地上最弱、深層最強④――深層戦争

塩塚 和人

第1話 壊された境界


 最初に届いたのは、悲鳴ではなかった。


 数字だった。


     ◆


「……魔素濃度、急上昇」


 報告書を受け取った管理官の声が、わずかに震える。


「地点、ラグナ平原南端。

 変動速度、観測史上最大――」


     ◆


 ジャンは、その数字を見た瞬間、理解した。


「……完全に、壊されたな」


     ◆


 境界が“薄くなった”のではない。

 “歪んだ”のでもない。


 断ち切られた。


     ◆


 ラグナ平原に到着したとき、

 そこはすでに別の場所だった。


 草は枯れ、

 地面は黒く変色し、

 空気が重く沈んでいる。


     ◆


「……深層、第四層相当」


 地上であってはならない濃度。


 ジャンの体が、即座に反応する。


 体質改善が、深層仕様へと切り替わる。


     ◆


 だが――


「……遅い」


 いつもより、反応が鈍い。


     ◆


 ここは、壊れた境界だ。


 整える余地がない。


     ◆


 視界の先に、人影が見えた。


 数人。


 冒険者ではない。


 装備も、構えも、素人だ。


     ◆


 だが――


 彼らの動きは、異様に速い。


     ◆


「……力を、与えられている」


 魔素が、人に直接流れ込んでいる。


 適応ではない。

 強制だ。


     ◆


「すごい……!」


 若い男が、拳を見つめて笑う。


「俺、こんなに動けたこと、ない……!」


     ◆


 次の瞬間。


 その男の足が、崩れた。


     ◆


 骨が、耐えきれなかった。


     ◆


「……っ!」


 ジャンは、即座に駆け寄る。


 だが、遅い。


 肉体が、内側から壊れている。


     ◆


「……なんで……」


 男は、理解できないまま、意識を失った。


     ◆


 周囲では、同じことが起きていた。


 力を得て、

 動いて、

 壊れる。


     ◆


「……これが、破壊者のやり方か」


 与えて、選ばせる。


 だが、責任は取らない。


     ◆


 魔物の気配。


 生成型が、生まれ始めている。


     ◆


 ジャンは、剣を抜いた。


 深層相当の動きで、

 生成型を切り伏せる。


     ◆


 一体、二体。


 だが、追いつかない。


     ◆


「……境界が、閉じない」


 壊された場所は、

 自然には戻らない。


     ◆


 そのとき、拍手が聞こえた。


     ◆


「見事だ」


 聞き覚えのある声。


     ◆


 丘の上に、黒い外套の男が立っていた。


「さすがだな、管理者」


     ◆


「……お前の仕業だな」


     ◆


「そうだ」


 男は、当然のように答える。


「境界を、開放した」


     ◆


「街に近すぎる」


     ◆


「だからいい」


 男は、笑う。


「人は、強さを実感できる」


     ◆


「その代償は、死だ」


     ◆


「選択だ」


 男の声は、冷たい。


「強さを取るか、

 均衡を取るか」


     ◆


 ジャンは、剣を構え直した。


「……均衡は、選択肢じゃない」


     ◆


「ほう?」


     ◆


「前提だ」


     ◆


 魔素が、揺れた。


     ◆


 男は、愉快そうに笑った。


「なら、証明してみろ」


「壊された境界を、

 どう保つ?」


     ◆


 男の姿が、霧のように消える。


     ◆


 残されたのは、

 壊れた土地と、

 選ばされた人々。


     ◆


 ジャンは、深く息を吐いた。


 今までとは、違う。


 対応では、追いつかない。


     ◆


「……先手を、取るしかないな」


     ◆


 彼は、剣を収めた。


 戦うためではない。


 壊される前に、立つために。


     ◆


 壊された境界の上で、

 ジャンは、新しい役割を自覚する。


 守るだけでは、足りない。


 次は――

 止める側だ。

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