第3話 単独深層調査任務
ギルドマスター室に呼ばれる、というのは久しぶりだった。
ジャンは扉の前で一度だけ深呼吸し、ノックする。
「入れ」
低い声に応じて扉を開けると、ガドルが机に肘をついて待っていた。
部屋には他に誰もいない。
「座れ」
「はい」
向かいの椅子に腰を下ろすと、ガドルは書類を一枚、机の上に滑らせた。
封蝋付きの依頼書だ。
「正式依頼だ。
ただし、条件がある」
ジャンは視線を落とし、文面を追った。
――ダンジョン第七層。
――単独調査。
――戦闘回避優先。
――帰還義務あり。
最後の一文に、わずかな違和感を覚える。
「……単独、ですか」
「そうだ」
ガドルは迷いなく答えた。
「パーティ編成はしない。
補助も付けない。
潜って、見て、戻る。それだけだ」
ジャンは、ゆっくりとうなずいた。
驚きはない。
むしろ、納得が先に来た。
「理由を、聞いてもいいですか」
「もちろんだ」
ガドルは、短く息を吐いた。
「お前は、特殊すぎる」
言葉は率直だった。
「深層では戦力過剰。
地上では足手まとい。
パーティに組み込むと、全体の最適が崩れる」
ジャンは反論しなかった。
それは、すでに自分でも感じていたことだ。
「だから、役割を分ける」
ガドルは、まっすぐに言う。
「お前は“深層だけを見る目”だ」
◆
第七層への下降は、これまでとは明らかに違っていた。
階段を下りるごとに、空気が重くなる。
魔素が、肌にまとわりつくように感じられる。
ジャンの体は、それに応じて変わっていった。
呼吸が深くなる。
筋肉が、静かに引き締まる。
「……来たな」
足取りは軽い。
視界も、冴えている。
だが同時に、違和感もあった。
心拍が安定しすぎている。
緊張が、薄れている。
「慣れ、じゃない……」
自分の体が、この環境を“前提”にし始めている。
◆
第七層は、異様だった。
壁は脈打つように微かに光り、
魔物の気配はあるのに、姿が見えない。
ジャンは慎重に進み、記録用の札を設置していく。
そのとき、背後の気配が歪んだ。
「――っ!」
反射的に振り向く。
そこにいたのは、異常個体だった。
通常よりも小さいが、魔素の密度が異様に高い。
動きが、読めない。
ジャンは一歩、踏み込んだ。
深層の魔素が、一気に体を満たす。
剣を振る。
一撃。
魔物は、抵抗する間もなく消えた。
――強い。
だが、違う。
これまでの“強い”とは、質が違った。
「……余裕がありすぎる」
戦闘後の息切れもない。
疲労も、ほとんど感じない。
それが、少しだけ怖かった。
◆
調査を終え、帰還を選ぶ。
階段を上るにつれて、体が重くなる。
さっきまでの軽さが、嘘のように消えていく。
「……戻ってる」
地上に近づくにつれ、現実が戻る。
ギルドに辿り着いたとき、
ジャンは壁に手をつかなければ立っていられなかった。
◆
「報告は以上です」
ガドルは黙って聞いていた。
「……第七層は、もう通常じゃないな」
「はい」
「お前はどう感じた」
ジャンは、少し考えた。
「……居心地が、良すぎました」
ガドルは、目を細めた。
「それが答えだ」
書類に印を押し、告げる。
「お前は、もう戻れなくなるかもしれん」
「それでも、潜れと?」
「だからこそだ」
ガドルは、はっきりと言った。
「深層は、お前を必要としている」
◆
ギルドを出たジャンは、夜空を見上げた。
地上は、静かだ。
弱い自分が、はっきりと感じられる。
だが、迷いはなかった。
「……僕の仕事だ」
誰にも代われない役割。
一人で潜る意味。
ジャンは、再びダンジョンへと視線を向けた。
孤独な調査任務は、
まだ始まったばかりだった。
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