第4話 体質改善・第二段階


 朝の空気は、やけに澄んでいた。


 ボミタスの街は、いつも通りに動いている。

 市場の呼び声、馬車の音、子どもたちの笑い声。


 だが、ジャンにはそれが少しだけ遠く感じられた。


「……妙だな」


 体が、軽い。


 地上にいるにもかかわらず、

 いつもの“重さ”がない。


     ◆


 訓練場の片隅で、ジャンは剣を振った。


 一振り。

 二振り。


 速度は、以前と変わらない。

 力も、突出してはいない。


 だが――。


「……無駄がない」


 動きが、自然だった。


 意識しなくても、体が最適な動作を選んでいる。


     ◆


 汗を拭い、呼吸を整える。


 魔素は、薄い。

 地上のままだ。


 それでも、体は崩れない。


「……戻っても、前より落ちてない」


 違和感は、確信に変わりつつあった。


     ◆


 ジャンは、これまでを思い返す。


 深層では、能力が跳ね上がる。

 地上に戻れば、急激に落ちる。


 それが、常だった。


 だが、今は違う。


「……完全に戻っていない?」


     ◆


 そのとき、ポーリンの声がした。


「ジャンさん、ギルドマスターがお呼びです」


「……今行く」


     ◆


 執務室で、ガドルは腕を組んでいた。


「お前、今朝の訓練場にいたな」


「……見てたのか」


「見なくても、わかる」


 ガドルは、鼻で笑った。


「地上で、動きが良すぎる」


     ◆


「自覚は?」


「……ある」


 ジャンは、正直に答えた。


「理由も、少しだけ」


「言ってみろ」


     ◆


「体質改善は、強化じゃない」


 言葉を選びながら、続ける。


「環境に合わせて、体を変えるスキルだ」


「第一段階は、魔素の濃度への適応」


「深層では強くなり、地上では弱くなる」


     ◆


「……だが、今は違う」


 ガドルは、黙って聞いている。


「深層で適応した結果が、

 完全には消えていない」


「残っているのは、力じゃない」


     ◆


「調整だ」


 その言葉に、ガドルが目を細めた。


     ◆


「筋力や反射が落ちても、

 無駄な動きは戻らない」


「深層で最適化された体の使い方が、

 地上でも維持されている」


「……それが、第二段階か」


     ◆


「おそらくな」


 ジャンは、頷いた。


「強さを持ち帰ったわけじゃない」


「使い方を覚えた」


     ◆


 ガドルは、しばらく沈黙したあと、低く言った。


「……それは、危険だぞ」


「どういう意味だ」


「境界が、曖昧になる」


     ◆


「深層の影響を、地上に持ち込めるなら」


「世界の仕組みそのものに、触れ始めている」


 ガドルの声には、冗談がなかった。


     ◆


 その日の午後。


 街の外れで、異変が起きた。


 微弱だが、確かに感じる。


「……魔素、か」


 ジャンは、足を止めた。


 地上ではありえない濃度。


 ごく、局所的。


     ◆


「始まったな」


 誰に言うでもなく、呟く。


 胸の奥で、体質改善が静かに動く。


 深層ほどではない。

 だが、確実に――。


     ◆


「……選ばせる気か」


 視線を感じる。


 第九層の、あの感覚。


 観測者たち。


     ◆


 ジャンは、拳を握った。


 強さは、いらない。

 暴走する力も、望まない。


「……調整する」


 自分に言い聞かせるように。


     ◆


 深層と地上。


 どちらかに偏れば、壊れる。


 だから、合わせる。


 それが、第二段階の答えだった。


     ◆


 ジャンは、異変の中心へ向かって歩き出した。


 強者としてではない。

 英雄としてでもない。


 境界を、保つ者として。


 体質改善は、静かにその役割を受け入れていた。

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