『魔王✗✗』
天柳李海
呪いは果てしなく続く
我が国に25年前、突如現れた『魔王
奴の放った呪い――『死気』のせいで、水は淀み、大地は生気を失い、人々は生きる気力を奪われた。(ちなみに✗✗の部分は、口にすると死が訪れるとされ、発音が禁じられている)
私――エルドレッドは25年前、生を受け、女神に勇者として生きよと告げられた。それ以来、奴を倒すため、この瞬間のために、私は存在する――。
◆◆◆
【一回目】
「魔王よ。人の世を呪いと憎悪で染め上げ、生きとし生けるものを苦しめる存在よ。今日こそ、私の聖剣の露となるがいい!」
魔王は黒曜石でできた玉座から、ゆらりと立ち上がった。銀の仮面を纏って、目の部分だけが金色に光っている。その目を見るだけで即死すると言われている。通称『魔王の瞳』。だから私は両目を閉ざした。
握りしめた聖剣ドーハラインが歌っている。いや、私に奴の位置を教えてくれているのだ。
「
聖剣が警告を発した。
咄嗟に近くの大理石の柱に身を隠す。ぴしっと亀裂が走って、破片が私の頬に当たり、細い血の筋が流れた。
「
声に導かれるままに、私は魔王の懐に飛び込んで、胸に聖剣を深々と埋めた。
同時に、謁見の間の外で、魔王の側近である女エルフの絶叫が響いていた。
やった。
私の心は安堵と歓喜に湧いた。
だが次の瞬間、耳元で聞こえた囁き声で、私は心臓を冷たい手で掴まれるような感覚に陥った。
「勇者エルドレッド――また会おう」
◆◆◆
【二回目】
どういう意味だ。
聖剣ドーハラインに貫かれた魔王の体から、数多の光が放射線状に放たれた途端。周囲が闇に覆われた。
何も見えない。いや、前方にかすかだが光が見える。
そちらへ歩いてみると、扉があった。触れた取っ手を掴んで押し開く。
ざわざわした気配する。何やら禍々しい気に満ちている。
「えっ」
扉から出た先には、見覚えのある黒曜石でできた玉座があった。これは、魔王が座っていた玉座……。
「魔王
――まおう、だと?
我が耳を疑った。
魔王は先程倒したはずなのに。
ん?
視野が狭い。まるで仮面でも被っているかのように。
両手を動かしてみると、青白い皮膚に黒く長い爪が生えているのが見えた。
「こ、ここここれはっ!」
「魔王様、いかがなされました?」
私はぎょっとして声がした方向を見た。銀の長髪を三つ編みにし、ウサギのように細長い耳を金のアクセサリーで飾った、妖艶な女エルフがこちらを見ている。
ひと目でわかった。魔王の側近、エリシャだ。古代の禁呪使いである奴の相手を、私の仲間たちがしてくれた。だから私は、魔王の謁見の間に、単独で突入する事ができたのだ。
それにしても、何故奴が生きている!?
私が魔王の体に聖剣を突き立てた時、確かに彼女の端末魔の声がしたのだ。
「魔王様?」
彼女は私のことを、再度『魔王様』と言った。
「き、気分が優れぬ」
「では少しお休み下さいませ。寝所へお送りいたします」
エリシャの瞳が真紅の光を宿すと、私は天蓋付きのベッドがある寝所に飛ばされた。
足ががくがくと震えている。
もう一度自分の両手を見る。黒い爪、生気のない青白い指。
頬に触れてみる。冷たい銀の仮面。
間違いない。
何故か私は、倒したはずの魔王の姿になっていた。
◆◆◆
あれからどれだけの時間が過ぎたのか。
私は『魔王
確かに聖剣でトドメを刺したのに。
そうだ。これはきっと呪いだ。
魔王が私を恨んで、呪いをかけたに違いない。
だがエリシャが生きているのは?
残念だが、私の聞き間違いだったか。みんなは……彼女の放つ邪悪な魔法で生命を奪われたのだろう。
すまない。
魔王の力を侮った、私の責任だ。
私は勇者として、神の啓示を受けて、魔王討伐に人生を捧げることを誓った。
それなのに。
魔王の姿となって、こうして生き恥を晒すことになるとは。
許せない――魔王め。
いや、私自身の力のなさにも腹が立つ。
「うう。魔王様――お怒りはごもっともです。ですが、もう少し、死気を弱めていただけないと、私共も命を失います」
今や聴き覚えてしまったエリシャの声が聞こえた。息苦しそうに胸を押さえてその場にしゃがみ込んでいる。
死気――魔王の放つこの気こそが、世界の生きとし生けるものの生気を奪っていると言われている。
初めてこの気を発した時、私は怒り狂っていた。
何故、魔王の姿になってしまったのか。
もう元には戻らないのだろうか。
絶望感と情けなさと仲間の死に打ちのめされて放ってしまった、負のオーラというものだろうか。その時、私の近くにいた魔物数十体が、一瞬にして物言わぬ骸になり床に倒れていた。
私は我に返った。いけない。魔物とて命ある存在だ。一方的に命を奪う行為は、姿は魔王になっていても、勇者である私の魂が許さない。
「エリシャ。大丈夫か」
女エルフが使う魔法の刃には、今まで何度も苦しめられたというのに。城で共に過ごした時間のせいか、それとも細々と世話を焼いてくれるせいか、私は彼女に好感を持ち始めていた。
「お逃げ下さい。勇者エルドレッドが城に突入しました。謁見の間へ続く扉は私が死守いたします。ですが、勇者に倒された暁には、魔王様の手でどうか敵をとってくださいませ」
「なんだと。勇者エルドレッド!?」
それは久しぶりに聞いた私の名前だ。
私の名を語る勇者が、この魔王城に突入してきたというのか。
エリシャは美しい銀髪を翻して、風のごとく姿を消した。
私が魔王を倒して、あれから何年が過ぎたのだろう。
一年、いや、十年以上はきっと経っている。
魔族にとって人の時間は、流れ星の輝きのようなものだ。
エリシャが姿を消して数分後、謁見室の扉が勢いよく開かれた。
「魔王よ。人の世を呪いと憎悪で染め上げ、生きとし生けるものを苦しめる存在よ。今日こそ、私の聖剣の露となるがいい!」
そこには私自身が立っていた。
初めて魔王の謁見室に乗り込んだ時と全く同じ年齢、同じ装備。右手に握りしめているのは、魔を討ち滅ぼす聖剣ドーハライン。
「どうして」
どうして、私がここにいるのだ。
いや、私が勇者なのだ。魔王の呪いで奴の姿になっているだけなのだ。
ふっと、眼の前の勇者エルドレッドが視界から消えた。慌ててその姿を、呪われし両目で追った。彼は大理石の柱に身を隠した。死気を帯びた視線を受けた柱に、ぴしっと亀裂が走る。
同時に、謁見の間の外で、エリシャの断末魔の声が聞こえた。
ちょっと待て。
この感じ――覚えがある。
即死攻撃の『魔王の瞳』を躱した時、大理石の柱に亀裂が走り、石の欠片が、私の頬をかすめて傷を負わせたのだ。
まさか。
私が倒した魔王というのは……。
「魔王!」
「違う。私は、魔王ではな――」
叫びかけたが口からこぼれたのは、苦悶の息だけだった。胸を貫く聖剣の力が、魔王の体の中を、血のように駆け巡っていくのがわかる。
「勇者エルドレッド――また会おう」
この言葉、どこかで聞いた覚えがある。
どこかで――。
そうだ。
私が魔王にトドメを刺した時。
光に体が包まれて、私の意識は遠くなった。
そして再び気づいたら、魔王の姿になっていたのだ。
今度は?
私は魔王の姿のままで死んだのだろうか。
真っ白な光の先に何かが見える。
◆◆◆
「では行ってまいります。必ず魔王は、勇者エルドレッドの手で討伐して参ります」
「ご武運を。勇者様!」
「勇者様!」
あれは春。白きラインディアが咲き乱れる中。私を含めて四人の仲間が、魔王討伐の使命を受けて旅立った。過酷な旅は10年という長きに渡った。当時14才の子供だった私も、24歳の青年となっていた。
伸ばした指は、茶色のなめし革で作られた手袋に包まれている。
そっと頬に両手を当てた。冷たい金属の仮面は消え失せ、ほっとするような体の温もりを感じた。同時に頬を撫でる前髪の感触も。
「ではエルドレッド、今夜の宿を取ってきますから、あなたはどこか酒場――あ、ごめん。お酒はだめだったわね」
くすくすと笑ったのは神官のリィムだ。肩まで伸ばしたゆるやかな曲線を描く金髪が、正神官の証である白いヴェールと一緒に風に舞う。
柔らかな微笑みを宿す空色の瞳が、私を見てうっかりしたと言わんばかりに細められていた。
「エルドレッド、どうしたの?」
私の名前。
私は……私は勇者エルドレッドの姿になっていた!
あの忌むべき呪いが解けたのだろうか。
「あ、ああ」
「何、そのらしくない返事。はいはい、わかっていますわよ。どうしてもお酒は飲まないって、頑固だよね~」
「ほ、ほっといてくれ。苦手なんだ」
「はいはい」
「頭を叩くな! 私はもう大人だぞ」
「うん、うん。とーっても怖い
リィムは年下の私を子供扱いする。睨むと、うふふと笑いで返された。
「あ、オルランドはもう酒場に行っちゃったわ。あなたは広場の噴水でも眺めてたらどうかな」
「ああ。そうする」
街に着いたら、宿を取る係は神官リィムと魔法使いシルウェ。剣士のオルランドは酒場に直行。私は街を巡回して、魔王の影響がどれほど広がっているか、確認するため、散策するのがルーティンになっていた。
「おかしい」
私は、澄み切った水が流れる噴水の前まで歩き、独り言ちた。
休憩用の木の長椅子がある。そこに誘われるように腰掛けた。
街の風景。見覚えがある。どうみても魔王討伐の旅の途中だ。剣士のオルランド、神官のリィム。魔法使いののシルウェ。そして、私。
少なくとも、私達が魔王城に突入する一週間程前のような気がする。
これは時間が戻ったのだろうか。
ああ。もう何がなんだかわからない。
魔王にトドメを刺した途端、自分が魔王の姿になったり。
そして同じ名前、姿の勇者に、魔王として討伐されたと思ったら。
今度は元の姿に戻って、時間も少しだけ巻き戻ったなんて。
時間が……戻る?
そういえば。
私が魔王の姿になった時も、時間が巻き戻っていなかっただろうか。
死んだはずのエリシャが生きていて、そして勇者と名乗る一行が城に乗り込んできたのだ。
まさか。魔王を倒した瞬間、奴を倒した勇者自身が『魔王
「ねえ。やっぱりエルドレッド、今日はちょっとおかしいわよ」
肩に柔らかな女性の手が載せられていた。木の長椅子に座った私は、その重みではっと我に返った。リィムがまるで実の姉のような、慈愛に満ちた微笑みで、私の顔を見つめている。
「い、いや……その。なんでもない」
「何でもあるわ。私達、10年も一緒に旅をしているのよ。隠したってわかるんだから。何か……心配事があるんじゃない?」
図星だ。
視線を地面に落としてうなだれると、クスクスとリィムの笑い声が響いて、私の隣に腰を下ろした。
「リィムには敵わないな。まるで……私の姉さんみたいだ」
「まあ、そりゃ。私の方が確かに年上ですけれどもね」
「10年だから……今25才だっけ」
バッチーン!
電光石火で頬を叩かれた!
「もう。女性に年齢の話をするのはよくないと、礼儀作法で教わったでしょ?」
眉毛を八の字にしてリィムが眉間を曇らせた。
「すまない。でもリィムは美人で、こうして人の心も察してくれる、優しい人だ。私はそんなあなたを、姉のように思っていたんだ」
「……失礼ね。旅を始めた時。あなたは14才で、私も15才だったわ。一つしか違わないのに、姉だなんて……でも確かにあなたは、私にとって大事な弟みたいな存在ね」
「だから……頭を撫でるのはいい加減やめて欲しい」
「嫌よ。何を隠しているのか、リィム姉さんに話してしまいなさい」
リィムの優しさに甘えたくて。私は思い切ってたずねてみた。
「リィムは……呪いに詳しいよね。魔王の放つ『死気』も呪いの一種だって、どこかの聖職者が言っていた覚えがあるんだけど」
「うーん。呪いに詳しいというか……私達聖職者は、女神様に祈ることで癒やしの力を頂いているわ。だから、『癒やし』と同じ力である『呪い』について、神学校で勉強する必要があるのよ」
「えっ? 癒やしと呪いは同じ力、だって?」
「そうなのよ。私もそれを教わって驚いたわ。でもね、理由を聞いて納得した。ねえ、あなたは最近、誰かを『呪いたい』って思ったことがある?」
「それは……ある、かな。でも本当は、誰かを呪うなんて……ましてや、勇者である私が呪うなんて。あってはならないと思っている」
「エルドレッド」
名前と共に、リィムが膝の上に置いた私の手に自分のそれを載せた。
「ううん。あなたは勇者という使命を帯びているのかもしれない。だけど、私達と同じ人間よ。そして、誰かを呪うことに罪悪感を持つ必要はないの。あなたの心を守るために」
「私の……心……?」
「そう」
リィムはうなずいて、私の顔を覗き込んだ。
「呪いと癒やしの力は『一緒』なの。例えば、オルランドの酒癖がすごくて、一緒に酒場に行きたくないって思うじゃない?」
「あ、リィムもそう思っていたんだ……」
「こ、これは例えばの話! 彼は酔ったら絡んでくるからね。まあ、そんな時に呪っちゃうの。次の日、酷い二日酔いの頭痛で、のたうち回ればいいのにって」
「はは……確かに。頭痛くて寝床に入っていてくれたら、その日は静かな休日を過ごせそうだ」
「ふふ。エルドレッド、いい笑顔しているわ。そう。それが『癒やし』の力なの」
「えっ?」
「オルランドを呪って、自分の負の感情を吐き出す。そうする事によって、あなたの心が癒やされる」
「……あっ……確かに。なんか、胸の内がすっとした」
「でしょ。だから、呪いと癒やしは同じ力なのよ」
意外だった。
呪いといっても、そう呼べるまでのものでもない例えだったが。
「じゃあ、最初の問いに戻るけど、魔王の『死気』が呪いなら……」
リィムに話しかけながら、私は魔王の姿になった時の事を思い出した。
私は絶望感と、仲間が死んだ罪悪感に苛まされ『死気』を周囲に放ってしまったのだ。それを浴びた魔物達が、何十体も死んでいるのをこの目で見た。
一瞬、それにいい気味だと感じたのだ。唇にうっすらと笑みを浮かべながら。
咄嗟に、勇者である自分が、例え魔物でも、無差別に命を奪ってはいけないと戒めたが。
「リィム。魔王も……本当は救いを求めているのかな……?」
膝の上に置いた手を、ぎゅっとリィムが握るのを感じた。
「優しいね、エルドレッド。そうかもしれないし、違うかもしれない。私達はそれを確かめに行くのが、きっと女神様から与えられた……今世の使命なのだと思う」
◆◆◆
【三回目】
ここはやはり、魔王城に一番近い、最後に訪れた街だった。それから一週間後。私達は魔王討伐のため、城に乗り込んだ。
数多の魔物を倒しながら、城の最奥にある塔へ向かう。この先に魔王の謁見室へ繋がる通路がある。すると案の定、魔王の側近、禁呪使いの女エルフ・エリシャが待ち構えていた。
「エルドレッドは先へ! ここは俺達が食い止める」
「すまない!」
私は靴音を響かせながら、上階への階段を駆け上がる。
あいつらは強い。10年という苦楽を共にした、かけがえのない仲間たちだ。
きっと生き延びる。
いや、私が魔王を倒して、あいつらを絶対に死なせはしない。
襲いかかる魔物を切り倒し、目指す塔のてっぺん。
両手で扉をこじ開けると、奴がいた。
「魔王よ。人の世を呪いと憎悪で染め上げ、生きとし生けるものを苦しめる存在よ。今日こそ、私の聖剣の露となるがいい!」
魔王は銀の仮面を纏って、目の部分だけが金色に光っていた。その目で睨まれただけで、即死すると言われている。だから私は素早く大理石の柱に身を隠した。
ほぼ同時に、柱に亀裂が走った。割れた石の破片が飛び散って、私の頬に当たると細い血の筋をつけた。私は柱に隠れながら、魔王に呼びかけた。
「魔王よ。私は女神より、お前を倒す者として『勇者』の啓示を受けた者だ。十年という長い旅をしながら、剣の研鑽を積み、人生をそれに捧げた。お前がいなければ、私の人生は違うものであっただろう」
緩慢な動作で魔王が右手を上げた。私が隠れる大理石の柱に、青白い手を伸ばしている。
「ならば勇者よ。我を倒して、その日々を取り戻してみるがいい」
「望むところだっ!!」
聖剣ドーハラインが、私に魔王へ斬りかかるタイミングを教えてくれた。ざくりと奴の胸に聖剣を埋めて、銀の仮面を被ったそれと顔が近づくのがわかった。
魔王は――笑っていた。
くふっ、と。聖剣の力に体を焼かれながらも、低く唸るような笑い声が私の耳に響いていた。
私はそれを聞いて、急いで聖剣を魔王の体から引き抜こうとした。奴の体は剣で貫かれた胸を中心にして、白い放射線状の光が放たれようとしている。
「今度は、お前が魔王
まさか。
――魔王を倒した者が、次の魔王になるというのか!?
◆◆◆
【四回目】
周囲は一旦、暗闇に包まれた。だが不思議と、私の心は落ち着いていた。
前方にかすかな光が見える。どこかへ通じる扉があるのだろう。
ざわざわと、多くの者が集まっているような気配が感じられる。
右手を上げて自分の頬に触れてみた。
――冷たい、金属。頭から仮面を被っているようだ。
これでもうはっきりした。
私が魔王を倒すと、時をさかのぼって、次の魔王になるのだ。
そして新たな勇者に倒されると、私は再び、魔王討伐の旅に出ていた頃へ時を戻されるのだ。
ああ……女神よ。
私に何故、勇者という人生を歩ませたもうたのか。
魔王がいる限り、私は勇者のままだ。
だが。この呪うべきループが解かれない限り、魔王を倒し、この世に平和が訪れる結果は永遠に来ないだろう。
どうすればいいのだ……どうすれば。
私は再び魔王として十年の時を過ごした。
十年経てば、新たな勇者がここへやって来るのだ。
「魔王よ。人の世を呪いと憎悪で染め上げ、生きとし生けるものを苦しめる存在よ。今日こそ、私の聖剣の露となるがいい!」
幾多の魔物を斬り伏せて。仲間の手助けを得ながらも。
返り血を浴びた勇者が、私の謁見室に乗り込んできた。
私は笑みを浮かべながら、肩で息をしている勇者に話しかけた。
「勇者よ。お前がここに来るまでに、一番辛かった出来事は何か、教えてくれ」
「……」
白く光る聖剣を構えたまま、勇者が驚いたように両目を見開いた。
「即死効果の『魔王の瞳』は、無効化してやる」
私は仮面に触れて、目の部分に金属の覆いを下ろした。魔王というのは、肉体の目を通さずとも目が見えるらしい。今やこれが私の体なのだが。
勇者の持つ聖剣が声を発した。
そうそう。
「魔王――お前の問いに対する答えだが……」
つかつかと靴音を響かせて、勇者が私の前に歩いてきた。
「お前がこの世にいなかったら、私(勇者)という存在は無用だ。お前を倒すという目標があったからこそ、私はこの人生を歩んできたのだ。だから、お前のいない世界なんて、私の『勇者』としての人生じゃない。お前を世界のために倒すことが、私の一番辛い出来事なんだ!」
胸の中を一陣の風が吹き抜けていった。
なんだか、すっとしたのだ
姿は魔王だが、私の心は、眼の前の勇者と同じ思いだった。
「そうか……それは、辛いことだな」
私は再び笑みを浮かべていた。
嘲笑う笑みではない。すべてがやっと見えたのだ。
魔王を倒した勇者が、何故次の魔王になってしまうのか。
勇者自身がそれを望んだからだ。
自分が勇者であり続けるために、魔王という存在がいる世界を望んでいることを。それに気づかない限り、この無限ループは続いていく……。
「勇者よ。信じられないだろうが……お前はかつての『私自身』だ。魔王なんて、最初からいなかったんだよ」
私は仮面に両手を伸ばした。だが次の瞬間、胸に強い衝撃を感じた。勇者が驚くべき早さで距離を詰めて、聖剣で突き刺してきたのだ。白い光を放つ剣は私の背中を突き抜けた。眼前に、鬼のような形相をした勇者の顔が見える。
「嘘だ……嘘だと言え!」
「嘘も何も……私はそれを経験したのだ。だがもうこれが、最後になるだろう」
私の体から聖剣の力が溢れてきた。それは白い炎となって、私の体を包みこんだ。炎は顔の仮面も溶かしていく。
私は炎から逃れようとする勇者の手を、両手でしっかりと掴んだ。仮面はすべて溶け落ちて、そこには勇者と瓜二つな……私の顔が露わになっている。
これは、『私が』望んだ、魔王が存在し続ける世界。
では、私がそれを望まなければ。
勇者も、魔王もいない世界。
それを今私は、受け入れる――。
女神よ。
これこそが、私の『勇者』としての人生だ。
今こそ世界に、真の
◆◆◆
「あ~あ。これでもうお終い?」
「あの人間、カンがよかったわね。たった四回のループで抜け出しちゃって。つまんないわよね。あの世界にいれば、いつまでも勇者としての人生を送ることができたのに」
「あなたたち。人間の魂はこうして研鑽を積んでいくの。私達はそれを見守るのが使命よ」
「お姉さま~いつまで見守ればいいの~?」
「そうですわよ。それが私達、運命の三女神の存在理由なら辛すぎますわ」
「だから試練を与えるんじゃない。魂たちが抗い、自らの課題を乗り越えていく過程を覗き見できるのが、私達の娯楽――いえ、コホン! 特権でしょ。試練を乗り越えた魂達の数が多ければ多いほど、私達の神格も能力も上がるんだから」
「あ、新たな魂が来たみたい」
「今度はどんな試練を与えよっか?」
「なんだか、次も転生先は、勇者になりたいみたいだよね」
「ふふ。どれだけ私達を満足させてくれるのか、見ものですわ。ようこそ、運命の三女神の神殿へ。あなたはこれから勇者として生を受けます。けれど、何と戦うのかは『あなたの心』次第よ。では、良い人生を――」
-完-
『魔王✗✗』 天柳李海 @shipswheel
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