父の肩の骨を折ったら、森に捨てられた

ぴよぴよ

第1話 父の肩の骨を折ったら、森に捨てられた

皆さんは捨てられたことがあるだろうか?

私はある。

「今からあなたを捨てるから」


こう母に宣言され、目的地と逆方向に車が走り出した。

私は後ろの座席で不安そうに景色を見ていた。ドンと胸には暗い影が落ちていた。

本当に捨てるつもりなのだろうか。私はこの人の赤ちゃんなのに。

しかしなんでこうなったか。心当たりがありすぎる。

私は自分の犯した罪を振り返りながら、運ばれていくのだった。



時は遡ること、数日前。

私たち家族は、父の友人の飲み会に参加していた。場所は山の近くの大豪邸。

何年も付き合いがあるもの同士、みんな気兼ねなくバーベキューを楽しんでいた。子供も連れてこられており、私は年の近い子たちと、鬼ごっこをして遊んでいた。

親の飲み会というのは、見ていて不思議な気分になるものだ。

親がいつもは見せない顔をしている。全然知らない人になったみたいだ。しかし嫌ではない。親も楽しんでいるんだなぁと微笑ましくそれを見ていた。


しばらく子供達で遊んでいた我々だが、途中で何だか飽きてきた。

家に入るのは許可されていないし、夜も深くなってきた。山の方にはもう行けない。

大人を誘って鬼ごっこをすることにした。


「お父さん呼んできてよ」と私が言われた。

父が来てくれたらきっと楽しいに違いない。父は運動ができる方だ。きっとスリル満点の鬼ごっこができるはず。

私は父のところへ向かった。父はほとんど泥酔状態だった。友達と談笑しながら、ふらふら揺れている。

「お父さん、みんながお父さんと遊びたいってさ。一緒に鬼ごっこしようよ」

私がこう誘うと、父は嫌そうに背中を丸めた。

当然断られてしまう。

しょんぼりしていると、父の友人が「遊んでやれよ」と父を立たせた。他の父の友人も「行ってやりなよ。遊んでこいよ」と父に声をかけた。

思えば、ここが運命の分かれ道だったのだろう。誰もが父に遊ぶよう促した。

だからあんな悲劇が起きたのだ。しかしこの時は誰も想定していなかった。


「しょうがないな。じゃあ少しだけ遊ぼう」

酒気帯び父を引きずって、子供達の前に連れてくる。みんな大喜びだった。

大人を混ぜた特別な鬼ごっこが始まる。子供達はみんな本気で逃げた。

お父さんは足が速いんだ。きっとみんな驚くだろうなと私はワクワクしていた。


父は酔っているせいか、全速力で子供を追いかけた。足元にはサンダル。それに酒が入っている。そんな状態で大丈夫かと心配になったが、大人なので問題ないだろう。

きゃっきゃと子供の嬉しい悲鳴が響き渡る。


しばらくして、女の子が捕まりそうになった。猛スピードで父が飛び込んでいく。

まるで猛禽類のような動きに、女の子は反応できずに固まってしまった。

このままだとぶつかって大事故だ。

私は「危ない!」と思わず叫んだ。

その叫びに反応するかのように、さっと父が女の子を避けた。

ああ、よかった。大変なことになるところだった。


そう思った途端、父がバランスを崩して転んだ。転んだ先には坂道が続いている。

しかも坂道の両脇には深い溝があったはずだ。

父はゴロゴロと転がりながら、溝へ落ちていった。履いていたサンダルが花火のように宙を舞う。

プロレスの技や、コメディーアニメを連想させるような転び方だ。ズドーンというSEがついて、星を出しながら父が出てくるのだ。

そんなことを考えると、何となく笑えてしまう。


サンダルを拾って、落ちた父の元へ駆けつけた。溝に父が刺さっている。

ひっくり返った虫のように、溝の奥で足がジタバタしていた。死にかけのダンゴムシがいる。

なんて間抜けなのだろう。子供の鬼ごっこに参加して、本気出して、溝に落ちるとは。

私は明るくサンダルを見せながら、大声で笑った。


「助けて・・」

父のくぐもった声も、私の笑い声で覆い尽くされていく。

笑ってばかりでは可哀想なので、堪えながら父に近づいた。

「拾ってきたよ」と父にサンダルを渡そうとしたところで、私は何かに気づいた。


父の顔が青ざめている。芋虫になりながらも、手は左肩に置かれている。

顔は苦痛に歪んでいた。もしかしてとんでもないことになっているのでは。


「誰か呼んで来なさい。助けて。起き上がれない」

やっと事の重大さに気づいた時には、遅かった。私はサンダルを投げ捨てて大人を呼びに行った。

集まったみんなは、溝に刺さった父を見て何となく笑っていた。しかし笑っている場合ではないのだ。

大人たちみんなで父を溝から救出した。泥と水に塗れた父が、運び出される。

確実に今ではないだろうが、私はそっと父にサンダルを履かせた。


「子供と遊んでいて、溝に落ちるなんてばかだねぇ」と母が笑いながら父を肩を叩いた。すると父が「ぎょえええ」と聞いたことのないような声で叫んだ。

みんな驚いて笑うのをやめた。

「大変だ!肩の骨が折れているぞ」

父の仲間の一人がこう言うと、会場は一瞬で緊張に包まれた。あんなに笑っていた人たちも、みんな硬直して父の肩を見た。

肩は血が滲んでおり、変な方向に盛り上がっていた。骨が折れて飛び出しているのだ。


「今すぐ病院に連れて行こう!」みんな大慌てで父を車に乗せた。

「救急病院なら開いているはずだ」


さあ、大変なことになった。私たちは、ただ父と遊びたかっただけなのに。父の骨を折ってしまった。

「どうしてこうなったの?」母に状況を訊かれ、

私は「お父さんが友達を避けて、転がっていって溝に刺さった。サンダルが飛んだ」と説明した。笑い出したかったが、もう笑ってはいけない空気だ。私は唇を噛んで我慢した。

「なんでちょっと面白いの?」と母が運ばれていく父に尋ねる。

「笑ったね?お前らみんな許されない。家族じゃない」

冷や汗をかいた父は涙を浮かべながら、病院に連れて行かれた。


父の友人の運転で、救急病院に辿り着く。母と後ろから車で追いかけた。


結果は左肩の骨折だった。結構複雑な折れ方をしているらしく、入院が必要らしい。

救急病院ではあまり細かい処置ができず、そのまま帰ることになった。

状態はかなり悪いらしく、家の近くの病院に入院することになった。


入院と聞いて、流石の私も笑うのを止めた。そんな大事になっていたなんて、想像もできなかった。父を助手席に乗せ、母の運転で帰ることになった。

父は何かと車の中で「笑ったね?」と繰り返していた。

「そんなにお父さんが怪我したのが、面白いのか?」と訊かれ、私はぶんぶん首を振った。


家に帰ってからも肩が痛むらしく、父は荒く息をしながら寝ていた。

可哀想なことになってしまった。私が父を遊びに誘わなければ、こんなことにはならなかったのに。でも同時に、子供の遊び本気になって骨折するなんて、間抜けなのでは?という嘲笑う気持ちも芽生えていた。とても父には言えないが。


父は「お前らみんなバカにしてる」と被害妄想を爆発させながら、入院していった。

本人の前で、転んだ直後以来爆笑していないと言うのに、腹の中というのは、案外読み取られるものだ。


しっかりものの父が入院してから、家はすぐに荒れた。母も私も掃除が苦手で、ろくに片付けをしなかったからだ。

父が入院してからも、私はお菓子を食べながらアニメばかり見ていた。そりゃあ父は気の毒だと思うが、アニメだって大事だ。


父が入院してしばらくして。母に「お父さんのお見舞いに行こう」と言われた。

私は祖母と一緒にアニメを観ていた。

私は「アニメが終わってから行くよ」と言った。まだ夕方だし、もう少し見ていてもいいだろう。おやつをバリバリ食べながら、画面に釘付けになっていた。

「早くお見舞いに行こう」と言われても、私はアニメを観続けた。

母がずっと待っている。アニメは次々と新しいものが始まる。これを全部見てしまおう。お見舞いはそれからでも遅くない。


「お見舞いに行くって言ってるでしょ!」

母に怒られた頃には、もう夜になっていた。いつの間にそんなにアニメを観ていたのだろう。悪いことをしたなぁと思いながら、私は急いで玄関へ出た。

車に飛び乗ると、母が怒っているのがわかった。

いつもとオーラが違う。ちょっと調子に乗りすぎたかもしれない。


私が黙っていると、「今からあなたを捨てるから」と母に言われた。


まーた、この人は下らない冗談ばかり言って。私は呆れた。

アニメの見すぎで、捨てられた子供の話なんて聞いたことがない。

母からしたら、私は夫の肩を粉砕した不良なのだが、もうすでに私にとっては過去の話だった。それよりアニメの続きが見たいな、なんて呑気なことを考えていた。


しかし車は病院とは逆方向へ向かって行く。暗い森の中へ走っていく。

だんだん私は不安になってきた。まさか本当に捨てるつもりじゃないだろうな。


もしかして私は、とても悪いことをしてしまったんじゃないか。

父の骨を折り、それを嘲笑い、お見舞いにも行こうとしない。アニメを観て、遊んでばかりいる。それって実はすごく悪いことなのではないか。


車は山の中腹あたりに停まった。

「ここで捨てるからね。私一人で、お父さんのお見舞いに行くから」

そう宣言されて、車から出された。私を置いて車が発進していく。

やれやれ。本当に捨てられてしまった。

私は意外にも冷静だった。


夜の山は危ないらしいが、この辺に熊はいない。ここから民家も見えるし、祖母にでも連絡して迎えにきてもらおう。そんなに高い山じゃないし、自力で降りるか。

どうやって帰ろうかな・・と思っていると、車が戻ってきた。



ここで私はサッと顔色を変えた。

テレビでやっていた、母親が子供を殺したニュースを思い出した。親だって人間なのだ。度を越して悪い子供には愛想を尽かすし、場合によっては殺すだろう。

この時なぜか母が私を殺しに戻ってきたと思った。


殺されるのなら話が違う。

大変だ。


私はすぐにパニックになった。どうしよう。母が車から降りてくる。凶器でも持っているかもしれない。殺される。

「助けて!殺される!」私は叫びながら民家の方へ逃げ出した。

それを母が追いかけてくる。やはり殺しに来たんだ。この山奥で私を始末しようとしているのだ。


私は必死で逃げた。途中で何度か転んだ。膝から流れた血が、足を濡らしていく。

しかしそんな擦り傷、殺されるより何倍もマシである。

母が何か叫びながら近づいてくる。

もうおしまいだ。

木々をかき分け、ようやく民家に辿り着いた。


「助けてください!開けて!開けて!」どんどんと扉を叩く。

しかし返事はない。中からは人間の気配がするというのに、出てきてくれない。

このままだと殺されるじゃないか。誰か助けてくれ。


ようやく追いついた母が、私を抱えて民家から引き離した。

この時の絶望感と言ったら、例えるのが難しい。

「嫌だ!死にたくない!」「落ち着いて!殺さないから!」

私が暴れると、血が飛んで母にかかった。ここで自分がまあまあ深手を負っていることに気づいた。しかし抵抗しなくては殺される。

「助けて!」

泣き叫ぶ私は母に抱えられ、車に戻された。


車の中でも私は暴れた。親との思い出とか、これまで育ててくれた恩とか。そんなものは見事に吹き飛んでいた。母のことが殺し屋にしか見えなかった。

「殺さない!殺さないってば!」

母は何度もこう言ったが、パニックを起こしている私は聞く耳を持たなかった。

父へのお見舞いの品が私の拳で潰れていく。


しばらくして母が

「殺すなら、民家がないところに連れていく!」と言った。

それを聞いて、ああそれもそうかと、私はようやく暴れるのを止めた。見れば、凶器がない。いくら子供とはいえ、なんの準備も無しに命を奪うのは大変なはずだ。


シーンと嫌な静寂が私と母を包んだ。

私は傷だらけで血だらけだった。走って逃げている時に枝が顔を切ったらしく、顔から血が流れている。もちろん何度も転んだので泥だらけだ。

母は「何これ・・」と言って、運転席でしばらく動かなかった。


なんてバカな逃走劇を繰り広げてしまったのだろう。どうして殺されるなんて思ったんだろう。痛みと疲れで、私は車の後部座席に横になった。

「捨てるフリなんてするんじゃなかった。まさかこんなに信用がないなんて」

私の大パニックっぷりに、母は疲れ果ててしまっていた。

「お父さんになんて説明したらいいの、あんたすごいよ」

母に鏡を渡され、見てみると死線を潜った少年兵のようになった私が映っていた。


しばらく山で休んでから、父の病院に向かった。

父は私の傷を見て「なんだそれは?!」と大変に驚いていた。お見舞いにきた子供と妻がボロボロになっているのだから、そりゃあ驚くだろう。


母から事の顛末を聞いて、父は呆れ果てていた。

「お前らはどうしてそんなに馬鹿らしいんだ」

そう言われて、二人とも何も言い返せなかった。父も馬鹿らしいことで怪我をしたではないかと思ったが、それは言わないでおいた。

その代わり「怪我をさせてごめんなさい」と謝った。

父は「もういいんだ。怪我するまで遊びに本気になったお父さんも馬鹿だった」と言った。

父の発言で、家族全員馬鹿らしいことが確定したが、これでいいのだろうか。

みんなで反省しないといけないところである。


今思い返しても、あの時の出来事は全部馬鹿馬鹿しいなと思ってしまう。

どうして私は父を鬼ごっこに誘ったのだろう。そしてなぜ母から命をかけて逃げたのだろう。母はなぜ私をフリでも捨てようと思ったのか。父はなぜ鬼ごっこに本気を出したのか。

全て天から与えられた出来事のように思えてしまう。そのくらいあの時の家族は頭のネジが弾け飛んでいた。


皆さんに私が言いたいのは、一つだけだ。

親の骨は折らないようにしよう。

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