第3話
◇大学3年生 12月
瞬にハニートラップを仕掛けようと意気込んだものの、席に戻った私は頭を悩ませる。
ハニートラップって具体的に何をするんだ?お茶に誘うにしては、時間が遅いし、2人で飲みましょうとでも言えばいいの?私、お腹痛くなるから、もうお酒飲みたくないんだけど。カルーアミルクとかカシオレでも飲めばいいのかな。
でも、飲みに行ったとして、その後は?どうしよう。ホテルや自宅に連れ込まれたら。嫌すぎる。でも、こっちから男女2人の飲みに誘うとなると、きっとそういうことになっちゃうよね。え、絶対嫌なんだけど。セックスとかいう、世間では愛情の交換儀式として扱われるけど、実際は男の欲望を一方的に発散するだけの下卑た営みでこの体を汚したくない。どうしよう。私は途方に暮れる。やっぱり帰ろうかな…
瞬間、脳裏に夏凪の姿が再生される。
煉獄⭐︎BLOODY RAINのクリスマスライブの会場にいる夏凪だ。彼女は左手に瞬のメンバーカラーである紫色のペンライトを持ち、右手にはうちわを持っている。夏凪は泣きながら瞬に向かって叫んでいる。瞬とチェキを撮る夏凪の映像が浮かぶ。夏凪は感極まって、また号泣する。夏凪はクリスマスライブの後も何度もライブに通う。煉獄スタンプカードのポイントとやらが貯まる。ポイントを貯めた夏凪は瞬とデートする権利を得る。2人はディズニーランドで待ち合わせをし……。
駄目だ。やっぱり駄目だ。今日で私が瞬のアイドル人生を終わらせないと駄目なんだ。とりあえず2人で飲むように声をかけて、もし仮にホテルに誘われたら「危険日なので…」と言って逃げよう。もし瞬がぐずり出したら、その音声を録音して週刊誌に突き出そう。事態がエスカレートしたら警察を呼べばいい。
録音?そうだ、録音だ。瞬が私に手を出そうとする現場の音声を録音すればいいんだ。これだ。もうこれしかない。この方法で行こう。完璧な計画が出来上がった。私の頭脳が光の速度で回転している。いや、本当に完璧か?この計画、根本的に破綻している気がする。でも、もう四の五の言ってはいられない。やるしかない。やるしかないんだ。
だって、もう目の前に瞬が立っているのだから。
◇大学3年生 12月
「あれ?もしかして…今朝コンビニで会ったお兄さんですか?」
私は瞬の顔を横から覗き込むように声をかける。
「え〜!偶然ですね。誰かと待ち合わせですか?」
瞬は何も答えない。
「もしかして…1人ですか?良かったらご一緒してもいいですか?」
私は机を挟んで、瞬の正面の位置を陣取る。どうして何も言わないのだろう。
「お兄さんとまた会えるなんて嬉しいなぁ…お兄さん、すっごく綺麗な顔してますよね。アイドルみたい。」
私は肩をすくめて上目遣いで彼を見る。どうよ、効いてる?現役女子大生 仏文学専攻の上目遣いを喰らえ。
瞬は仏像のように硬直している。
「このお店ってご飯は美味しいですけど、ちょっと騒がしいですよね。ゆっくり2人で喋るならもう少し静かな場所がいいかな?」
瞬は地蔵のように静止している。
「お兄さん、この後って時間あります?もし良かったら、違う場所で飲み直したいなぁ、なーんて……」
私は猫撫で声を出しつつ、瞬の左腕の袖をそっとつまんだ。決まった。これは確実に効いたはずだ。若い女に服の袖をつままれて、落ちない男などこの世に存在しないのだ。流石の瞬も表情を崩している。だってこんなに青ざめてるんだもん。ん?青ざめてる?なんで?
「…お兄さん?」
よく見ると瞬は小刻みに震えている。どうしたんだろう。この店それなりに暖房効いてるし寒くはないと思うんだけどな。
「…んなんですか?」
「え?」
瞬が反応した。良かった。聞こえてはいたみたいだ。
「さっきから、なんなんですか!?」
「何って…いや、お兄さんと一緒に飲みたいな〜って思って…」
私は再び上目遣いする。どうして急に怒り出したんだろう。美女が目の前にいるというのに。
「違いますよ……」
違うらしい。何がだ。
「今日1日、ずっと僕の後を尾けてきて…何がしたいのかって、聞いてるんですよ…!」
「え。」
私は頭が真っ白になる。
「コンビニで会ったことは当然覚えてますよ。その後、映画館にも来ましたよね?僕がチケットを買う時、背後から覗き込んでましたよね?その時は無視しましたけど、スクリーンに入場してから、僕の後ろの席に座ってることに気付いて戦慄しました。映画を観ている間、背後から刺されるんじゃないかと気が気じゃなかったです。」
何と言うことだ。そんなに前から気付かれていたのか。というか、瞬もあの映画に集中できていなかったんだ。私と同じだ。
「映画館を出た後、早足で歩いてまこうとしたのにずっと一定の距離を保ってついてくるし… ミスドでも当然のようにいましたけど、僕に声をかけてくるわけでもないし、遠くから観察されてるようで不気味でした。おかげで食欲も減退しちゃいましたよ…!」
いや、あんたドーナツ6個食べてただろ。
「これじゃあ拉致が明かないと思って、広い公園に移動しても、全然ついてくるし…あなたから逃げるために園内をあちこち移動したのに…後半はもう途方に暮れて池の前から動けませんでしたよ。」
あぁ、だからあんなにグネグネしたルートで園内を回ってたんだ。どうりで挙動不審のルンバみたいな動きをしていると思った。そして、池の前にいたのも別に鴨を見ていたわけじゃないのか。動物好きな一面もあるんだと思ってこっそり好感度上がってたのに。人生の無常に想いを馳せて、佇んでいたわけじゃなかったんだ。
「もう本当に勘弁してくださいよ…帰ってください…友達に連絡してもバイト中で誰も来てくれないし…もう、ついてこないでください…お願いです……」
瞬は泣きそうだった。可哀想に。瞬は捨てられた子犬みたいな顔をしている。瞬も悲しそうだけど、私も悲しい。だって、計画が台無しになってしまったのだ。さて、ここからどうしよう。
妙に視線を感じる。周囲の客達が私達の方を見てざわついている。泣き出しそうな成人男性の横に美人女子大生。痴話喧嘩の一幕に見えているのかもしれない。変に注目を集めてしまっているようだ。私は、現在の自分を俯瞰する。
あれ、待って?今の状況って、もしかして私の方が社会的に危うい位置にいるんじゃない?
というか、待って?今日1日私がしてきたことって立派なストーカー行為なんじゃない?
え、待って?さっき警察がどうだって息巻いていたけど、むしろ警察に訴えられてもおかしくないのは私の方なんじゃない?
私は青ざめる。徐々にアルコールが抜けていく。ようやく脳が現実を受容できてきた。就活も控えているのに警察沙汰になんてなりたくない。いや、就活関係なしになりたくない。どうやってこの窮地を乗り切ろう。あっやばい。泣きそう。いや、泣いた方がいい。よし、泣こう。
「ご、ご、ごべんなさい〜〜〜…!!」
私は涙をボロボロ流しながら、瞬の両腕を掴んだ。
「わ、わたしぃ…瞬くんのことが、ずっと好きでぇ…煉獄⭐︎BLOODY RAINの大ファンでぇ…プライベートのことも知りたくなっちゃってぇ…ライブとか…イベントじゃ…ま、満足、できなくてぇ、そ、それで、こんなことを…。」
私は力の限り泣く。
瞬は絶句している。
「ごめんねこんなことして怖かったよねそうだよね瞬くんは私だけの瞬くんじゃないもんね瞬くんはみんなの瞬くんだもんねそんなこととっくに分かっているよ私が好きなのはアイドルの瞬くんで煉獄⭐︎BLOODY RAINの瞬くんだもんだけどね瞬くんの笑顔を独り占めしたくなっちゃったんだよねライブハウスに瞬くんがいて私がいて私が紫色のペンライトを振り上げて瞬くんが私にファンサしてただそれだけで良かったはずなのにねどうしてこんなに欲張りになっちゃったんだろうね初めて瞬くんが私にライブでウインクしてくれた日のことずっとずっと覚えているよ私の一生の宝物だよごめんね瞬くん好きだよ瞬くんもう今日みたいなことは絶対にしないよ約束するよお願い警察にも言わないでクリスマスライブでまた会いたいな今日のことは全部私が悪かったよ瞬くん本当にごめんなさい怖い思いをさせてごめんなさい………」
私は一息で喋った。瞬の腕から手を離し、彼のリアクションを待つ。
「お、俺の方こそ、ごめん…!」
瞬が頭を下げる。ごめん?何に?
「君の気持ちに気づいてあげられなくて、ごめん…!」
今度は瞬が私の両腕を掴んだ。
瞬が甘い声で囁く。
「そうだよね…自分の気持ちって、真っ直ぐ伝えるの難しいよね。
僕が察してあげるべきだったんだ。君は何も悪くないよ。ただ不器用なだけだったんだよね。こんなことをしなきゃいけないくらい君を不安にさせてしまって、ごめん。
大丈夫。今日のことは誰にも言わないから安心して。僕はどこにも行かないよ。
僕はずっと、煉獄⭐︎BLOODY RAINの瞬だから。ずっと、君のアイドルだから。だからさ、クリスマスライブでまた会おうよ。」
瞬は優しく微笑んだ。私はまた呆然としてしまう。
「あ、ありがとう…」
どうやら通報は免れたようだ。ひとまず安心する。でも、涙が止まらない。警察に通報されて、大学にも親にもバレて、全国中継のニュースで顔が晒される未来のイメージが頭の中を駆け巡っていた。夏凪に軽蔑される未来像が頭から抜けず、私は怖くて泣いていた。
「君の名前はなんて言うの?」
私は耐え切れなくなって、店を飛び出す。
「あっ!ちょっと!」
瞬の手を振り払う。
さようなら、十六夜坂瞬。もう二度と貴方の人生が、私の人生と交わりませんように。
◇大学3年生 12月
煉獄⭐︎BLOODY RAINのクリスマスライブ2日前。私は夏凪に会うためにCANDY♡DROPに向かった。
私は十六夜坂瞬のストーキングをしてしまった日から毎日自己嫌悪に苛まれていた。
十六夜坂瞬は善人だった。メンズ地下アイドルなんて所詮はこういう生き物だと勝手にラベリングをして、彼を裁こうとしていたなんて私は何様だったのだろう。私の方がよっぽど人として外れてはならない道を外れていた。全く知らない女から付き纏われて彼はとても怖かったはずだ。私は後悔と罪悪感の渦の中にいた。
私は夏凪を直接説得しようと決めた。ガールズバーのバイトをやめて欲しいと言おう。煉獄⭐︎BLOODY RAINの推し活もやめてもらう。もう正攻法しか残されていない。そもそも最初から正攻法しかなかったんだ。
私はCANDY♡DROPのドアを開ける。
◇大学3年生 12月
CANDY♡DROPの店内はいつにも増して喧騒の中にいた。若い女店員と老人の客が歌うデュエットが店内に響いている。聞くに耐えない。
「お待たせ〜!冬華ちゃん来てくれてありがとう〜!」
今日の夏凪はミニスカサンタのコスプレをしていた。今更だけど、高校時代の夏凪の私服はほとんどロングスカートかズボンだったのに、この店で接客している姿はミニスカートしか見たことない。私達は乾杯していつものようにお酒を飲む。
「夏凪、いつもとメイク違うね。」
「おっ、さっすが〜!ボルドーのアイシャドウ買ったんだよね。冬っぽくて良いなぁって思ったの。煉ブラのライブももうすぐだから、バッチバチに気合い入れてみた。」
夏凪は肩をすくめる。その可愛さが、私のために用意されたものじゃないことがすごく嫌だ。私は男に生まれるべきだったのかもしれない。
私と夏凪はしばらく他愛のない話をする。煉獄⭐︎BLOODY RAINの新曲の瞬のダンスが格好良いだの、CANDY♡DROPの夏凪推しのお客さんに出勤前に焼肉屋に連れて行ってもらっただの、聞くだけで胃酸が逆流しそうな話題を、夏凪が話す。私は前世でどのような罪を犯してしまったのだろうか。ああ神様、私はいつになればこのカルマから解放されるのでしょうか。
私は本題に切り込む。
「夏凪はさ、ここのバイトいつまで続けるつもりなの?」
「ん〜大学卒業するギリギリまでは続けるかな。大学4年生の2月くらい?」
「えっ…長くない?これから就活もあるじゃん。最近ほぼ毎日シフト入ってるし、毎日夜遅くまで働いて、昼は就活もやってって大変じゃない?」
「んー…でも稼ぎたいんだよねぇ。」
「もう十分稼いでるのにまだ稼ぐ必要あるの?ていうか、ここのバイトって、就活の面接でガクチカとして話せなくない?せっかく学生生活の貴重な時間を使うならもっと違うバイトの方がいいよ。私達再来年は社会人なんだし、ここでずっと働いていると、金銭感覚も生活リズムも元に戻すの大変だよ。普通のバイトを一緒にしようよ。駅前のパン屋さんがアルバイト募集の広告を出してたんだ。2人で一緒に働かない?私、残りの学生生活は夏凪と一緒に働きたいな。
あとさ、煉獄⭐︎BLOODY RAINの推し活もほどほどにした方がいいと思う。夏凪が瞬くんのこと大好きなのは分かるけど、アイドルにいくらお金使っても実際に付き合えるわけじゃないじゃん。お金を使いすぎるともったいないよ。アイドルもいいけど、私と新しい趣味一緒に探してみようよ。何がいいかな。あっそうだ。登山とかどう?体も動かせるしすごくいいと思う!夏凪、今度一緒に高尾山登らない?」
堰を切ったように私は喋り倒す。
数秒、沈黙が空間を支配する。
「…なんでそんなこと言うの?」
夏凪が、地の底から響く声を出す。
「いや…その方が夏凪の将来のためになるかなって思って…」
「なんで、私が好きなお仕事を辞めせさせたり、私が好きな瞬くんを好きじゃなくさせることが私の将来のためになるの?」
「だってそれは…このままじゃ夏凪が大変だと思うから…」
「なんで?なんで急にそんなこと言うの?冬華ちゃん今までずっと応援してくれてたじゃん。私がCANDYのお客さんの話をする時『夏凪のお客さんはみんな幸せものだね』って言ってくれたし、瞬くんの話をする時も『好きなものがあるって素晴らしいことだね』って言ってくれたじゃん。なんでそれを全部否定するようなこと言うの?」
夏凪は怒りと悲しみが混ざったような冷たい表情をしている。
「いや、それは…」
「私は、CANDYで働いていることも、瞬くんを推していることも本当に幸せなことだと思ってるよ。確かにCANDYで働いていると大変なこともあるけど、色々な職業の人がお店に来るし、私の知らない人生を歩んでいる人の話を聞くのはすごく楽しい。私ね、学生時代の友達よりもここのお客さんと喋っている時の方が、素の自分でいられる気がするんだ。
それにね、私は今までこれといった趣味も無かったじゃん?だから、煉獄⭐︎BLOODY RAINに出会えたことが運命だと思ってるんだよね。煉ブラのライブで瞬くんに会うと『あぁ今生きているんだな』って実感する。付き合いたいとかそういうんじゃないの。確かにお金はかかるよ。でもね、私にとっての煉ブラはもう趣味とかじゃなくて、生きる意味そのものなの。」
眩暈がする。上手く呼吸ができない。
私は、陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクする。
言葉が意味を伴った形で唇から出力されない。
でも言わなきゃいけない。言わなきゃいけないんだ。
私は大きく息を吸い込んだ。
「み、み……」
「何?」
夏凪が眉をひそめる。
「見たくないんだよっっ!!!!!」
「!?」
店内が震える。
「私はガールズバーで働いている夏凪なんて見たくないの!おじさんのためにお酒作ってる夏凪も見たくないの!パンツが見えそうなくらい短いスカートを履いて、好きでもない歌でカラオケしている夏凪なんて見たくないの!本当はお酒も大して飲めない癖に、無理してコカボム飲んでる夏凪も見たくないの!
地下アイドルを推している夏凪も見たくないの!アイドルとチェキを撮る夏凪も、ライブ会場でペンラ振る夏凪も、握手会に行く夏凪も見たくない!メンズ地下アイドルのことなんか好きにならないで欲しかったの!
私の視界に入らなければいいとか、そういう問題じゃないの…!そんな夏凪がこの世界に存在している現実に耐えられないの。心臓が沸騰しそうになるの。そんな夏凪は、夏凪じゃないの!!!」
喉が裂けそうなくらいに私は叫ぶ。店中の視線が私達に集まる。
「………なにそれ。全否定じゃん。」
夏凪が失望を体現した顔をする。
気付けば私の顔はびしょびしょになっている。お酒がかかっている?違う。これは涙だ。
「そうやってずっと見下してたってこと?」
見下す?何を言っているんだ彼女は。
「ち、違う。見下しとかじゃなくて…私にとっての夏凪が、私の夏凪が…夏凪じゃ、なくなる、みたいで、嫌で…」
「見下しじゃないなら何なの?おじさんにお酒作っている私を見下しているから、その姿が嫌だなんて言えるんでしょ?『メンズ地下アイドルなんか』って、今、お前が言ったんじゃん。メン地下に金を払う馬鹿な女だってずっと思ってたんでしょ?心の中では私のことを、くだらない仕事をして、くだらない趣味に時間を費やす、くだらない女だって、思っていたんじゃないの?そして自分はそうじゃないって、悦に浸っていたんでしょ?」
彼女の言葉が宇宙語みたいに聞こえる。
彼女は勘違いをしている。
私は誤解を解きたい。でも、嗚咽のせいで上手く言葉にならない。
「ち、違うの…ほ、ほ、本当に…そうじゃ、ないの………な、なつ、夏凪が…私の、中の…私にとっての、夏凪が…」
夏凪は心底だるそうに首を傾げる。
「あのさぁ……さっきもそれ言ってたけど『私にとっての夏凪』って何?
私は私なんだけど。ガールズバーで働いていて、地下アイドルの瞬くんことを好きなのが私。今ここにいる私が私なんだけど。」
夏凪のスマホの画面が発光する。私の知らない名前の男から「今お店の前着いたよー」というLINEが来ている。
「『私にとっての夏凪』って言うけどさ、冬華ちゃんはさっきから誰の話をしているの?」
◯大学3年生 12月
夜の街はドブ川に似ている。
街の至る場所から何かが発酵した臭いがする。足元をネズミが走って行く。
わたしは冬華ちゃんのことを考えながら、終電に乗るため駅まで向かっていた。
「冬華ちゃんは、踏み込んで来ないから好きだったのにな…」
わたしは冬華ちゃんと日常の何気ない事柄を話すのが好きだった。高校時代の冬華ちゃんは、わたしに家族や進路のことを率先して聞こうとしなかった。だからわたしも、冬華ちゃんにプライベートの深い話を詮索しなかった。
人によっては冷たいと思うかもしれない。でも、それがわたしの理想の友情だった。
日記の一行にもならないような、取り止めのない日々の感情や出来事。
それらを冬華ちゃんと交換するのがわたしの高校時代の楽しみだった。
高校を卒業してから連絡も取りづらくなった中、久々に会ってびっくりしたけど、大学生の冬華ちゃんも冬華ちゃんのままだった。
ガルバでお客さんと話していると、必ずと言っていいほど「なんでこの仕事を始めたの?」と聞かれる。嘘をつくのもめんどくさいので、わたしは正直に「推し活のためです」と伝える。そう伝えた時のお客さんのリアションは、笑ったり呆れたり十人十色だ。
そんな中、冬華ちゃんは肯定も否定もしなかった。わたしの理想の反応だった。
ガルバの仕事は楽しい。でも、たまに途方もなく虚しくなる。
今、わたしの目の前にいるこの人は、わたしじゃない誰かを見ている。そう感じることがある。
今日の冬華ちゃんもそうだった。冬華ちゃんはわたしの話をしているようで、わたしじゃない誰かの話をしていた。「私のとっての夏凪」って何だったんだろう。
ガルバのお客さん達は「俺がこの世界で夏凪のことを一番理解している」とでも言いたげな振る舞いをすることがある。みんな誰かの特別になりたいんだと思う。冬華ちゃんもそうだったのだろう。とても残念だ。
冬華ちゃんは、違うと思っていたのに。
冬華ちゃんだけは、この距離を保ってくれると思っていたのに。
駅前の広場に出る。安っぽいイルミネーションに心を締め付けられそうになる。
いつだったか冬華ちゃんと夜の遊園地を眺めたことを思い出した。
夜の遊園地を見ると寂しくなるとわたしが言うと、冬華ちゃんは家族で行ったディズニーを思い出すからだと言っていた。それを聞いて、わたしは更に悲しくなったものだ。
わたしは生まれてから一度も、家族でディズニーランドに行ったことがない。
動物園や水族館に行ったこともない。家族旅行の思い出も一つもない。
冬華ちゃんの家は、小さい頃から両親共に仲が良くて休日はよく遊びに行っていたんだろうな。
家に帰ると当たり前に、おかあさんがご飯を作ってくれていたんだろうな。
小学生の頃、腕につけられた傷が見えないように、夏に長袖を着て登校したことなんてないんだろうな。
冬華ちゃんはまだ実家に住んでいると言っていた。地方から上京するわけでもなく、都内で生まれて都内の大学に進学するのに、わざわざ一人暮らしを選択したわたしの気持ちなんて、彼女は一生理解できないのだろう。
冬華ちゃんの笑った顔を見ると無性に苛立つことがあった。冬華ちゃんの笑った顔は、なんていうか、世界を信じている人の顔だと思う。心臓から黒いマグマが噴き出す感覚に陥る。わたしは抑え込んでいた感情に気づく。
わたしは冬華ちゃんが嫌いだ。
わたしは冬華ちゃんが憎い。
他人が自分の理想の姿であり続けると信じているその傲慢さが憎かった。
だけど、一方で羨ましくもあった。わたしもそんな風に誰かを心の底から信じてみたかった。冬華ちゃんの純真さにわたしは灼かれていた。
わたしにとって確かなものはお金で繋がる関係性だけだ。血縁も言葉も何の意味も持たない。どうすれば彼女のように生きられたのだろう。怒りを鎮めながらホームで電車を待つ。
そういえば、来年の4月から大学を休学するってこと、冬華ちゃんに言い忘れたな。
でも、いいや。もうきっと、会うこともないだろうし。冬華ちゃんだって会いたくないだろう。今後もし高校の同窓会なんかがあったとしても、わたしは行かないつもりだった。
わたしは電車に乗り込んだ。
◇大学3年生 1月
最後にCANDY♡DROPで夏凪と会って以来、私は屍のような状態で日々を過ごした。気づけば試験期間が終わり、冬休みになっていた。
胃薬を毎日飲んだ。眠りが浅くなり夜中に何度も目覚めた。体重が日に日に減っていった。
あの夜の翌日に夏凪からはLINEもインスタもブロックされていた。SNSをブロックされていようと、CANDY♡DROPに行けば彼女に会えるわけだが、流石に私のハートはそこまで強くない。
現代において、SNSのブロックというのは物理的に連絡手段を断つ行為というよりも、もう二度と貴方に関わりたくないです宣言としての意味が強い。私はもう夏凪の人生という物語の登場人物ではなくなったのだ。
あの夜からしばらくは毎晩自室で泣いていたが、ここ数日はだいぶマシになってきた。日常のふとした瞬間に涙が止まらなくなる程度までには回復していた。今日は1月1日。新しい1年が始まろうしているが、私だけはまだあの夜に囚われている。
「どうすれば良かったんだろう…」
私はひとりごちる。
私は夏凪とどのように関われば良かったのだろう。
私は夏凪に何を言えば良かったのだろう。
私と夏凪が過ごした時間は、全部意味のないものだったのだろうか。
「「自分の気持ちって、真っ直ぐ伝えるの難しいよね。」」
なぜか立ち飲み居酒屋での瞬の言葉を思い出した。うるさい。なんでこんな時に。
でも、そうか。私、一度も夏凪に伝えたことなかったんだ。
夏凪を尊敬しているって、夏凪が憧れの存在だって、面と向かって伝えたことがなかった。
そして、一番大事なことを言っていなかった。
いや、言っていなかったんじゃない。
私は言えなかった。
私は、夏凪に言えなかったんだ。
私は、ずっと、貴女のことが、
♡大学2年生 4月
「美紗都(みさと)ーー!こっちだよー!」
「はーい!」
自分の名前を呼ばれた私は、麗奈(れいな)さんのいる方向に向かって走る。
CANDY♡DROPの女の子達が桜の木の下でレジャーシートを広げている。今日はお店のみんなとお花見をする日だ。ガルバで働き始めてまだ2ヶ月だけど、ここのお店の人達はみんな私に優しくしてくれる。
「買い出しありがとうね。あとで美紗都とひなちゃんも、夏凪(なつな)とバドミントンしておいでよ。夏凪、すっごく強いんだよ。」
麗奈さんが指さす方向に夏凪さんがいる。麻里亜(まりあ)さんとバドミントンをしている。確かに夏凪さんのフォームはとても綺麗だ。
「本当だ…麻里亜さんも上手ですけど、夏凪さんは更に上手ですね。部活に入っていたとか?」
私は麗奈さんに質問する。
「いや、高校の頃に体育の授業でやったきりらしいよ。」
夏凪さんは私の憧れの先輩だ。夏凪さんはとても優しくて、分らないことを何でも教えてくれる。顔もすっごく可愛くて、左目の目尻のほくろが特に可愛い。とても優しいお姉さんだけどどこかミステリアスな雰囲気を纏っている。詳しくは知らないけど、今は大学を休学しているらしい。一緒にお客さんの接客をしたことはまだ少ないから、今日をきっかけにもっと仲良くなりたいと思っていた。
「美紗都とひなちゃんが買ってきてくれたおやつ、食べよっか。
夏凪ー!麻里亜ー!こっち来てー!」
麗奈さんが大きな声で2人を呼ぶ。
桜を眺めながらお菓子パーティーが始まった。私は夏凪さんの隣の席を確保する。
「夏凪さん、ドーナツは何味食べますか?期間限定のやつも色々買ってきましたよ!」
私はウキウキしながらドーナツの箱を夏凪さんに見せる。
「ありがとう。私はエンゼルクリームを貰おうかな。」
「えっ?夏凪さんって生クリーム好きでしたっけ?桜味じゃなくていいんですか?出勤前によく桜のラテ飲んでますよね?」
夏凪さんは小さく笑う。
「美紗都ちゃんよく見ているね〜。桜味も好きだけど、ミスドではいつもエンゼルクリームを頼むんだよね。」
そうだったんだ。私の知らない夏凪さんを見つけた。嬉しい。もっと色々な夏凪さんを知りたい。
「ごめん夏凪。モバイルバッテリー持ってない?」
麗奈さんが夏凪さんに呼びかける。
「あっ、持っているよ。ちょっとまってて。」
夏凪さんは立ち上がって、自分のバッグを取りに行く。
私は夏凪さんの背中を見つめる。夏凪さんは後ろ姿だって絵になるのだ。
「はい、どうぞ〜」
「ありがとう〜。あれっ、なんか今日珍しいバッグ持ってない?」
麗奈さんが指摘したそのバッグは私もはじめて見るバッグだった。年季が入ってそうなシャンパンゴールドのバッグ。
「あっ、気付いた?これ高校生の頃から使っているんだ〜。お店には持ってきたことないけどね。そんなに物は入らないけど、今日みたいに屋外で過ごす日は便利なんだよ。」
夏凪さんが私と麗奈さんにバッグを見せてくれる。
「本当だ〜可愛いね。待って、なんか変な生き物ついてない?」
麗奈さんが笑いながら指をさす。
「ふふ、可愛いでしょ。」
夏凪さんのバッグにはピンクのストラップが付いていた。ピンクのウサギみたいなウーパールーパーみたいな、不思議な生き物のストラップ。何かのキャラクターなのかな。バッグと同じく古そうで、色がくすんでしまっている。
夏凪さんが愛おしそうにストラップを撫でる。夏凪さんってこんな顔もするんだと私は思う。私は夏凪さんの長いまつ毛の先を見つめる。
春の木漏れ日に照らされて笑う夏凪さんは、一瞬ひどく悲しい顔をしたように見えた。
偶像の君へ 沙智 @sachi_historia00
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