偶像の君へ

沙智

第1話

◇大学3年生 12月

 夜の街は万華鏡に似ている。

 鮮やかなネオンの光で溢れる道を私は歩く。原色で彩られた看板が所狭しと並んでいる。光の飛沫はガラスの欠片だ。


 冬の匂いのする風が私を追い越していく。思考が霧散する。アルコールの入った脳みそがぐるぐると回る。ぐるぐるぐるぐる。次第に平衡感覚が失われ、目に映るものの輪郭が曖昧になる。居酒屋もコンカフェも無料案内所も、光の中に溶けていく。


「大丈夫?」


 夏凪(なつな)が私に声をかける。

 酔いのあまり上手く発声ができない私は黙って頷く。あぁ、気持ち悪い。


 ぐるぐる。ぐるぐる。


 どこかでトイレに寄った方がいいかもしれない。


 ぐるぐる。ぐるぐる。


 瞬間、私の捉える世界の解像度が上がる。曖昧になっていた対象にピントが合う。夏凪の顔が目の前にある。近い。


「お水買ってこようか?駅まで1人で歩けそう?」


 夏凪の顔を見ると、心臓があたたかくなっていく。

 夏凪の声を聞くと、多幸感に満たされていく。


「大、丈夫、、、ありがとう、」


 私は辛うじてお礼を言った。夏凪が笑う。夏凪の笑った顔って、光みたいだ。彼女のいる場所にこの街の光が全て集まっている。どんなネオンや宝石よりも強い光。


「今日はありがとう!またね!」


 夏凪が私に向かって、両手を力いっぱいに振る。

 私は片手をあげて、彼女に背を向け歩き出す。



◇大学3年生 11月

「はぁ…」


 カフェを出て私は重いため息をついた。自己分析、エントリーシート、SPI、OBOG訪問、就活のことを考えていると目眩がしてくる。来年の今頃に進路が確定しているだなんて、全く想像ができない。卒論も並行して書かなければいけないことを考えると、胃の奥が圧迫される感覚になる。


「今日の合同説明会も微妙だったな…」


 私は将来明確にやりたいことが見つからないので、友達やキャリアセンターの提案に乗っかる形で就職活動に取り組んでいる。昼に参加した合同説明会も私の意思で選んだものではなく、同じ講義を取っている美幸(みゆき)に誘われたものだ。当の本人はインフルエンザにかかったので、1人でいく羽目になってしまったが。参加した感想としては、不毛な時間だったに尽きる。「やり甲斐」だとか「自己実現」だとか耳障りの良い言葉を並べたスライドの数々が心に響くことはなく、いたずらに時間だけが過ぎて行った。美幸にはなんて伝えよう。大体、新卒の就職活動というのは、構造そのものに欠陥があると思う。


 あと5ヶ月後には4年生になっている現実を受け入れない。というか、学生時代が終わる事実を受け入れられない。モラトリアムの延長を望む私の心理に反するように、時計の針は無慈悲に進む。すぐそこまで冬が来ていることを、吐く息の白さから実感する。


 日は既に沈んでいる。説明会が終わった後にカフェで課題をしていたら遅くなってしまった。合同説明会のために来た知らない街なので、なんだか心細い。駅まで近道できるルートを検索する。


 地図アプリに従っていたら、猥雑な通りに出てしまった。体に悪い駄菓子みたいな色をした看板が沢山並んでいて、目にうるさい。コンカフェやキャバクラの店員と思しき女の子達が四方八方に立っている。

 自分のキメ顔の写真がデカデカと街に貼られて、知らない人に毎日見られるってどういう感覚なんだろう。私はホストクラブの広告を見上げながら考える。


 遠くから若い女の叫び声が聞こえる。すごく嫌な感じがするところだ。こんな場所、早く突っ切ってしまいたい。


 私は早足で歩く。


 全く似合っていない金髪をした居酒屋のキャッチが懸命に声を張り上げている。どうしてこの人は眉毛も染めないんだろう。

 今し方余命宣告を受けてきたような顔をしたスーツ姿のおじさんが歩いている。土偶みたいな顔色をしていて不気味だ。

 電信柱の近くに、若い女がうずくまり嘔吐をしている。夜ご飯は何を食べたんだろう。

 視覚的にも聴覚的にも、汚い情報しか流れてこない。五感をシャットアウトしてしまいたい。


 その時、ショートケーキみたいに甘い声が耳に飛び込んできた。


「お兄さ〜ん、一杯どうですか〜?」


 声がした方向を私は見る。その声は私に向けられたものではない。薄ピンクのワンピースに黒のダウンを羽織った女の子が、サラリーマンらしき男に声をかけている。女の子の左手には「40分2,500円」のうちわが握られている。サラリーマンは一瞥もせず、彼女の前を通り過ぎていった。ありふれた夜の街の光景だ。凡庸でつまらなくて、退屈極まりないワンシーン。その女の子が、彼女でさえなければ。


 私と彼女の目が合う。

 彼女の左目の目尻にあるほくろに、私の視線が吸い寄せられる。

 彼女の名前を、私は呼ぶ。


 「夏凪(なつな)……」


 彼女は息を呑んだ、ように見えた。

 彼女の口が開く。


「冬華(とうか)ちゃん…」


 あれだけ騒がしかった街の音が、消えたように思えた。



◇大学3年生 11月

 ガールズバー「CANDY♡DROP」のカウンター席で私は所在なく座っている。店内は薄暗く、タバコの臭いが立ち込めている。カウンターの向こうには、女の子の顔がプリントされたシャンパンボトルが陳列されている。パステルカラーの安っぽいデザインだ。ここで働いてる子の分全部あるのだろうかと彼女の顔も探すけど、見当たらない。


 週の中日だからか店内は閑散としていて、私の他に客は1人しかいないようだ。私から見て対角線上に位置するテーブルに、熊みたいな体格の中年男性が座っている。接客をしている女の子は、私と同い年か少し下くらいに見える。距離があるので会話の詳細は聞こえないけど、何やら盛り上がっている様子だ。親子ほども年が離れていそうな2人で、一体全体何をそんなに話すことがあるのだろうか。


 というか、熊男の顔の距離が近い。唾が飛んでいそうで気持ち悪い。あっ、ちょっとこっち見た。やばい見すぎたかも。うわっ、顔、油っぽい。


「冬華(とうか)ちゃんお待たせ〜!」


 私の思考をぶった斬るように夏凪(なつな)が店の奥からやってきた。


 可愛いな。脊髄反射のようにそう思う。久しぶりに会う夏凪は、嘘みたいに可愛い。小動物を思わせる垂れた目も、桜みたいな唇も、左目の目尻にあるほくろも、高校生の頃から変わっていない。私と同い年のはずなのに、以前よりもあどけなさを増しているように思える。メイクが薄いわけでもなさそうだけど、なんでだろう。顔は変わっていないけど、高校生の頃は肩にかからない程度しかなかったはずの黒髪が、肩甲骨まで伸びている。なんで伸ばしているんだろう。


「ごめんね〜わざわざ来てもらっちゃって… 1セットだけでいいからね。今日は他のお客さんいないから指名つけなくてもいっぱい話せるよ!」


「あ、いえ、お構いなく…」


 緊張して言葉が上手く出てこない。目の前で起きている現実を私の脳は処理しきれない。なんで私はこんな場所にいるんだろう。なんで夏凪がここで働いているんだろう。クエスチョンマークが氾濫する。いや、夏凪が働く理由はともかく、私がこの店にいる理由は自明である。私が行きたいと彼女に伝えたからだ。「私今ガールズバーでバイトしているんだ」と言う彼女を前にして、いてもたってもいられなくなったからだ。


「夜職やってるってこと、教えている友達少なくてさー…仲良い子にしか言えてないんだよね。でも、冬華ちゃんなら安心して言えるよ。最近全然会えてなかったし、今日こうして話せてすごく嬉しい!」


 聖母のような顔で夏凪は微笑む。この子いま「仲良い子」って言ったな。そうか、私以外で「仲良い子」が他にいるのか。卑屈な気持ちが湧いてくる。でも、考えてみれば当たり前だ。私と彼女が親密だったのは高校生の時なのだから。高2高3と同じクラスだった私達は大学に進学してから疎遠になっていた。進学した大学は同じだけど、学部もサークルもバイトも違ったので、日常生活で関わる機会は全くと言っていいほど無くなった。1年生の頃は夏凪含む高校の友達で集まることもあったが、次第にそういった場もなくなり、私は彼女の近況をインスタのストーリーで追うしかなくなった。


 そもそも、高校時代からホームルーム委員を務めたり、バレーボール部の大会に出場していた夏凪と、いつだって日陰にいた私は本来交わることのない存在だったのだ。高校時代一緒にいたことが一種のバグみたいなもので、縁が切れたのは必然と言えよう。高校時代の夏凪は私の青春の象徴であり、私の憧れの存在だった。


 大学生になった彼女は、学園祭の実行委委員になったりサークル活動に勤しんでいるようだった。相変わらず脚光を浴びる機会が多く、充実したキャンパスライフを送っているように見えた。私は何度か彼女の顔写真をスクリーンショットで保存していた。


「とりあえず、乾杯しよ?」


 手に握ったグラスを夏凪が私に向ける。私は応じる。


「あっ、かんぱ〜い…」


 声が少し掠れてしまった。彼女が作ってくれたレモンサワーを私は飲む。美味しい。 久々に飲んだお酒は随分と濃く感じる。


「うち女の子ワンドリンク制だからさ、私のお酒も冬華ちゃんのお会計に含まれちゃうんだよね。だから一番小さいサイズにしておいたよ!でもお客さんは飲み放題だから冬華ちゃんは沢山飲んでいいからね!」


 彼女がまた笑う。可愛い。今日は退屈な一日だったけど、こうして彼女と会えただけで人生最良の日だったように思えてくる。彼女の笑顔で全てを許してしまいそうになる。


 私と夏凪は色々な話をした。友達のこと、バイトのこと、サークルのこと、ゼミのこと。夏凪も就職活動には苦労しているらしい。器用にこなしてそうなイメージなので意外に思う。「また高校のみんなで集まりたいねー」と言う夏凪の、長いまつ毛が落とす影を眺める。


 夏凪は今、恋人はいるのだろうか。私はぼんやりと考えるが、それよりもまず最優先で聞きたいことがある。


 どうして彼女はガールズバーで働いているのだろうか。


 私が聞いたことのない甘い声を使っておじさんを呼び止める夏凪を見た時、私は彼女と久々に会えた嬉しさよりも嫌な気持ちが勝っていた。

 純真無垢の象徴だったあの夏凪が、どうしてあんな冴えない男に媚びへつらう態度を見せているのか。店に来て、熊男と若い女店員のやり取りを見ている時も胃がムカムカしていた。夏凪もこの子と同じように、こんな小汚い男の相手をしているのか。私は苛立っていた。私にとって憧れの存在だった夏凪が、ガールズバーなんかで働いているのが嫌だった。この場所で働くことで、彼女が汚されるような気分になった。


「この仕事、大変じゃないの?」


 核心に迫る質問を用意できない私は、外堀から埋めることにする。


「う〜ん、まあ、ずっと立ちっぱなしなのは疲れるけど、私は終電までしかシフト入れてないし思ったほどではないかな。普段の生活で関われないような人の話を聞けるのは楽しいよ。たまに変なお客さんが来てもボーイさんがすぐ助けてくれるしね。うちの店、全部の席に監視カメラがついてるから防犯もちゃんとしてるんだよ!」


 屈託のない笑顔で夏凪は答える。眩しい。

 その後も、夏凪は最近来たお客さんのエピソードを私に披露してくれる。夏凪は本当に楽しんで仕事をしているようだ。なんだか自分の嫌な部分を浮き彫りにされたように感じる。

 そうだ。夏凪はこういう子だったんだ。私は彼女に幻滅しかけていた自分が恥ずかしくなってくる。彼女が楽しんで働いているならそれで良いではないか。


 きっと、彼女には彼女なりの理由があるのだ。私は夏凪の家庭の事情を知らない。もしかしたら、彼女は学費や生活費を全て自分で払っているのかもしれない。奨学金の返済なんかもあるのかもしれない。もっと込み入った事情もあるのかもしれない。いずれにせよ、それらは私の関与するところではない。あの夏凪のことだから、きっと芯の通った理由があるはずだ。私は夏凪の決断を尊重しよう。私は夏凪を受け入れよう。悟りを開いた心持ちになった私は、意を決して質問する。


「ところでさ、ここで働き始めたきっかけって何なの?」


「…」


 一瞬の沈黙が発生する。何かまずいことを言っただろうか。

 夏凪は誤魔化すような笑顔をする。


「う〜ん、あんまり色んな人には言わないようにしてるんだけど、冬華ちゃんなら良いかな。亜美ちゃんとかには内緒にしてね。」


「うん、言わないから大丈夫だよ。」


 夏凪は照れた顔も可愛い。でも少し緊張しているようだ。


「私ね、好きな地下アイドルがいるんだ。煉獄⭐︎BLOODY RAINって言うの。そのグループの十六夜坂(いざよいざか)瞬(しゅん)くんって人のことが超〜〜〜好きで、ライブとかチェキのお金稼ぐために、ガルバやり始めたんだよね。」


「………は?」


 私は自分の体温が急速に冷えていくのを感じる。

 気づけば店内には私と彼女しかいない。

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