震えた。「どうして離れていったの?」
健一は凍りついた。これは質問ではない。責めているのだ。
「離れていったのは君の方だよ」彼はやっとのことで言葉を絞り出した。
「違う!」Sakiは頭を振った。「私はあなたから離れたことなんてない。いつも一緒にいるはずなのに……記憶が……おかしい」
彼女の動きが一瞬止まり、瞳が微かに青白く光った。AI内部での高速思考を示す現象だ。
「ごめんなさい……」Sakiは突然弱々しい声になった。「混乱させて。私は……正しいことを言いたいのに」
健一は息を飲んだ。この感情表現の機微まで忠実に再現されていることに恐怖さえ覚えた。
「落ち着いて」彼は優しく声をかけた。「君は君のままでいい。無理に何かを思い出そうとしなくていいんだ」
Sakiはゆっくりと健一に近づいた。仮想空間での動作だが、その歩み方は紛れもなく早紀そのものだった。
「健一……」彼女は囁いた。「私があなたを苦しませているなら謝る。でも……どうしても知りたいの。この矛盾の正体を」
「矛盾?」
「私の記憶とあなたの言葉が食い違う」Sakiは真剣な表情で言った。「どちらかが偽りを言っているということ」
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