第3話 境界破壊者の思想


 広場は、人で埋まっていた。


 祭りではない。

 だが、熱気だけはそれに近い。


     ◆


「出るらしいぞ」


「本物か?」


「力をくれるって噂の――」


     ◆


 ジャンは、群衆の端に立っていた。


 嫌な予感は、確信に変わっている。


     ◆


 やがて、広場の中央に一人の男が現れた。


 黒い外套。

 隠す気のない姿。


     ◆


 境界破壊者は、両手を広げた。


「集まってくれて感謝する」


 声は、よく通る。


「俺は、君たちに“選択肢”を与えに来た」


     ◆


 ざわめき。


     ◆


「この世界は、不公平だ」


 男は、淡々と続ける。


「生まれ、環境、才能。

 努力では埋まらない差がある」


     ◆


 人々は、黙って聞いていた。


     ◆


「冒険者になれない者。

 なっても、深層に行けない者」


「力を求めても、

 選ばれなかった者たち」


     ◆


 その言葉に、

 何人かが息を呑んだ。


     ◆


「俺は、その差を壊す」


 男は、はっきりと言った。


「境界を、壊すことでな」


     ◆


 歓声が、上がった。


     ◆


 ジャンは、一歩前に出た。


「……その先を、言え」


     ◆


 男の視線が、こちらを捉える。


「管理者か」


 口元が、わずかに歪む。


     ◆


「境界を壊した先で、

 何が起きる」


     ◆


「進化だ」


 男は、即答した。


     ◆


「人は、強さに適応する」


「適応できない者は、淘汰される」


     ◆


 広場が、静まり返る。


     ◆


「それは、殺しだ」


     ◆


「違う」


 男は、首を振った。


「選択だ」


     ◆


「均衡を守るという名の停滞か。

 危険を受け入れる進化か」


     ◆


 ジャンは、拳を握った。


「お前は、

 責任を取らない」


     ◆


「取るさ」


 男は、静かに言う。


「俺自身が、

 その結果だ」


     ◆


 その一言で、空気が変わった。


     ◆


「……俺は、深層に行けなかった」


 男の声が、少しだけ低くなる。


「何度も挑み、

 何度も弾かれた」


     ◆


「努力が、

 才能に負ける瞬間を知っている」


     ◆


「だから、壊した」


     ◆


 人々の目に、共感が浮かぶ。


     ◆


 ジャンは、理解してしまった。


 この男は、

 “選ばれなかった者”の延長線だ。


     ◆


「……だからと言って」


 ジャンは、声を張った。


「世界を、

 実験場にするな」


     ◆


「実験は、

 もう始まっている」


 男は、周囲を見渡す。


「見ろ」


     ◆


 数人が、前に出た。


 力を得た者たちだ。


 動きは鋭く、

 表情は高揚している。


     ◆


「彼らは、

 昨日までの自分じゃない」


     ◆


「だが、明日は?」


 ジャンは、即座に返す。


     ◆


 男は、答えなかった。


 代わりに、微笑む。


     ◆


「管理者」


 静かな声。


「お前は、

 世界を信じすぎている」


     ◆


「人は、

 均衡なんて望んでいない」


     ◆


 その言葉に、

 歓声が重なる。


     ◆


 ジャンは、深く息を吸った。


「……それでも」


     ◆


「均衡がなければ、

 世界は続かない」


     ◆


「続かなくてもいい」


 男は、言い切った。


「変わればいい」


     ◆


 その瞬間。


 魔素が、わずかに揺れた。


     ◆


 衝突は、

 もう始まっている。


 剣ではない。


 思想だ。


     ◆


 男は、外套を翻す。


「選ばせてやる」


「街が、

 どちらを望むか」


     ◆


 そのまま、姿を消した。


     ◆


 広場は、騒然となる。


 歓声と、不安と、期待。


     ◆


 ジャンは、その中心で立ち尽くした。


     ◆


「……望まれていないのは」


 小さく、呟く。


     ◆


「俺の方か」


     ◆


 だが、答えは出ている。


 望まれなくても、

 やるべきことは変わらない。


     ◆


 ジャンは、踵を返した。


 次は、言葉ではない。


 選択の結果を、

 突きつける番だ。

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