第2話 強さを求める街


 ラグナ平原の異変から、三日。


 影響は、すでに街へ及んでいた。


     ◆


 ボミタス南門付近。

 朝だというのに、人だかりができている。


「聞いたか?

 南の方、すごいらしいぞ」


「一晩で、荷運び三往復だってさ」


「俺も行ってみようかな……」


     ◆


 ジャンは、人混みの外からそれを見ていた。


 魔素の匂いが、薄く漂っている。


 まだ致命的ではない。

 だが、確実に濃くなっている。


     ◆


「……もう、始まってるな」


 街そのものが、境界に近づいている。


     ◆


 ギルドを通さず、

 人々が自発的に異変地帯へ向かう。


 止める仕組みは、ない。


     ◆


 南門を抜けた先に、簡易的な露店が並んでいた。


 薬草、武器、護符。


 そして――


「体が軽くなるぞ!

 今なら無料だ!」


     ◆


 ジャンは、足を止めた。


 護符を配っている男がいる。


 魔素を集め、体内へ流し込む粗悪な道具。


     ◆


「……やめておけ」


 ジャンは、静かに声をかけた。


     ◆


「誰だ?」


 男が睨む。


     ◆


「それは、体を壊す」


     ◆


「は?」


 男は笑った。


「見ろよ、この人たち」


     ◆


 護符を受け取った若者が、

 その場で跳ねてみせる。


「すげぇ……!

 本当に、力が入る!」


     ◆


 周囲から、歓声が上がった。


     ◆


「な?」


 男は、得意げだ。


「欲しいのは、

 安全な日常じゃない」


「強さだ」


     ◆


 ジャンは、言葉を失った。


     ◆


「……それは、一時的だ」


 絞り出すように言う。


「代償が、来る」


     ◆


「代償?」


 男は、肩をすくめた。


「弱いまま生きる代償より、

 マシだろ?」


     ◆


 その言葉に、

 周囲の何人かが頷いた。


     ◆


 ジャンは、理解した。


 これは、境界破壊者の力だけじゃない。


 欲望だ。


     ◆


 街の奥へ進むと、

 酒場が異様な熱気に包まれていた。


     ◆


「聞いたか!

 あの黒い外套の男!」


「力を、くれるらしいぞ!」


     ◆


「英雄だな!」


     ◆


 ジャンは、立ち尽くした。


 英雄。


 その言葉が、胸に刺さる。


     ◆


 彼が壊した境界で、

 人が壊れている。


 だが、それは、まだ見えない。


     ◆


 ギルドに戻ると、

 ガドルが待っていた。


     ◆


「街が、騒がしいな」


     ◆


「止まりません」


 ジャンは、正直に答える。


     ◆


「止めれば、反発される」


     ◆


「だろうな」


 ガドルは、苦く笑った。


「均衡は、

 目に見えないからな」


     ◆


「……守るって、

 こんなに嫌われる仕事でしたか」


     ◆


 ガドルは、しばらく黙っていた。


     ◆


「英雄は、

 何かを倒す」


「管理者は、

 何も起こさせない」


     ◆


「後者は、

 物語にならん」


     ◆


 ジャンは、目を閉じた。


     ◆


 その夜。


 街の一角で、悲鳴が上がった。


     ◆


 力を得た男が、

 制御を失い、

 壁を壊し、

 倒れた。


     ◆


 人々は、騒ぐ。


 だが――


     ◆


「……誰のせいだ?」


     ◆


 その視線が、

 ゆっくりとジャンに向けられる。


     ◆


「お前が、

 止めなかったからだ」


     ◆


 誰かが、そう言った。


     ◆


 ジャンは、何も言えなかった。


 否定できない。


     ◆


 境界を壊したのは、破壊者だ。


 だが――

 守れなかったのは、自分だ。


     ◆


 夜風が、冷たく吹く。


 街は、強さを求めている。


     ◆


「……それでも」


 ジャンは、拳を握った。


     ◆


「均衡は、

 譲れない」


     ◆


 嫌われても、

 理解されなくても。


 守らなければ、

 壊れる。


     ◆


 ジャンは、歩き出した。


 英雄が求められる街で、

 英雄にならないために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る