第7話 深層からの呼び声


 それは、声ではなかった。


 言葉でも、音でもない。


 けれどジャンは、確かに「呼ばれている」と感じた。


     ◆


 夜明け前の街は、静かだった。


 眠りに落ちた家々の間を、冷たい風が抜けていく。


 ジャンは、宿の簡素なベッドの上で目を開けた。


「……来たな」


 胸の奥が、微かに軋む。


 不快ではない。

 だが、無視できない。


     ◆


 体質改善が、反応している。


 それは戦闘時の高揚とも、魔素の濃さとも違う。


 方向性だ。


     ◆


 ジャンは、身を起こした。


 外套を羽織り、剣を手に取る。


 理由は、わからない。


 だが、行かなければならない。


     ◆


 向かう先は、ボミタス近郊の旧ダンジョン。


 すでに枯渇したと判断され、

 数年前に閉鎖された場所だ。


     ◆


「……まだ、終わってなかったか」


 入口に立つと、空気が違う。


 薄いはずの魔素が、微かに渦を巻いている。


     ◆


 足を踏み入れた瞬間、

 呼び声が、強くなった。


 頭に直接触れるような感覚。


     ◆


「……これは」


 ジャンは、眉をひそめる。


 自然発生ではない。


 誘導だ。


     ◆


 通路を進むにつれ、体が軽くなる。


 深層ほどではないが、

 地上とは明らかに違う。


 体質改善が、静かに段階を上げていく。


     ◆


 やがて、開けた空間に出た。


 かつてのボス部屋。


 そこに、何かがあった。


     ◆


 魔物ではない。


 だが、無機物とも違う。


 淡く光る結晶体が、宙に浮かんでいる。


     ◆


「……魔素核」


 専門用語が、浮かぶ。


 魔素核――

 高濃度の魔素が凝縮し、

 半自律的に環境へ影響を与える存在。


     ◆


 通常は、深層にしか存在しない。


 それが、ここにある。


     ◆


「……呼んでたのは、お前か」


 結晶が、わずかに脈動した。


 肯定とも否定とも取れない反応。


     ◆


 ジャンは、近づいた。


 危険は感じない。


 むしろ――


     ◆


「……助けを、求めてる?」


 言葉にした瞬間、

 体質改善が、大きく反応した。


     ◆


 情報が、流れ込んでくる。


 この魔素核は、不安定だ。


 深層と地上の境界が歪み、

 取り残された結果、生まれた。


     ◆


 このまま放置すれば、

 周囲を侵食し、

 生成型を生み続ける。


     ◆


 だが、破壊すればいいわけではない。


 衝撃で、境界が完全に壊れる。


     ◆


「……面倒な役目だな」


 ジャンは、苦笑した。


     ◆


 選択肢は、一つ。


 深層へ戻す。


     ◆


 ジャンは、結晶に手を伸ばした。


 体質改善が、最大限に稼働する。


 自分の体を、

 深層基準へと合わせる。


     ◆


 空気が、重くなる。


 視界が、歪む。


 だが、ジャンは立っていた。


     ◆


「……繋ぐぞ」


 結晶が、強く光った。


     ◆


 一瞬。


 世界が、裏返ったような感覚。


     ◆


 次の瞬間、結晶は消えていた。


 空間は、静かだ。


 魔素の渦も、ない。


     ◆


 成功だ。


     ◆


 ジャンは、深く息を吐いた。


「……完全に、役目だな」


     ◆


 戻り道、体が少し重くなる。


 地上に戻った証拠だ。


     ◆


 だが、胸の奥には、確かな確信があった。


 深層は、

 自分を認識し始めている。


     ◆


 呼び声は、

 これで終わりではない。


     ◆


「……次は、もっと大きいか」


 ジャンは、空を見上げた。


 朝日が、街を照らしている。


 誰も知らない場所で、

 境界は、今日も保たれた。


 ただ一人の冒険者によって。

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