第2話:予算の鉄娘と、血の通った数字
阿久津総合建設の社長室。冷房の効きすぎたその部屋には、微かな葉巻の香りと、突き刺すような緊張感が漂っていた。
市役所財政課、氷室。彼女は「予算の鉄娘」という二つ名に相応しく、一切の妥協を許さない鉄の意志を、眼鏡の奥の鋭い瞳に宿していた。
「阿久津社長、しらばくれないでください。これは統計学的な異常事態です」
彼女はデスクに分厚い資料を叩きつけた。そこには、過去数ヶ月の怪人出現データと、阿久津総合建設の受注エリアを重ね合わせた地図が、真っ赤なインクで汚されている。
「栄町歩道橋。西ケ丘の排水ポンプ。そして昨夜のガード下。すべて、貴社が以前から『老朽化により建て替えが必要』と市に提案し、我々が予算不足を理由に却下した場所です。そこにピンポイントで怪人が現れ、ヒーローが壊し、貴社が即座に直す。……偶然で片付けるには、あまりに都合が良すぎる」
阿久津は顔を上げず、ゆったりと革張りの椅子に身を預けていた。
「氷室さん。君は数字しか見ない。だが、行政が数字をこねくり回している間にも、現場のコンクリートは砂状になり、鉄骨は雨に泣いているんだ。……例えば、第四地区の給水塔。あれがいつまで持つか、君のデータには入っているか?」
「それは……定期点検の結果では、まだ数年は耐えうると」
「現場を見てから言いなさい。あれはもう、限界だ」
その言葉が合図であったかのように、足元から不気味な地鳴りが響いた。
――ズズ、ズズズッ!
窓の外、第四地区の方向から黒煙が上がる。
老朽化した給水塔の頂部を突き破り、全身がドリルと高圧ポンプで構成された異形――重機型怪人『アクア・ボア』が出現した。
「なっ、本当に怪人が……! すぐに避難誘導を!」
「無駄だ。あそこは坂下だ。給水塔が砕ければ、一気に住宅街が呑まれる」
氷室は弾かれたように社長室を飛び出した。彼女は現場至上主義だ。その足で現場へ急行する。だが、そこで彼女が目にしたのは、絶望の光景だった。
怪人のドリルが給水塔の基部を容赦なく削り、亀裂から噴き出した数千トンの水が、激流となって住宅街を押し流そうとしていた。
「嘘……こんなの、市役所の災害対策本部が動くより先に、街が沈むわ……!」
濁流が氷室の足を掬おうとした、その瞬間。
天から降り注いだ銀光が、荒れ狂う水を両断した。
「――下がれ。ここから先は、私の現場だ!」
白銀の装甲を纏ったヒーロー、メビウス。
彼は着地と同時に地面を叩き、氷室を守るように防壁を展開する。メビウスは怪人のドリルを素手で受け止め、凄まじい火花を散らした。
「メビウス! 助けて、給水塔が……!」
氷室の悲鳴に、メビウスは無言で応えた。
だが、その動きは「救助」とは程遠い、極めて効率的な「破壊」の動きだった。メビウスは怪人の巨体を抱え上げ、あえて給水塔の「構造上の弱点」である支柱へと、全重量を叩きつけたのだ。
「メビウス・バースト!」
拳に収束した光エネルギーが爆発する。
怪人の肉体は飛散し、その衝撃波が、すでに限界を迎えていた給水塔を完全に粉砕した。
ガラガラと音を立てて崩れ落ちるコンクリートの塊。だが、その崩れ方は異常だった。破片は住宅側ではなく、誰もいない空き地側へと、まるで精密な発破解体のように計算された角度で積み重なっていく。
静寂が戻る。泥だらけになった氷室の前に、メビウスは静かに立ち尽くした。
「……怪我はないか? 安心しろ。この水は、私が(会社が)明日には元通りにする」
その数時間後。再び、阿久津の社長室。
泥を拭い、呆然と座る氷室の前に、阿久津は一通の計画書を置いた。
「不幸な『災害』だった。怪人のせいで給水塔は全壊し、既存の配管も使い物にならない。……だが氷室さん、朗報だ。災害復旧予算であれば、君の独断で即時承認が可能だ。今ここに判を突けば、明日の朝には最新の浄水システムが稼働し、市民は昨日までより綺麗な水を飲めるようになる」
氷室は、震える手でハンコを握りしめた。
彼女は理解してしまった。あのヒーローの一撃が、意図的に施設を「全壊」させたことを。
だが、窓の外では、阿久津総合建設の重機がすでに最新の配管を積み込み、市民が「メビウスと阿久津社長」を救世主のように称えて万歳三唱している。
「……受理、します」
力なく振り下ろされた印影が、計画書の上に鮮やかな赤を刻む。
彼女は、ただの監査役から、この「壊して直す」という巨大な循環の共犯者へと、完全に堕ちた瞬間だった。
阿久津はそれを見届け、満足げにコーヒーを啜る。
ヘルメット越しに見た彼女の絶望的な顔を思い出しながら、冷徹なログを確認した。
【本日のログ】
・怪人生成コスト:四〇〇万
・ヒーロー活動経費:一〇〇万
・緊急災害復旧受注:三億二千万
・新規共犯者:一名(市役所財政課・氷室)
・市民満足度:+二二%
・判定:「正義」を共犯にすることで、予算獲得効率は三〇〇%向上した
「……さて。氷室さん、次はどのエリアを『救いたい』かね?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます