不燃物収集日

秋犬

A broken dish

 俺の自治体の不燃ごみは土曜日に回収になっている。だけど、俺は土曜の朝は家にいないのでここしばらく不燃ごみを出していない。


「じゃあ金曜の朝に出せば?」

「それだとうるさいジジイがいるんだよ、袋に『分別のルールは守りましょう』ってデカデカ書いたシール貼ってさ」

「どこにでもおるんやな」


 そう言ってわたるは笑う。こっちは笑いごとじゃないんだけどな。半年前に割ったマグカップがまだ袋に入って玄関に放置されているけど、亘はそんなこと知ったことではないのだから仕方ない。


「だから、来週は来ないよ」

「そんなこと言わんといて。もうすぐ金曜ロードショー始まるから」


 亘は大して片付いていない部屋の真ん中にあるソファテーブルに、俺が買ってきた惣菜を並べている。仕事が終わった俺がまっすぐ亘の部屋に来るのがだいたい二十時前後なので、そこからプレミアムなフライデーを楽しむというのが一応の建前だった。


「いいよ、どうせジブリだろ」

「金曜日の夜にジブリを見るのが、昔っから日本人の決まりやないか」

「そんな花火大会みたいに言われても」


 渋々ソファに座ってだべっている内に、映画が始まった。今週はアニメか。


「ジブリやなかった、新海誠や」

「似たようなもんだろ」

「全然違うやろ」


 何気なく映画を観ながらあれこれ言っているうちに、ビールが進んで惣菜がなくなる。そして亘の部屋にあるグラスで手製のハイボールを飲んでいるうちに何だか映画とかもうどうでもよくなってくる。


「テレビでやる映画なんて銃でズバズバやる奴か、アニメか、女が見る奴かのどれかしかないだろ」

「カズはほんま人生の解像度低いな。そんなんだと一生彼女できへんで?」

「彼女? 作って良いのか?」

「ええよ、別に」


 そう言いながら、亘は酒ではなく俺を欲しがる。結局俺はそれらの映画の結末をあまり知らない。なんか狼に変身する奴が彗星が落ちてくるのを阻止するんだっけ? あ、それはアルマゲドンか。


「言ったな。マジで彼女作るぞ」

「こんなことしている男が、作れるかどうか見物やけどな」


 そうして亘と俺は毎週、最高のフライデーを迎えることになる。先に告白してきたのは亘だ。学生演劇の懇親会でぽつんと隅っこに座っていた男に話しかけて、気がついたらこんなことになっている。亘が男しか好きになれないこと、どうしても気持ちが悪かったら二度と会わないから返事を聞かせてほしいということ。俺は大の男があんなに震えて話をしているのを見たことがなかった。ああ、だからこいつは実家にも地元にも帰らないんだって思ったら何だか放っておけなくなった。でも一応返事は保留にしておいた。


 それから、何だか俺の方が亘のことを気になって仕方がなくなった。そしてとりあえずよくわからないけど交際っていうのをしてみるか、となってこうなっている。学生の頃からだからもう四年になるか。俺は俺のことを好いてくれる亘がどんどん好きになっていた。だから俺も精一杯「彼氏」って奴をやってみることにした。演じるのは昔から慣れっこだった。


「じゃあ、やめるか?」

「やめたくないくせに」


 正直、俺はそれまでの人生で男に求められるなんて思ってもいなかった。多分関係的には俺は男役で、亘は女役だ。でもただ互いに触れあって、それだけだ。それ以上のことは興味がないわけでもなかったけれど、俺は何となく亘とは「そういうこと」はしたくなかった。


 テレビの中では、映画はとっくに終わってもう別の番組が始まっている。別に見てもいない番組を亘は消した。それが俺たちのベッドへ行く合図だった。そうして一回本格的に身体を重ねて、それからシャワーを浴びて寝る。亘は俺の身体に目一杯すり寄って、そうして安心したように眠る。それがいつもの流れだ。


「今週もお疲れ」

「お疲れさん」


 亘はたぶん、とても良い子だと思う。学校だと通知表に「手のかからない子です」って書かれるようなタイプだ。素直だし気が利くし、だけどどこかでしっかり心に鍵をかけている。そんな亘が俺の前だけで良い子の鍵を外してくれるのが、俺は自分が認められるみたいで嬉しかった。


 そんな風に互いに入れ込んでしまったので、俺も亘もそれぞれの仕事を持った後も「週に一回は会う」という決まりを作ってこうして俺は亘の家へ通っていた。そして会社の愚痴などくだらない話をして、亘と一緒に寝て、一緒に朝飯と昼飯までを食うのがいつもの流れだった。学生じゃあるまいし、俺は一体何をやってるんだって思ったけどズルズルとこの関係を続けてきてしまっている。


「でも本当に、このままでいいのか?」

「別に誰にも迷惑かけてないんやし」


 俺が亘を好きなのは、多分亘が俺の前では演技をしないからだと思った。そして俺のことを本気で見てくれる。学生演劇なんて俺からすればほとんどヤリサーみたいなもので、あちこちでいつも寝ただの別れただの話ばかりしている。その輪に積極的に入らない亘は、俺の中で何となく「真実」みたいなものだった。


「うう、流石に十一月近いと寒いな」

「来週には厚い布団だそか?」


 そんな風にして、亘は俺の腕の中で先に寝息を立てた。俺はその日、結局あの玄関に放置したマグカップいつ捨てようかというくだらないことを考えながら寝た。


***


 その年も暮れにさしかかり、俺は帰省しろという親の電話にどう断るか考えていた。別に俺は帰省してもいいのだが、亘は違う。本人の話だともう地元に戻る気は一切ないらしい。だから俺は毎年正月を亘と過ごしていた。


 大晦日は一緒に二年参りに出かける。人ごみの中を泳ぐようにお参りをして、帰ってきたら事前に買ってきたオードブルを摘まみながらニューイヤー駅伝を見て、すごろくの代わりにみかんを食べながら桃鉄をやる。あとはサブスクでマイナーな映画を観たり箱根駅伝を見たりして、合間にセックスをする。それがここ数年の俺たちの年末年始だった。


 親に亘と付き合っていることはもちろん言えなかった。俺が男と付き合ってる、なんて言えば卒倒するに決まっている。ただでさえあれやこれやとうるさい家族だったから、少しそうっとしておいてもらいたい。俺だってもう、子供でないのだから。


 それはそうと、年末なので俺は少しだけ自分の家の片付けをすることにした。最近は忙しかったので部屋が荒れ放題だ。台所には洗ってない皿、洗濯カゴには洗濯もの、そしてベッドの上には脱ぎ散らかした部屋着とコート。まるで無秩序な部屋に少しだけ意味を与えようと、俺はとりあえず洗濯機を回す。その間に台所を片付けよう。そう思って汚れた皿を持った瞬間だった。


 ガチャン


 あ、やっちまったと俺の腹の底が冷える。安物のどうでもいい皿だったけれど、それでも間違って皿を割ってしまうのはいい気分がしない。俺はシンクに散らばった破片を集めて、ビニール袋に入れて口を縛った。


「ごめんな」


 自然と口から出た謝罪に俺は苦笑する。一体誰に謝ってるんだろうな。俺はビニール袋の上からその辺にあったチラシでぐるぐる巻きにして、更にビニール袋に入れた。これで割れ物として捨てることが出来る。半年前に割れたマグカップの脇に皿の破片の入った袋を並べて、俺はふと亘のことを思い浮かべた。


「ごめんな」


 そして、もう一度更に謝った。そのとき俺は皿の供養より、亘の方が大事だって思った。


***


 クリスマス当日は仕事で一緒に入れなかったけれど、俺はその週の金曜日きっちりに亘の家を訪れた。安くなったチキンとスパークリングワインで数日遅れのクリスマスを祝う予定だった。でも、亘の家の中は何だか妙に片付いていた。


「なんだ、お前も大掃除したのか?」

「カズ、そこ座って」


 やたらと他人行儀な亘に、俺は何かサプライズでも仕掛けられているのかと思った。大仰なプレゼントがある、とか人生の重大発表がある、とか。俺はテーブルに荷物を置いて、ソファに座った。


「あんな、俺、あれから真面目に考えたんよ」

「あれから?」

「お前が彼女作る言ってた話。どうなった?」

「は? どうにもなるわけないだろ?」


 すっと腹の底に嫌なものが溜まっていく。これは、俺の知っている亘ではない。


「でも俺、真面目に考えた。俺がお前のこと縛ってる思ってたから……」

「なんだ、そんなこと考えてたのか。心配するなよ、俺はお前のこと好きだから」

「だから、登録してみたんよ。マチアプ」

「は?」


 俺の知らない亘は、俺の知らない話を始めた。


「そうしたら、俺のこと本気で好きやっていう人と会った。俺もそこまで本気にするもんやないって思ってたのに、気がついたらどんどん好きになってきた。カズのしてくれないこともいろいろしてくれる。ああ、この人本気なんやって安心感があった」


 やめろ、やめてくれよ。そんなこと言うの。


「カズ、本当は女の子と付き合いたいんやろなってずっと思ってた。こんな俺なんかとどうして一緒にいてくれるのか、本当にわからなくなってきて。最初は俺も好きな人と上手く過ごせて嬉しい、って思ったよ。でも、カズはどうなん? 俺と一緒にいて幸せか?」


 俺は何も答えられなかった。俺の幸せ、そんなのはわからない。亘は、俺といれば幸せじゃなかったのか? 俺は亘に掴みかかった。俺よりも亘を幸せにするとかいう知らない奴にも怒りが沸くし、そんな奴に亘が抱かれてるだなんて考えたくもなかった。


「じゃあ、何だ!? 精神的な繋がりがあればいいって言ってたアレは嘘だったのか? 結局ガチホモのおっさんにケツ掘られたのがそんなに嬉しかったのか!?」


 すごくみっともないキレ方をしているのはわかった。俺はこの四年、本当に幸せだったかって!? 俺が不幸だって決めつけてんのか!?


「そないなこと言うなよ……でも、もう俺たちもうあかんってのはカズだって思ったんと違う?」

「俺は、お前が幸せなら、それで」

「じゃあ、カズは勝手に幸せになるのがいい。それが俺の幸せや」


 何で、何でこいつはそんなに落ち着いた顔をしていられるんだ!? 亘の顔を見ているうちに、俺の手の力が抜けていった。終わった、これは完全に終わりなんだ。


「この前のクリスマスな、そのマチアプで知り合った人と過ごしたんや。その人、俺のこと本当に大事にしてくれて。告白されてな。良ければ一緒に住んでくれませんかて。なんや、俺カズより先に彼氏できてしもうたって焦った。そん時、俺の中のカズは『良かったな、幸せになれよ』ってしか言うてくれへんかった。俺のこと捨てる気か、とかそんな奴と付き合うな、とか言ってくれると思うたのにな」


 亘は泣いていた。俺も泣いていた。


「ああ、俺もうそんくらいしかカズのこと愛してないんや、ってなって。ごめん」


 ごめん、じゃねーよ。勝手に好きになって勝手に冷めて勝手に別れ話ふっかけんなよ。俺にも心の準備させろよ。馬鹿じゃねーの、こいつ。大学生のヤリサーじゃねえんだからさ。


「わかった、もうここには来ない。俺の私物も今日持って帰る。その代わり、いっぺんここで泣かせろ。そんくらいケジメとれ。それでいいか?」

「うん……」


 亘が頷いたので、俺は遠慮なく亘の家で泣かせてもらった。こんなみっともない顔では外に行けない。とにかく泣いて泣いて涙を全部出してしまいたかった。その間に、亘は俺の荷物をしっかりまとめてくれていた。


「カズはさ、俺のこと本気で好きだった?」

「好きだったと、思うよ」


 男のくせに何弱気になってるんだよ、っていう自分がどこかにいた。でも、俺は亘の前だったらそういうところも全部ぶちまけることが出来た。それはお互い様で、やっぱり俺たちは精神的に満足していたんだと思う。


「ありがとな、本当にありがとな」

「お前のために身を引くんだからな。幸せにならないと承知しねーぞ」


 そうして俺は亘の家を後にした。年末の夜の空気は凍てつくように寒くて、泣いて頭が空っぽになった俺の身体にひゅうひゅうと染みこんできた。ああ、馬鹿らしい。俺はこの四年、一体何をしていたって言うんだ? 結局、俺に何が残ったっていうんだ?


 よし、今年の年末は実家に帰ろう。夜も遅いけどとりあえずメッセージだけでも入れておくかって思ってスマホを出して、無意識に俺はフォトフォルダを開いていた。そこには数枚だけ、やたらと写りのいい亘の写真が残っている。写真を消そうかと思ったけれど、消すことは出来なかった。そうしないと、俺の四年が全て消える気がした。


 ああ、確かに俺はこいつのことを大切に思っていたはずなんだけどなあ。


 家に帰ってきて、俺は持ち帰った歯ブラシだの部屋着だのを全部ゴミ袋にぶちまけた。あいつの部屋の匂いがするものは全部捨てないといけないと思った。ゴミはゴミの日にしっかり捨てなきゃ。そう思ったら、また泣けてきた。さっきあんなに泣いたのに。でも、もう隣で泣いてくれる亘はいない。ひとりって、思ったよりも惨めだ。


 玄関には捨てられていないマグカップと皿の残骸が残っている。明日の朝、ようやく俺はこいつらを捨てられる。でも、それを捨てたら全部が終わる気がした。もう終わってるのに。ああ、明日にならなきゃいいのに。燃えないゴミの日なんか、来なければいいのに。


〈了〉

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