第2話 白いお医者さん

 

 「おはようございます。先生、お久しぶりです」


 別にデートでもクリパでもなく。

イブに私が赴く先は、病院である。それも大病院。

私の場合は年一の対面診療の予約日。

めでたくもメリクリの行事はこれだけだった。


「はい。おはようございます。どうです、お変わりないですか?」

 一年終わりの、たいてい今頃。

私は主治医の御尊顔を拝しに来る。

場所はいつものA診室。他より広めの角部屋だ。

「はい。おかげさまで」

 常識的な人と話すのは気が休まる。

 主治医とは十年はお付き合いする約束なので、

今日が十分の三回目になる。

「じゃあ、早速こちらに掛けてください」

 そして向こうは私の顔だけでなく、毎回手術痕の方も見てくれる。

もちろん、互いにプレゼントなんて渡さない。弁えてるんで。

「では。触りますよ」

 私はサッサとブラのフロントボタンを開けていた。

ホックではない、通院に適した下着だ。

「…うん。きれいに治りましたね」

 ――執刀された先生の腕がいいからですよ。

 ここはそんな風に返すべきなのかな。

けど、メス捌きって褒めれて嬉しいの?

それに、手術中の記憶はない。当たり前だけどね。

「腋も触りますね」

「はい」

「うん。…大丈夫ですね。傷跡も柔らかくなってるし」

 ブラのボタンを留めて、目視と触診は終了。

 ボタンは五つ。某ファストファッションのサイトで、

このブラを見付けた時は嬉しかった。

 医療用の下着というのはどこか味気ない。

値段的にも誠に可愛い気がなかった。

 何より、一般商業市場から閉め出されたような、半端ない疎外感。

だからフツーにリアル店舗で当たり前に取扱われ始めて、感激した。

 一般衣料と並んで売っている。 他のブラとかと一緒に。

 ――きっと、あちこちに仲間がいるんだ。

それで向こうから私を見付けてくれた。

 そんな風に思えた。


 (昔は、同じ下着でも補正機能とかを求めてたなあ)

 輸入モノとかも好んで買っていた。

やたらこだわっていた時代もあったのに。

 既に遠い日々。隔世の感がある。

 

「かかりつけでの各種検査の方も、順調ですか?」

「はい。最近はもっぱら雑談ばかりです」

「ははは。それはよかった」

 かかりつけというのは、普段診てもらうクリニックのことだ。

そこで薬を処方してもらっている。他にも血液検査やマーモ、

エコーなんかもそっちでやってくれる。

 主治医の病院は大規模で、手術や高度医療等の専門的処置に

特化した基幹病院だ。

だから何処でもできることは、ここではやらない。ヨソで済ませる。

 よって、ここでは手術が済んだら速やかに退院。

そして、後は即実家に…じゃない、かかりつけへと戻される。


「よかった。リンパにも転移してたから、心配してたんですよ」


 うん。

 先生、そこは『微小転移』でお願いします。

よりソフトな用語の方で。インパクト、強いんで。

 まあ、それでもかかりつけ医よりかは百倍マシである。

いや、千倍か。

 お試し検査用でたった一つしか取らなかったリンパなのに、

私は術後細胞検でまさかの微小な転移が見つかっていた。

 肉眼では判らない程度のミリ単位。

リンパを切り刻んだら出てきたらしい。

 切除した腫瘍自体がビー玉クラスだったので、主治医達も

びっくらこいたみたいだ。私はもっと吃驚した。

 あのかかりつけ医でさえも驚いたらしいし。

ちなみにかかりつけ医はここのOBで、主治医の前任者にあたる。


「変えてもらった薬の方も、その後順調ですか?」

 主治医は、患者とのトークひとつにも配慮をしてくれる。

「きちんと飲めてます?」

「はい。ありがとうございます」

 私はホルモン剤を十年は飲まねばならない。

最初にかかりつけで処方された薬は、二年目にしてエグイ

副作用が出た。それで別系統の薬にチェンジしたのだ。

「手の強張りはなくならないけど、マシにはなりました」

 私は簡潔に主治医に伝える。

 嘘ではない。少なくとも日中は忘れていられるレベルだ。

痺れはないし、物も持てれば字も書ける。

 それに、ホントに困っているのはそこじゃなかった。

「手の強張りはね、実はあるあるなんですよ」

「そうなんですか?」

「ええ。十人に一人…あるなし、かな。ごく普通のことです」

 十人に一人。一割であるある、なのか? 

普通って、せめて三割超えくらいを言うのでは?


(まあ、医療者の感覚は私のとは違うからなあ)


 個人的には、肉の抉れた手術痕をくよくよ気にしていた時期も

あった。が。主治医的にはノープロブレム。

そこには認識ギャップが存在していた。

 まあ当然か。幸い、私は深刻な患者ではない。

つまり、ほぼ九割方以上の確率で死なないカテゴリーに入る。

 元気に生きてて、普通に日常生活を送れてる。それが大事なのだ。

もう左右どちらを下にして寝ても構わないし、

どっちの肩でも荷物を持てる。

採血やワクチンの時だけ気を付けて、自己申告で左腕にしてもらえば

いいだけだ。

 何ら支障はない。だから、これ以上を望むべきではない。


「では、また来年。予約を入れておきますから。

私とも雑談しに来る感覚でいらしてくださいね。」

 マスク越しの、のっぺりしたうりざね顔。

主治医の顔は白くてふっくらしている。

何となく既視感のある、親しみを持てる顔だ。

「はい。ありがとうございました。先生も皆さんもよいお年を」

  

 私はA診室に別れを告げた。



 (うわ。―こんなんで、経営ダイジョウブ?)

 会計を済ませたら、目が眩む程安かった。

 毎度ながら心配になる。

いくら三分診療でも、もうチョイ取ってもいいと思う。

有り得ない。最低五分くらいはA診室にいたと思うし。

 今ドキ珈琲だって、ワンコインでは飲めないだろうに。


(ココがなくなったら困る…)

 

 かつて、ここは地域一番店…もとい、一番の病院だった。

 学校以外でも統廃合が進み、街の準大手病院二か所が合併して

巨大な医療拠点が誕生している。それで、規模の面では抜かれたのだ。

業界再編により今までの最大手がその座から陥落…した状態かな。

なので、もうここは地域最大の病院ではないそうだ。


 だが医療従事者のクオリティは、依然としてこちらの方が高い。

それもダンチで。だから、迷わずに人生初の入院手術をここに決めた。

 

 まあ私のかかりつけ医がここの出身だったのもある。

 それに仲の良い友達がちょくちょく入院していて、

時々お見舞いにも来ていた。転職して看護師になった友達が、

最初の数年間を勤めた修行先でもある。

 だから私の中では不動の信頼感が醸成されていて、借りもの

みたいにしても愛着があった。かなり一方的な「好き」だ。

 でも、この感情があるから乗り切れた。

 今もここは地域最高峰病院だ。私はそう思っている。


『あなたには抗がん剤は必要ないと、私は思います』

 細胞検の後、主治医が力強くそう言い切ってくれたから、

私は速やかに日々の暮らしに戻れたのだ。


 

 ド平日のクリスマスイブ。

外は季節外れの暖かかさで、あんまり冬を感じない。

 三年前はすごく寒かった。退院して同じ正面玄関から

帰る時は、もっともっと寒かった。

 あの時、たぶん私は震えていたんだろう。


 





 




 

 

 




 



『うん。これで、大きな峠は越えたな』

 この秋、定期検査でかかりつけ医に言われていた。

『…そう、なんですか』

 そうだったんですか。

初耳だ。え? 何、ソレ? 聞いてないけど?

『そう。ヤバい人は、概ね三年で再発するからね。

まあ、もう大丈夫でしょう』

――私はそんなとこを登ってたのか。

 そりゃあ、自主的に詳しく調べなかったのは自分である。

薬のこととか、再発リスクとか。

だって。もうあれ以上は、知りたくなかった。

いつもの検査に行って、突如発覚して風雲急を告げたから

もうそれ以上の情報はお腹いっぱいだったのだ。

 エコー検査の途中で、技師さんが「え」と叫んで、

ドクターの許へ駆けて行く。

ああいうのは、もういい。


 友達にも相談しなかった。

たぶん自分でも考えたくなかったんだと思う。

一人だけ、頼った相手は以前の職場の先輩だ。

同じ病気を克服した人だから、何かと相談に乗ってくれた。

どんなに心強かったか。

 再検査には独りで臨んだ。

独りで告知を受けに来たと思われたようで、

入院先の病院の看護師さんに気を遣われた。

とっくに、かかりつけ医で告知されてたんだけどね。

独りで入院した。

手術前説明日だけは誰かと来てくださいと言われて、

家族を呼んだ。手術当日と退院日には迎えに来てくれた。

それでじゅうぶんだ。


 遺伝子検査も受けず、検査スケジュールを黙々とこなして

手術を受け、既に確立している標準医療だけを淡々と続けた。


それで私は、自覚のないまま峠越えをしたらしい。


知らない権利を選んだんだから、それでいいじゃないかと思う。




 




 

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