第3話:需要の氾濫、あるいは怪人への祈り
その兆候は、SNSの片隅から、まるでもたつく行政への「毒」のように広がり始めた。
ハッシュタグ『#メビウスにお願い』。
当初、それは未曾有の怪人被害から街を救った白銀のヒーローへ、純粋な感謝を綴るための場所だった。しかし、人間の欲望は「正義」よりも遥かに適応が早い。
『お願い。栄町二丁目の公園、遊具が錆びだらけで子供を遊ばせられないの。市役所に言っても「改修は五年後」だって。怪人さん、ここを壊しに来て! #メビウスにお願い』
『この開かずの踏切のせいで毎朝地獄の渋滞。怪人が暴れてここを更地にしてくれたら、阿久津建設が三日で最新の高架を作ってくれるのに。 #メビウスにお願い』
もはやそれは祈りですらなかった。
不作為な行政への絶望が、破壊という名の「超スピード解決」を渇望し始めたのだ。
「……信じられません。市民が自ら、怪人を『招待』しているなんて」
阿久津総合建設の社長室。モニターを流れる無数のリクエストを眺め、氷室が戦慄を隠しきれずに呟いた。彼女の瞳の下には深い隈がある。共犯者となって以来、彼女は市役所の予算書と阿久津の「破壊予定表」を整合させる作業に追われていた。
「驚くことではない、氷室さん。市民はいつだって、過程よりも結果を愛する」
阿久津は椅子に深く腰掛け、高級な万年筆を弄んでいた。
「彼らは気づいたのだ。怪人が出れば、死んでいた予算が生き返り、滞っていた時間が動き出す。怪人はもはや恐怖の象徴ではない。停滞した都市を新陳代謝させるための、巨大なメスなのだ」
「ですが……これは、あまりに歪んでいます」
「ならば君が、正当な手続きだけであの商店街の地権者全員を説得してみせるか? 三十年かかっても無理だろう。だが、今夜『不可抗力』が起きれば、明日の朝には全員が新しい店舗のパンフレットを手に取る」
阿久津が指し示したのは、第七地区。
戦後の闇市から続く古いアーケードが、再開発を拒むように街に居座り続けているエリアだ。
その夜、第七地区。
湿った夜気に、重厚な金属音が響き渡った。
アスファルトを突き破り、地中から這い出したのは、全身が削岩機と火炎放射器で武装された超重量級怪人『インフラ・デストラクター』。
「出た……! 本当に出たぞ!」
「こっちだ、こっちを壊してくれ! このボロい倉庫からだ!」
悲鳴ではない。それは、待ち望んだイベントの開幕を告げる歓声だった。住民たちはスマホを掲げ、ライブ配信を始める。怪人の火炎が老朽化したシャッターを焼き、削岩機の腕が、不法占拠同然に突き出していた軒先を粉砕していく。
死傷者は出ない。怪人は、阿久津が事前にインプットした「解体予定エリア」の境界線を、センチ単位の正確さで蹂躙していた。
そこへ、夜空を切り裂いて銀色の流星が飛来する。
「――市民の願い、私が預かろう!」
ヒーロー、メビウス。
その姿が現れた瞬間、商店街は熱狂の渦に包まれた。だが、この戦闘はかつてないほど「虚構」に満ちていた。
メビウスは怪人の火炎放射を「あえて」受け、派手な火花を散らして吹っ飛んでみせる。
(……演出係、今の爆発はいい。だが、もう少し北側へ追い込め。あそこのビルは今日中に更地にする必要がある)
ヘルメットの内側。ARディスプレイには、氷室がリアルタイムで更新する「立ち退き同意済み」の区画が青く光っている。
メビウスは怪人の突進を真っ向から受け止めるフリをしながら、その物理的な衝撃を利用して、再開発の障害となっていた最後の老朽ビルへと、怪人の巨体を叩きつけた。
ドォォォォォォォンッ!
凄まじい轟音。ビルは断末魔のような音を立てて垂直に崩壊した。
完璧な発破解体。周辺への被害は皆無。だが、観衆の目には「ヒーローと怪人の死闘に巻き込まれた悲劇の倒壊」にしか見えない。
「メビウス・グランド・フィニッシュ!」
阿久津が叫ぶ。必殺の光線が夜空をメビウスの紋章で染め上げ、怪人は粒子となって消散した。
静寂が戻った商店街。
瓦礫の山を前に、住民たちは泣きながら拍手を送っていた。「これでやっと、この不便な街からおさらばできる」「新しいモールが建つんだな」という欲望の声が、夜の空気の中に溶けていく。
翌朝。
まだ夜が明けきらぬうちに、阿久津総合建設のロゴが誇らしげに並んだ最新鋭の重機艦隊が、商店街の入り口を埋め尽くした。
氷室は現場で、市役所の災害復旧承認印を次々と押しながら、手元のタブレットを確認する。
「……阿久津社長。第七地区の地価、昨夜から一五%上昇。周辺住民からの『うちのブロックも壊してほしい』という追加リクエストが、一分間に三百件を超えています」
阿久津は社長室で、モニターに映る「怪人を待つ市民の顔」を眺め、静かにコーヒーを啜った。
「欲望こそが、世界で最も健全なインフラだ。……さて。氷室さん、次はどの『絶望』を、我々の利益に変えてやろうか」
阿久津の指先が、地図上の「停滞したエリア」を冷徹になぞる。
それはもはや建設会社の社長でも、正義の味方のものでもなく。
都市という名の生命体を、破壊という栄養で強制成長させる、狂った神の仕草だった。
【本日のログ】
・怪人生成コスト:六〇〇万(派手な演出オプション込み)
・ヒーロー活動経費:二〇〇万
・第七地区大規模再開発受注:一五億(災害復旧名目)
・市民満足度:+四〇%(過去最高)
・判定:「怪人」という名の公共サービス、市場独占に成功。
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