第6話 お見舞い

 血の混じった弁当を食べたことや、稀歌の過去を知った心労あるいは寝不足からか、俺は体調を崩した。しかし内心で喜ぶ自分がいた。体調不良で学校を休めるおかげで、稀歌と顔を合わせずに済むからだ。


 まだ腹の奥からは気持ち悪さが消えないし、眠気が来ても稀歌の過去を思い出すたび動悸がして寝つけない。

 じりじりと精神を削いでいくような苦しみに苛まれながらも必死に耐え忍んでいると、唐突にスマホが通知を鳴らした。


 ……嫌だ。見たくない。


 そう思いながらも、仕事中の両親からの連絡かもしれないと思うと見ないわけにはいかなかった。

 確認すると──稀歌からだった。


『体調大丈夫?』

『大丈夫。熱とかはないから』

 すぐに返信。

『お見舞いに来たの。お家に入れてもらうことってできるかな?』


 心臓が飛び跳ねた。思わず上体を起こしてカーテンを少し開けてみる。

 家の門の前に稀歌の姿があった。

 目が合った稀歌が控えめに微笑みながら俺に向かって手を振ってくる。こうなっては、招き入れないわけにはいかなかった。


「本当に体調は平気? 食欲はある?」

 俺の部屋に入って来た稀歌は、ベッドの傍に置いたゲーミングチェアに腰を下ろしながら尋ねてきた。

「大丈夫だよ。食欲は……あまりないかな」

 手作り弁当を思い出して再び胃が気持ち悪くなる。けれど稀歌は言った。

「そんな、軽くでもいいからなにかお腹に入れないとだよ。私、リンゴ買ってきたから剥いてあげるね」

「いや……うん、ありがとう」


 咄嗟に断りかけて、しかし剥いたリンゴなら変な細工はできないだろうと言葉を引っ込める。

 とにかく早く帰ってほしい、その気持ちしかなかった。


「ねえ和希くん、申し訳ないんだけどお家の包丁を借りてもいいかな?」

「あ、うん、もちろん」

「ありがとう」


 場所を教えると、稀歌は包丁を持って戻ってきた。それからまた椅子に座り直してリンゴの皮を剥き始める。

 拙い手つきで、絆創膏だらけの指で、稀歌は包丁を操る。

 ぞり、ぞり、ぞり、と包丁の刃が赤いリンゴの皮を削いでいく。

 不意に通り魔事件のことが脳裏に浮かぶ。

 雁来と佐川は包丁で顔に酷い傷を負わされた。まるで目の前のリンゴのように皮を削がれでもしたのだろうか……。

 途端に稀歌の手に握られた包丁の切先が自分に向けられる映像が浮かんで身体が強張る。俺は頭を振ってそれを振り払った。


「ねえ、和希くん」

 包丁に目を落としたまま稀歌が言った。

「嘘、ついてないよね?」


 肺が凍ったかと思うほど、息が吸えなくなった。

 どうにか気取られないよう平静を装いつつ、俺はぎこちない微笑をたたえる。


「え、なに、嘘って」

「昨日のお弁当のこと。本当は美味しくなかったのに、無理に美味しいって言ってくれた?」

「そんなことないよ、本当に美味しかった」

 美味しいわけがなかった。あんなの、人の食べ物じゃなかった。

「ほんと? ならよかった」

 包丁を置いた稀歌が、爪楊枝を刺したリンゴを笑顔で差し出してくる。

「和希くんは嘘なんてつかないもんね。出逢ってからずぅーっと、私に嘘をついたことなんて一度もないもんね?」

「な、ないよ、ない、あるわけない」


 差し出されたリンゴは、味がしなかった。

 俺は確信した。

 稀歌は気づいているんだ。俺の嘘に。


 ── 怒るとこわいところもあるけど。

 ── 中学時代、稀歌と付き合った男子がふたりいたけど、二人とも死んでしまった。


 ……終わりだ、俺は。

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