第2話
◇大学3年生 11月
私は現実感のないまま電車に揺られていた。店での夏凪の言葉を反芻する。
「一番最初はね、瞬くんが踊っているショート動画をたまたま見つけたんだ。そのダンスが超キレッキレで格好良くて〜!顔もすっごく格好良くて〜!この人は誰なんだろうって調べたら煉獄⭐︎BLOODY RAINの瞬くんだったの!そこから過去のライブ映像とかミュージックビデオも見て、すっかりハマっちゃった。」
こんなマイナーなアイドルのショート動画がサジェストされるなんて、夏凪のスマホ
はどんなアルゴリズをしているんだろう。
許せない、この高度情報化社会が。
許せない、全てのAIが。
「瞬くんってね、本当に格好いいんだぁ。まず背がすっごく高いの!185cmあるんだよ。目もすっご〜く綺麗で、優しい顔をしているの。」
写真を見せてもらったけど、犬みたいな顔だった。確かに目はつぶらだけど鼻が団子鼻でバランスが悪い。その辺の大学にいそうだ。夏凪の隣には相応しくない。
「煉獄⭐︎BLOODY RAINはね、煉獄スタンプカードってシステムがあるの。ライブやイベントに行くとポイントが貰えるんだ。ポイントを貯めるとチェキを撮ったり、サインを貰えるの。いっぱい貯めると推しメンとデートすることもできるんだよ!」
こいつは何を言っているんだ??地下アイドルってそういう職業なの?デートに必要なポイントを貯めるための金額も聞いたけど、目玉が飛び出そうな額だった。悪い夢を見ているみたいだ。
というか、煉獄スタンプカードって、何?そもそも、煉獄⭐︎BLOODY RAINって、何?煉獄の血の雨ってどういうセンスなの?アイドルの名前ってもっとキラキラしている字面の方がいいんじゃないの?十六夜坂(いざよいざか)瞬(しゅん)って名前も何なんだ。
いや、そんなことはどうでもいい。彼らの名前なんてどうでもいいんだ。重要なのは、あの夏凪が、あの、純真無垢な夏凪が、地下アイドルなんかにハマってしまっていることだ。そんな夏凪は、嫌だ。メンズ地下アイドルに貢ぐためにガールズバーで働く夏凪なんて、私の憧れた夏凪じゃない。
私は店を出る時の、夏凪との最後のやり取りを思い出す。
「今日はありがとう。急に来ちゃってごめんね。」
「ううん全然!むしろ久々に沢山話せて嬉しかったし、楽しかったよ。いつもはじめましての人ばかりだから、知ってる人と話せると安心する。」
「本当?良かった。お互い就活とか色々頑張ろうね。」
「うん!頑張ろう〜。12月はさ、煉ブラのクリスマスライブがあるんだよね。グッズも沢山買いたいんだ。だからそれまで、ガルバのお仕事も頑張るよ〜!」
この世界が存在する意味みたいな夏凪の笑顔を思い出す。私の胸中は煉獄⭐︎BLOODY RAINの略称って煉ブラなんだという衝撃よりも、悲しみの方が上回っていた。
クリスマス。私にはそれが呪いの言葉のように思えてくる。
やめさせないと、ガールズバーの仕事を。
やめさせないと、地下アイドルの推し活を。
私が憧れた夏凪を取り戻すために、一刻も早くやめさせなければ。
◆高校2年生 12月
私と夏凪の通う高校では、2年生は学習の一環として観劇がカリキュラムに組まれている。今年の演劇会場は横浜にあった。演劇自体に興味がある生徒なんてほぼいなくて、過半数は終演後に横浜の街に繰り出すことをメインとして捉えて、この行事に参加する。
私と夏凪も似たようなもので、校外学習が終わった後は亜美も誘って3人で中華街に行った。日が暮れ始め、藍色に染まった汽車道を制服姿の夏凪と歩く。
「今度は観覧車にも乗りたいなぁ。」
遠くを眺めて夏凪が言う。夜の遊園地は虹色のビーズをばら撒いたみたいだ。
「いいね。でももう少し暖かい季節になってからがいいかな。」
「それはそうかも。次行くとしたら受験が終わってからかな〜。」
「春休みは皆んな忙しそうだもんね。」
そう言いつつも私は、別に2人で言ってもいいのに、と思う。
夏凪がポツリと言う。
「夜の遊園地って、なんだかすごく寂しくなるんだよね。」
夏凪の瞳に憂いが帯びる。
「あー…なんか分かるかも。ディズニーの帰り道を思い出すからかな?まだ遊んでいたいのに、お母さんにもう帰るよ〜って手を引かれて悲しかったことを思い出しちゃう。私、小さい頃のディズニーの思い出って泣き喚いていたことばかりなんだよね。」
「ふふっ、そうかも。てか、冬華って小さい頃そんな感じだったんだね。ディズニーに行ってもすぐ帰りたいって言ってそう。」
「何それ?私そんなイメージなの?」
心外だというリアクションをする私を夏凪は笑う。ディズニーランドか。そう言えば夏凪とは行ったことないな。観覧車を見据える夏凪は意味深な微笑を浮かべている。
◇大学3年生 12月
夏凪にガールズバーのバイトをやめさせる決心をした私であったが、特に成果を得られないまま1ヶ月が経過した。
私は週に1回ほどの頻度でCANDY♡DROPに通った。彼女に頼まれたわけでもないのに、自主的に通った。同性でしかも同級生である私が、金を払わなければ若い女と会話できない輩と同格に成り下がるようで癪だったが、私と夏凪は学部もサークルもバイトも被っておらず生活サイクルも全く違うので、お店に行くことが一番手っ取り早い会う手段だった。毎回飲み会2回分ほどのお金が飛ぶのは痛いが、彼女のためと思えば耐えられる。
私は煉獄⭐︎BLOODY RAINについても調べた。煉獄⭐︎BLOODY RAINは5人組の男性地下アイドルグループで、ルックスはせいぜい中の上が良いところだった。学校のクラスにいたとしたら上の階級に属するとは思うけど、わざわざ金を払ってまで会いたいとは思わない。歌もダンスも特別優れているとは思わなかった。そもそも楽曲が耳に残らない。
夏凪にガールズバーをやめさせるためには、彼女が煉獄⭐︎BLOODY RAINの瞬とやらを好きでいることをまずやめさせなければならない。私は夏凪が瞬に幻滅するような、瞬のファンを降りるきっかけとなる材料を探した。
メンズ地下アイドルなんて、ファンの女の子に手を出しまくっているに違いない。奴らはきっとスキャンダルに塗れているだろう。私には確信があった。
私は毎日のようにネットニュースの記事を漁り、週刊誌の記事も電子書籍でチェックした。でも、それらしき記事は全く見つけられなかった。煉獄⭐︎BLOODY RAINはあまりにもマイナーすぎて、スクープ記事を書かれるアイドルではなかったらしい。せめてドームに行くクラスのアイドルであってくれよ。ファンでも何でもないアイドルに私は場違いな怒りを燃やす。
探偵を雇おうかな。私は考えた。浮気調査の名目で探偵に瞬を尾行してもらうのがいいかもしれない。浮気調査って、特に証拠が見つからなかった場合は報酬を払わなくていいケース多いらしいし。でも、妻でも何でもない私が、何と言って依頼すればいいんだろう。瞬のブロマイドかなんかを持って行って、「彼の恋人です。」とでも嘘をつけばいいの?◯月〇日に〇〇ライブハウスで彼がライブをするので、終わった後に尾行してくださいって言うの?なんかやばいファンの言動みたいじゃない?プライバシーの侵害なんじゃないの?
「う〜ん…」
私は頭を抱える。やはり、バイトも推し活も両方やめてと夏凪に直接言うしかないのだろうか。でも何て言えばいいのだろう。煉獄⭐︎BLOODY RAINの話をする夏凪の目はキラキラと輝いている。どのように伝えれば、彼女を傷つけずにいられるだろう。メールボックスを開くと、キャリアセンターからのメールが届いている。大学3年生の冬に、私はこんなことで悩んでいる場合なのだろうか。クリスマス、就職活動、嫌な現実が刻一刻と迫っている。
◇大学3年生 12月
1限の講義のため大学に向かっていた私は、お腹が痛くなり途中下車をした。普段は降りない駅のトイレに寄った後、胃薬を買うために駅近くのコンビニに入店する。
冬は嫌いだ。この時期になると決まって胃腸の調子が悪くなる。肌もカサつくし、自律神経が乱れる。もうすぐ試験期間も迫っているし、試験中に腹痛が起きたらと思うと気が気でない。コンビニの内装は赤と緑と白で彩られ「チキンの売り上げ日本一店を目指します!」というポスターが貼られている。すっかりクリスマスの色に染まっているようだ。イライラする。クリスマスなんて、キリスト教圏内ではない日本にとっては、各企業がここぞとばかりに売り上げを伸ばそうと画策し、資本主義を加速させるだけの行事でしかないだろう。皆、自身が食い物にされていることに自覚的になった方がいい。夏凪も早く、気付いて欲しい。煉獄⭐︎BLOODY RAINのクリスマスライブまであと2週間もない。グッズを沢山買うと言っていたが、夏凪はライブでどのくらいお金を使うんだろう。
胃薬を手に取り、私はレジに向かう。レジの前には背の高い男が1人並んでいる。モデルみたいな体型だ。黒のスウェットに紺のジーンズ、黒のキャップとシンプルな服装だが様になっている。185cmくらいありそうだ。男はレジ奥のタバコを指差した後、財布に手を伸ばし…あっ、落とした。男の小銭が床に数枚散らばる。私は反射的に腰を屈めて拾う。うっ、痛い。しゃがむと胃が痛い。拾った小銭を男の手に渡す。
「あっ、す、すみません、ありがとうございます…」
男が力のない返事をする。
「い、いいえ…」
私も力のない相槌を返す。
私の双眸が男の顔を捉える。え? 一瞬世界が止まったように感じた。
そこにあったのは特別珍しい人相ではない。目がつぶらで、団子鼻で、犬みたいな顔。その辺の大学にいそうな顔。夏凪がガールズバーで宇宙一格好良いと言って見せてくれた、メンズ地下アイドル煉獄⭐︎BLOODY RAINの、瞬の顔。
◇大学3年生 12月
間違いない。瞬だ。今のは瞬だ。
私は動揺したままレジで会計をする。え?なんで?この街に住んでいるの?え?めっちゃ普通の大学生みたいな格好してたけど。え?全然オーラなかったけど。え?あれでアイドルなの?え?瞬なの?てか、小銭落としてたってことは現金で払っているってこと?アイドルってキャッシュレス払いしかしないんじゃないの?え?なんで瞬がここにいるの?
会計を終えた私は一目散に店を出る。視界の端で瞬を捉える。いた。私は駅と逆方向に向かう瞬を追いかける。
私は直近の煉獄⭐︎BLOODY RAINのスケジュールをくまなくチェックしていたが、今日は何のライブもイベントもなかったはずだ。瞬は休みの日なのだろうか。瞬はどこに向かっているんだろう。
刹那、私の脳裏に閃きが走る。もしかして、瞬はこの後女の子と会う予定があるのではないか。今日はお忍びデートなのでは。でも、デートにしては地味な服装に感じる。いや、むしろ地味だからこそアイドルのデート服っぽくもある。うん、デートだ。デートに違いない。その現場を抑えることができれば、私は彼のスキャンダルを暴くことができる。夏凪を夢から覚ますことができる。メンズ地下アイドルなんて肩書を背負った偶像気取りの彼も、結局は有象無象のオスと同じように若い女の尻を追いかけるくだらない生き物であったことを、白日の下に曝け出すことができるのだ。私は一定の距離を取りつつ瞬を尾行する。「1限」の2文字が私の足を絡め取るが、年内最後の講義は次回だし1回くらい休んでも問題ないだろう。絶対に彼の熱愛現場を目の当たりにしたい。私は彼の尾行を決意する。気付けば胃の痛みは引いていた。
◇大学3年生 12月
瞬が向かった先は映画館だった。きっと、映画館のロビーには、白のダッフルコートを着たセミロングの茶髪の女が待っていて「瞬くんやっほ〜⭐︎」と甘ったるい声で彼を呼ぶのだろうと思った。女はいなかった。
映画館で誰かと待ち合わせをしているわけではなかったようだ。瞬は慣れた足取りで券売機に向かう。キャラメルポップコーンの甘い匂いが館内を満たしている。外で待っていても暇なので、私も同じ映画を観ることにする。券売機を操作する彼の背後を覗き込み、同じ映画の同じ回のチケットを買う。午前は1人で映画を楽しんで、昼から女に会うんだろうな。私は自分を納得させる。瞬よりも5分ほどタイミングをずらして、私もスクリーンに入場した。瞬の座る席は私の2列前で視界に捉えやすい位置だった。上映中でも彼の一挙一動を存分に眺めることができる。
映画は若手俳優2人が主演を務めている歌舞伎を題材としたものだった。チケットを買う直前に気づいたのだが、上映時間が3時間近くあった。長い。鑑賞中に胃痛が再開した私は2回席を立ってしまった。上映中の瞬に変わった様子は無く、終始姿勢良く映画を観ていた。当然と言えば当然かもしれない。映画館は暖房が効きすぎていて蒸し暑かった。私は胃痛も相まって映画の内容が全く頭に入ってこなかった。
上映終了後に瞬はトイレに向かった。私は売店を物色するフリをして彼を待つ。映画館はカップルが多い。グッズ売り場に置いてあるストラップに目がいく。あっ、これ、モケモケだ。そこにはピンクのウサギみたいなウーパールーパーみたいな生き物が山積みにされている。懐かしいなと感慨が湧いてくる。夏凪と高校生の頃に観た映画のキャラクターのストラップだ。どうやら今年の夏に続編が公開されるらしい。当時私は夏凪と2人で映画を観に行って、お揃いのストラップを2人で買った。ずっと大事にしていたのに、大学1年生の頃に旅行先で無くしちゃったんだよな…私は残念な気持ちになる。
◆高校2年生 11月
「あれっ、これ、モケモケじゃない?」
映画館の売店で夏凪がストラップを指差す。先ほど観てきたばかりの映画のキャラクターがそこにいた。
「本当だ!えっ!めちゃくちゃ可愛い!!」
「ね!え〜!超可愛いんだけど〜」
「映画観てる時も思ったけど、この子ウサギなのかウーパールーパーなのかよく分からない見た目してるよね。何がモチーフなんだろ。」
「それなぁ。でもそのゆるさが良いよね。君、映画で頑張ってたね〜」
夏凪が愛おしそうにモケモケを撫でる。
「前半でモケモケが飲んでた赤ワインが、後半の豪華客船パートで主人公の命を救う伏線になったのは熱かったね。」
「ね!冬華ちゃんもこの子買わない?お揃いのストラップつけようよ。」
「え〜…」
逡巡する私であったが、さほど時間を要さず「いいよ。」と答える。
「やったー!」
喜ぶ夏凪。彼女の上目遣いで誘われると、何を頼まれても断れない。
◇大学3年生 12月
次に瞬が向かった先はミスタードーナツだった。お昼時だし若い男だしラーメンかカレーでも食べるのだろうと高を括っていたが、ミスタードーナツだった。ラーメンとカレーも大概だけど、ドーナツは油が胃にもたれるので勘弁して欲しい。
きっと、ミスドの店内には、黒のニットワンピに黒髪ボブの韓流メイクの女が待っていて「遅いよ瞬くん…」とダウナーな声で囁くのだろうと思った。女はいなかった。
胃のことを考えると正直素うどんとかを食べたいのだが、メニューに無いので仕方なしにアップルパイとホットミルクを頼む。胃の調子が万全だったら生クリームがたっぷり入ったエンゼルクリームを食べたいのに。私はミスドで毎回エンゼルクリームを頼むけど、穴が空いていないこいつは果たして本当にドーナツなのかとよく思う。
瞬の方を見ると、ドーナツを6個乗せたトレーを持っていた。6個て。いや、6個て。ポン・デ・黒糖、チョコファッション、ストロベリーリング、フレンチクルーラー、ゴールデンチョコレート、エンゼルクリーム。多種多様なドーナツが並んでいる。あ、エンゼルクリームだ。良いな。この量を1人で食べる気なんだろうか。流石にそれは考えづらいので、やっぱり誰かと待ち合わせをしているんじゃないのか。希望の光が見えたような気持ちになる。希望と呼ぶべきかよく分からないけど。
そういえば、夏凪とも2人でドーナツを食べたことがあった。私はまた夏凪のことを考える。アップルパイを半分ほど食べて、また胃の痛みが戻ってくる。瞬は結局1人で6個のドーナツを完食した。
◆高校2年生 10月
「絶対にポン・デ・リングの苺が一番だって!」
夏凪が身を乗り出して力説する。
ミスドの店内には流行りのアイドルソングが流れており、私達と同じように制服姿の高校生達が席のほとんどを埋めている。
「いや、エンゼルクリームが一番だよ。同じ値段を払うなら食べ応えある奴の方が良いに決まってるじゃん。ミスドで腹持ち良いドーナツのトップはエンゼルクリームだから。」
「え?冬華ちゃんの評価基準そこなの?味じゃないの?」
「もちろん味も好きだよ。味も好きな上で、ボリュームがあるからエンゼルクリームが好き。ポン・デ・リングも悪くはないけど、まぁ、一軍としては弱いかな。」
「わっかんないなぁ。」
「絶対にエンゼルクリームだね。」
「いや〜、ポン・デ・リングの苺だね。」
そう言いつつも夏凪は、物欲しそうな目でエンゼルクリームを見ている。
◇大学3年生 12月
ドーナツを食べた後の瞬は、都内でも屈指の広さを持つ公園に向かった。
きっと、公園の噴水には、ピンクと黒のワンピースを着たハーフツインに舌ピアスの女が立っていて「なんで昨日の夜、電話に出てくれなかったの!?」と金切り声で叫ぶのだろうと思った。女はいなかった。
瞬は園内にあるカフェで本を読んだり、イチョウ並木の写真を撮ったりしていた。定年後のお爺ちゃんみたいな過ごし方だ。瞬はうねうねと蛇行するようなルートで公園を回った。特に目的も無く、ただ本能のままに動いてるように見えた。
瞬は池の前のベンチに座った。目線の先には鴨の親子が仲良く泳いでいる。近づきすぎると気付かれるかもしれないので、鴨を眺める瞬を木の背後からそっと見つめる。私→瞬→鴨の構図が成立する。そのまま30分が経過した。
段々と日が傾いてきた。瞬は公園で誰に会うこともないまま、出口に向かってふらふらと歩き始める。
「マジか…」
私は思わず声を出す。彼の1日は一体何なんだ。アイドルの休日というか、20代男性の休日としてどうなんだろう。世間ではこれがスタンダードなの?これがZ世代のリアルなのか。どうりで少子高齢化も止まらないわけだ。今日は1限だけじゃなくて2限も3限も休んでしまった。出席日数を犠牲にして得たものが、こんな枯れた1日の観察記録だなんてあまりにも虚しい。でも、ここまで来たからには最後まで見届けたい。いや待て。最後って何だ?
公園の広場で子供達がバドミントンをしていた。ああ、良いな。こんな不毛な時間を過ごすくらいなら1日中バドミントンでもしていた方がまだ有意義だっただろう。バドミントンか。高校の体育の授業以来やっていない競技だ。私はスマッシュの構えを取る。
◆高校2年生 9月
上履きのキュッキュッという音が体育館に鳴り響く。
「だからぁ!肩を支点にするんだってぇ!」
「そうやってるじゃん!」
「やってないよ!さっきから夏凪は腕の力だけで振ってるもん!だから力んだ感じになっちゃうんだよ!」
「冬華ちゃんの教えた通りにやってるのになぁ〜…」
夏凪は運動神経は悪くないはずだが、道具を使う球技全般が苦手だった。卓球の腕前も中々だったけど、バドミントンもその例に漏れないようだ。私が夏凪にスポーツについて教える機会なんて滅多にないので新鮮に感じる。
「おっかしいな〜」
夏凪が珍しく不機嫌を露わにした表情を見せる。可愛い。
「来週は亜美達と試合するんだから、絶対勝とう〜ねっ!」
私がサーブを打つ。
「勿論!」
夏凪が肘を畳み、ラケットを後ろに伸ばす。
一瞬、世界がスローモーションになる。
あ、すごい。フォーム、完璧かも。
スパァン!
気持ちの良い音が体育館を震わせる。
シャトルが私の目の前に落ちる。
「え、今の!?」
夏凪が高揚した表情を見せる。
◇大学3年生 12月
公園を後にした瞬は歓楽街を歩き、1人で立ち飲み居酒屋に入った。お洒落なバーなどでは無く、どこにでもある居酒屋である。彼を観察しながら私も酒を飲む。店内は若い男女で溢れていて騒がしい。
「はぁ…」
重いため息をつく。
正直飽きてきた。もう帰りたい。入店してから1時間が経っている。誰かと待ち合わせをしているのだとしたら、とっくに来ているはずだろう。どうせこの先も彼の元に女なんて現れないし、彼は1人でチビチビ酒を啜るのだろう。せっかくの休日にこんな過ごし方を選している時点で、恋人もいないに違いない。私はそろそろ認めなければならないようだ。
十六夜坂(いざよざか)瞬(しゅん)に、交際相手はいないのだ。
彼は清廉潔白だ。彼はメンズ地下アイドルとしての責務を全うしているのだ。彼は女の影を一切見せなかった。偶像の名に恥じぬ生き方をしている。素晴らしいプロ意識だ。結構なことではないか。
「はぁ…」
私は再びため息をつく。また胃が痛くなってきた。昼まで胃痛があったにも関わらず、やけ酒なんてするからだ。重い足取りのままトイレに向かう。
ファンの子でも同業の地下アイドルでも、誰でもいいから瞬にハニートラップを仕掛けてくれればいいのに、と私は思う。クリスマスライブまでに何らかの事案が起きて欲しい。夏凪が瞬に、幻滅して欲しい。瞬のファンもみんな、瞬に失望して欲しい。誰か、誰でもいいから、十六夜坂 瞬をたぶらかしてください。神様、どうか、お願いします。私は願った。
私はトイレの鏡を見る。
そこには、幅広の二重瞼に、切れ長の瞳、筋の通った鼻、端正なバランスでパーツが配置された顔が映っている。血管が透けそうなほどの白い肌に、艶やかな黒髪。少し疲れた表情が、深い湖のような雰囲気を醸し出している。
私は固唾を飲んだ。そうか。ここにあったんだ。ここにあった。夏凪が瞬に幻滅する材料は。瞬を破滅させる手段は。ずっとここにあったんだ。今日という1日は、まだ終わらない。終わらせない。
事案が無いなら作ればいいんだ。私の今日の1日のゴールは、彼のスキャンダルを暴くことではなく、彼のスキャンダルを作ることだったのだ。十六夜坂瞬のアイドル人生に、私が終止符を打ってやる。彼を偶像の椅子から、引きずり下ろしてやるんだ。
この私の、類まれなる美貌によって。
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