第6話 孤独は弱さか


 第七層の奥は、音がなかった。


 水滴の落ちる音も、風の流れもない。

 ただ、魔素が静かに渦を巻いている。


 ジャンは、一人で立っていた。


「……静かすぎる」


 誰かと潜っていれば、雑談や合図がある。

 足音も、呼吸音もある。


 今はそれがない。


 孤独。

 それは、冒険者にとって危険の象徴だ。


     ◆


 気配は、突然だった。


 背後ではない。

 前でもない。


 周囲すべてが、歪んだ。


「――っ!」


 ジャンは即座に身構える。


 次の瞬間、地面から複数の影が立ち上がった。

 人型に近いが、顔がない。


 異常個体の群れ。


「……多いな」


 声に、焦りはなかった。


 深層の魔素が、体を満たす。

 思考が研ぎ澄まされる。


 距離、数、動き。

 一瞬で把握できる。


 ジャンは前に出た。


 剣が、舞う。


 一体、二体。

 正確に急所を断ち、影を消す。


 だが、数が減らない。


「……長期戦か」


 ここで初めて、孤独の現実が顔を出す。


 援護がない。

 交代もない。


 すべて、自分一人だ。


     ◆


 戦いは、続いた。


 体は、問題ない。

 動きも、判断も、完璧に近い。


 だが、時間が削ってくる。


 集中が、少しずつ摩耗する。


「……っ」


 一瞬の遅れ。


 影の腕が、脇腹を掠めた。


 痛みは、ない。

 だが、衝撃で体勢が崩れる。


 ジャンは即座に距離を取った。


 深呼吸。


 ここで焦れば、終わる。


     ◆


「……誰もいないな」


 ぽつりと、呟く。


 返事はない。

 当たり前だ。


 だが、その瞬間、妙な感覚があった。


 邪魔がない。


 指示も、遠慮も、配慮もない。

 判断を、誰かに合わせる必要がない。


「……そうか」


 ジャンは、静かに理解した。


 孤独は、弱さじゃない。


 選択の自由だ。


     ◆


 彼は、戦い方を変えた。


 守りを捨て、攻めに徹する。

 回避ではなく、先読みで潰す。


 無駄な動きを、すべて削る。


 一体ずつ、確実に。


 時間はかかった。

 だが、確実だった。


 最後の影が消えたとき、

 ジャンは、その場に立ったままだった。


 息は、少し荒い。

 だが、立てないほどではない。


「……終わった」


     ◆


 その場に座り込み、しばらく動かなかった。


 誰も、褒めない。

 誰も、確認しない。


 それでも、胸の奥に残るものがあった。


 ――達成感。


 深層でしか得られない、確かな実感。


     ◆


 帰還の途中、体は徐々に重くなっていく。


 だが、今回は違った。


 落差はある。

 確かに弱くなる。


 それでも、心は折れなかった。


「……一人で戦えた」


 それは、孤独に耐えたという意味ではない。


 孤独を使ったという意味だ。


     ◆


 地上に戻ったジャンは、壁に寄りかかった。


 足は震えている。

 呼吸も、荒い。


 それでも、笑った。


「……弱いな」


 だが、それでいい。


 地上の弱さは、もう受け入れている。

 問題は、深層で何ができるかだ。


     ◆


 ギルドへの帰路、夜風が頬を撫でる。


 街は、今日も変わらない。

 誰も、彼の戦いを知らない。


 それでいい。


 ジャンは、空を見上げた。


 孤独は、弱さではない。

 自分を縛らないための形だ。


 彼は、一人で潜る冒険者として、

 また一歩、前に進んだ。

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