第10話 地上と深層の境界


 夜明け前のギルドは、静まり返っていた。


 酒の匂いも、喧騒もない。

 ただ、石床の冷たさだけが残っている。


 ジャンは、壁にもたれて座っていた。


 依頼を終えたばかりだというのに、眠気はない。

 体は重く、力も入らない。


 ――地上だ。


     ◆


「起きてるか」


 低い声がした。


 顔を上げると、ガドルが立っている。


「……ああ」


「無理に立つな。今のお前は、地上の人間だ」


 その言い方に、ジャンは小さく笑った。


「深層の人間みたいに言うな」


「実際、そうだろ」


 ガドルは、隣に腰を下ろした。


     ◆


「報告書は、もう回った」


「早いな」


「上が動くときは、早ぇ」


 ガドルは、しばらく黙ったあと、続ける。


「今後、お前に来る依頼は変わる」


「……戦え、じゃない?」


「行け、だ」


 短い言葉だった。


     ◆


 ジャンは、天井を見上げた。


 地上では、弱い。

 剣を握っても、以前ほどの感覚はない。


 だが、深層に行けば――。


「……俺は、どっちなんだろうな」


 呟くように言った。


「地上の人間か、深層の化け物か」


 ガドルは、鼻で息を吐いた。


「どっちでもねぇ」


     ◆


「境界だ」


 その言葉に、ジャンは視線を戻した。


「地上に戻れる。深層にも行ける。

 その両方を知ってるやつは、少ねぇ」


「……それが、価値か」


「ああ」


 即答だった。


     ◆


 ギルドの扉が、ゆっくりと開く。


 朝の光が、差し込んだ。


 外は、いつも通りの街だ。

 人がいて、生活がある。


 ジャンは、立ち上がろうとして、ふらついた。


 ガドルが、支えようとする。


「大丈夫だ」


「無理すんな」


 だが、ジャンは自分で立った。


     ◆


「俺は、強くなりたいわけじゃない」


 歩き出しながら、言う。


「深層で無双したいわけでもない」


「じゃあ、何だ」


「……戻って来られる場所が、欲しい」


 ガドルは、少しだけ目を細めた。


     ◆


 ギルドを出る。


 朝の空気は、冷たい。


 地上は、やはり魔素が薄い。

 体は正直だ。


 だが、足取りは安定していた。


     ◆


 通りを歩く人々は、ジャンを知らない。


 それでいい。


 深層の強さも、称号も、ここでは意味がない。


 だが、無意味ではない。


 それらは、必要な場所で使えばいい。


     ◆


「……次は、どこだ」


 空を見上げ、呟く。


 答えは、決まっている。


 さらに深い場所。

 まだ誰も知らない層。


     ◆


 ジャンは、振り返らなかった。


 地上と深層、その境界。


 どちらにも属さず、

 どちらにも行ける。


 それが、自分の生き方だ。


 弱さも、強さも、受け入れて。


 彼は、再び歩き出した。


 ――深層へ向かうために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

地上最弱、深層最強②――孤独の深層適応者 塩塚 和人 @shiotsuka_kazuto123

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ