第3話 観測者たち


 その部屋には、窓がなかった。


 壁も天井も、白に近い灰色。

 素材は石にも金属にも見えるが、どちらでもない。


 時間の感覚が、希薄になる空間だった。


     ◆


「第九層、観測終了」


 淡々とした声が響く。


 中央の台座に浮かぶ光が、ゆっくりと収束していった。

 そこに映っていたのは、ジャンの背中。


「接触は?」


「なし。敵意も行動も確認されず」


 数人の人物が、円卓を囲んでいる。


 全員、年齢も性別も判別しづらい。

 共通しているのは、無駄のない所作だけだった。


     ◆


「やはり、適応が早い」


 一人が言う。


「第九層の魔素変動にも、即応した」


「想定範囲内だ」


 別の声が返す。


「彼のスキルは、環境依存型。

 境界が不安定になるほど、性能は上がる」


     ◆


「問題は、そこではない」


 中央に座る人物が、指を組んだ。


「彼は、気づいている」


「……観測されていることに?」


「ああ」


 空気が、わずかに張りつめる。


     ◆


「通常、適応者は自覚しない」


「自覚した時点で、精神に歪みが出る」


「だが、彼は違う」


 報告が、続く。


「恐怖反応なし。

 敵意なし。

 逃避行動もなし」


     ◆


「受け入れた、ということか」


「もしくは――」


 言葉が、そこで止まった。


     ◆


「……理解した」


 誰かが、静かに言った。


「自分が“見る側”と“見られる側”の両方に立っていると」


     ◆


 沈黙。


 その評価の重さを、全員が理解していた。


「境界適応者としては、最上位だな」


「だが、まだ人間だ」


「そこが、危うい」


     ◆


「次の段階に進ませるべきか」


 問いが、投げられる。


「早すぎる」


「だが、遅れれば境界が先に壊れる」


 意見は割れた。


     ◆


「……一つ、確かめる方法がある」


 中央の人物が、再び口を開く。


「地上だ」


「地上、ですか」


「深層ではなく、地上で異変を起こす」


     ◆


「彼が、どちらを選ぶかを見る」


「深層に逃げるか」


「地上に留まるか」


     ◆


「それは……」


 誰かが、躊躇した。


「試す、ということですか」


「違う」


 即答だった。


「世界を守るための、確認だ」


     ◆


 光の装置が、再び起動する。


 次に映し出されたのは、

 ボミタスの街の地図だった。


「局所的魔素上昇を誘発する」


「被害は?」


「最小限に抑える」


 言葉は、冷静だ。


     ◆


「彼は、選ぶだろう」


 中央の人物は、断言した。


「境界に立つ者は、必ず戻る」


     ◆


 その頃。


 ジャンは、ギルドの簡素な部屋で報告書を書いていた。


 魔物なし。

 異常な静寂。

 観測されている感覚。


 ペンが、止まる。


「……嫌な予感がするな」


 理由は、わからない。


 だが、胸の奥がざわつく。


     ◆


 地上の夜は、静かだった。


 だが、その静けさは――

 第九層のものとは、違う。


 まだ、人の気配がある。


 それが、救いだった。


     ◆


 ジャンは、窓の外を見た。


 街の灯り。

 人の生活。


「……ここを、壊させる気はない」


 誰に向けた言葉でもない。


 だが、確かに届いていた。


 見えない“観測者たち”へ。

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