第8話 第八層の温度


 第八層に降りた瞬間、空気が変わった。


 ――熱い。


 炎があるわけではない。

 溶岩も、噴き出す蒸気もない。


 それでも、肌にまとわりつくような熱が、確かに存在していた。


「……温度、か」


 ジャンは、額の汗を拭った。


 第七層までは、敵の強さが脅威だった。

 だがここは違う。


 環境そのものが、冒険者を削る。


     ◆


 一歩進むごとに、体力が奪われていく。


 呼吸が重い。

 肺の奥まで、熱が入り込む。


 地上なら、数分で倒れていただろう。


 だが――。


「……問題ないな」


 ジャンの体は、まだ動いている。


 魔素は、濃い。

 第七層とは比べものにならない。


 それに反応するように、体の内側が静かに変化していく。


 筋肉が、熱に順応する。

 呼吸が、自然と浅く速くなる。


 まるで、体そのものが環境に合わせて書き換えられているようだった。


     ◆


「……これが、体質改善か」


 ジャンは、初めてスキルの感触を“理解”した。


 強くなる、というより――

 適応する。


 魔素の濃度が高いほど、適応の速度が跳ね上がる。


 第八層は、ジャンにとって試験場だった。


     ◆


 魔物が現れた。


 赤黒い体表を持つ獣型。

 高温に適応した個体だ。


 動きは鈍いが、一撃が重い。


 ジャンは距離を詰め、一太刀で仕留めた。


 ――遅い。


 魔物が、そう見えた。


 判断も、動作も、まるで水の中のようだ。


「……第七層より、楽だな」


 それは、慢心ではない。

 事実だった。


     ◆


 だが、油断はできない。


 時間が経つにつれ、別の異変が現れた。


 喉の渇き。


 水を飲んでも、すぐに足りなくなる。


 体は適応しているが、消耗は確実に進んでいる。


「……長居は無理か」


 深層では、強い。

 だが、無限ではない。


     ◆


 進路の先に、大きな空洞が見えた。


 中心には、揺らめく熱の塊。


 魔物ではない。

 だが、危険だ。


 魔素が、異常に集中している。


「……これ以上は、危険だな」


 ジャンは、立ち止まった。


 今なら、引き返せる。

 十分な成果もある。


 だが――。


「……少しだけ、試すか」


 一歩、踏み出す。


 瞬間、体が軋んだ。


 熱が、皮膚を焼くように感じられる。


 だが同時に、体の内側が急速に変化する。


 血流が変わり、

 皮膚の感覚が鈍くなる。


「……っ!」


 これ以上は、限界だ。


 ジャンは即座に後退した。


     ◆


 安全圏に戻ると、膝に手をついた。


 息が荒い。

 心臓が、強く脈打つ。


「……危なかったな」


 だが、口元は僅かに笑っていた。


 確信が、あった。


 第八層でも、生きられる。

 だが、無理をすれば死ぬ。


 強さと限界が、はっきり見えた。


     ◆


 帰還の途中、体は徐々に重くなる。


 地上に近づくほど、熱への耐性も薄れていく。


「……やっぱり、戻ると弱いな」


 だが、それでいい。


 深層で得た経験は、消えない。


     ◆


 地上に出たとき、夜風が心地よかった。


 冷たい。

 それが、ありがたい。


「……次は、第九層か」


 誰に聞かせるでもなく、呟く。


 第八層は、通過点だ。


 だが確実に、ジャンは深層に近づいている。


 環境すら味方につける冒険者として。

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