第29話 咆哮の檻、あるいは再誕の雷光


数日後の早朝。冷たい霧が立ち込める宿の一室で、ぼくはフレイ、イリスと合流し、ウィルフレッドから突きつけられた「条件」を二人に告げた。


内容を聞いた瞬間、イリスの顔から血の気が引いていくのが分かった。彼女の手が、かすかに震え出す。


「オ、オーガ討伐を……私と、マリオだけで……?」


「ふむう。あの男、なかなかに意地の悪い条件を出してきよったな」


 フレイはネコの姿で机に飛び乗り、髭を揺らしながらぼくを見上げた。


「師として話せば、答えは『可能』じゃ。イリス、ヌシのこの三ヶ月の成長は、ただの努力の範疇を超えておる」


 フレイの瞳が、珍しく真剣な光を帯びる。


「魔法使いとしての状況判断、地脈を読む感性……何より、ヌシはワシが教えたことを血肉にするまで、夜を徹して復習しておったな。何度夜明けを見た?」


 イリスはハッとした表情を浮かべた。その瞳に、ほんの少しだけ生気が戻る。


「師匠さま……。見て、いてくださったのですか?」


「ばかもの! ワシを誰だと思っておる。弟子の指先の動きひとつ見れば、その裏にどれほどの鍛錬があるかなど一目瞭然じゃ」


「ヌシは決して器用なタイプではない。じゃが、その不器用さが積み上げたサンダー系魔法の習熟度は、もはやワシの時空魔法に匹敵する『鋭さ』を秘めておる。……まともに喰らえば、オーガとて立ってはおれんじゃろう」


 フレイはそこで一度言葉を切り、少し声を落とした。


「……まともに喰らえば、の話じゃがな」


「……どういうこと?」


「魔法とは、魂の照準じゃ。サンダーなら落としたい場所に心を置く。……だがイリス、ヌシの心には、かつて仲間が目の前で引き裂かれた『凄惨な記憶』が刺さっておる。そのトラウマが照準を狂わせる。無意識のうちに、標的から心を逸らしてしまうのじゃよ」


 イリスが唇を噛み締める。その白く細い肩が、恐怖で小さく波打った。


「じゃがな、イリスよ」


 フレイが、そっと肉球でイリスの手に触れた。


「今のヌシなら、やれる。不器用でも前を向く者に、神は見捨てはせぬ。……心を強く持て。ワシの愛弟子ならばな」


 師の優しくも力強い眼差し。イリスの大きな瞳から、ぽろりと一筋の涙が溢れた。それは絶望ではなく、信じられた者の決意の輝きだった。


「……はい、師匠さま」


「さて。オーガは通常、単独か夫婦で動く。イリス、あの時は?」


「……二体、いました。地響きのような足音と、あの獣の臭い……今でも思い出せます」


「二体か。厄介じゃが、マリオ、ヌシの脚なら囮は務まる。今回はワシは手出しせぬ。ウィルフレッドという経験豊かな戦士が『二人でやれ』と言ったのなら、それは生存圏内の賭けだということじゃ。……さあ、知恵を絞れ」


 ぼくは唾を飲み込み、頭の中で戦場をシミュレートした。イリスの最強魔法、そしてぼくが汲み取り屋の傍ら磨いてきたレンジャーのスキル……。


「イリス、準備はいい? フレイに教わった『黒鉛玉』も持った。……今度は、ぼくが隣にいる」


「……うん。」


 ウィルフレッドと共に、オーガの生息する北の連峰へと足を踏み入れる。


一歩、結界の外へ出た瞬間、空気の密度が変わった。腐った肉と獣の混ざったような、鼻を突く悪臭が漂ってくる。


 やがて、開けた平地が見えてきた。そこには、三メートルを超える巨躯が二つ。赤茶色の皮膚に包まれた筋肉の塊が、棍棒を地面に引きずりながら右往左往している。


 ウィルフレッドは、少し離れた岩陰に音もなく身を潜めた。その瞳は冷酷なほどに凪いでいる。


「さあ、見せてもらおうか。お前たちの『生』への執着を」


 心臓が早鐘を打つ。ぼくはイリスと視線を交わし、小声で合図した。


「……行くよ。射程、三十メートルまで引き付ける」


 ぼくは岩陰から飛び出し、敢えてオーガの視界へ入るように走った。


「こっちだ、デカブツ!」


 一体のオーガが猛然とこちらを向き、咆哮を上げる。鼓膜が破れそうな大音量。土煙を上げ、地響きと共に突っ込んでくる。


 二十五……二十……。


 恐怖で足が竦みそうになるのを、気合でねじ伏せる。


「九位の理(ことわり)に則り、紫電を編まん。大気の摩擦、真空の鳴動、集いて虚空を焼き尽くせ。指し示す先に、光速の絶望を――【極星・一閃(サンダーオブ・ディザスター)】!」


 イリスの凛とした詠唱が響いた瞬間、空が割れた。


 垂直に落ちた太い雷光が、オーガの頭頂部を直撃する。


「グガァァァァァッ!!!」


一撃。断末魔と共に、オーガが崩れ落ちる。その光景に、イリスの瞳にわずかな確信が灯った。


「もう一体来る! 黒鉛玉、行くよ!」


 激昂して突っ込んでくる二体目のオーガ。ぼくは懐から黒い玉を取り出し、全力で投げつけた。玉は空中で砕け、細かい黒鉛の粉塵がオーガの全身を真っ黒に染め上げる。


「今だ、イリス! 最大出力のサンダーを!」


「瞬きよりも速く、雷鳴よりも鋭く。 刹那の閃光よ、敵を討て! ――【サンダー!】」


 黒鉛に誘導された一筋の雷が、通常ではあり得ないほどの連鎖反応を起こし、オーガの体内を内側から焼き尽くした。眩い閃光のあと、巨躯が沈黙する。


「や、やった! やったよ、イリス!」


 手を取り合い喜ぼうとした、その時だった。


 ……ズゥゥゥン、と。


先程までの地響きとは、次元の違う震動が地面から伝わってきた。


 森の奥から現れたのは、五メートルを超える、山のような巨躯。


 皮膚は鋼のように硬質化し、その目は知性と残虐性を湛えた金色に輝いている。


「お、オーガロード……」


イリスの声が絶望に震える。上位個体――今のぼくたちでは、かすり傷一つ負わせられない絶望。


「逃げるんだ、イリス!」


ぼくは彼女の手を掴み、がむしゃらに走り出した。背後から迫る重圧。風を切る音だけで、相手の速度が異常なのが分かる。


死の影が背中に張り付く。


逃げながら、ぼくは探し続けた――――


(せめて...イリスだけでも)


その時、視界にウィルフレッドの姿が見えた


「……こっちだ!」


 ぼくは無心で、岩陰にいるウィルフレッドの下へと飛び込んだ。


 ウィルフレッドは悠然と立ち上がり、ぼくたちを追い越して一歩前へ出た。


「そうだ。それでいい」


 彼が腰の剣に手をかけた、と思った次の瞬間。


音すら置き去りにするような、極光の閃きが走った。


五メートルの巨体が、一瞬、空中で静止したように見えた。


 次の瞬間、オーガロードの体は、断末魔を上げる暇もなく、脳天から股下まで真っ二つに両断され、左右に泣き別れて崩れ落ちた。


 ……静寂。


 イリスは、その神業に言葉を失い、呆然と立ち尽くしている。


「……お前の勝ちだ、マリオ」


ウィルフレッドは剣を鞘に納め、静かに振り返った。


「一目で、今の自分たちでは勝てないと判断した。そして、躊躇なく利用できる最強の札(オレ)の影へ逃げ込んだ。……お前たちは、自分の『弱さ』を正しく自覚していた。だから、生き延びた」


 その言葉は、何よりも重い合格通知だった。


「ウィルフレッドだ。……よろしくな。いや、これからは『ロジャー』と呼べ。戒めとして、な」


「ロジャーさん……! こちらこそ、お願いします!」


 ぼくが興奮気味に叫ぶと、岩陰からもう一人の影が現れた。


「フレッド、あなたがそこまで認めるなんて……。この子たち、ワタシが思ってたより骨があるじゃない」


 現れたのは、以前会ったハンスさんだった。けれど、その雰囲気は一変している。優雅で、どこか艶やかな大人の女性の余裕を纏っていた。


「ハ、ハンスさんまで!? どうしてここに……」


「フレッドの試験、こっそり見届けに来ちゃった。ねえ、ついでにワタシも仲間に入れてくれない? ワタシはソーサラー、よろしくね」


ハンスさんは悪戯っぽくウインクをして見せた。


 そこへ、誇らしげな顔をしたフレイが姿を現した。


「ようやったの、イリス。ワシの教えは無駄ではなかったようじゃ」


 しかし、フレイの姿を見たウィルフレッドが、即座に剣の柄に手をかける。その全身から、これまでにない殺気が溢れ出した。


「待って、ロジャーさん! 敵じゃない!」


 ぼくは慌てて二人の間に割って入った。


「どけ、マリオ! そのネコからは、底の知れぬ邪悪……いや、神性に近い異質な力を感じる。ただの魔獣ではないぞ!」


「たわけめ! 誰が邪悪じゃ。頭が高いわ!」


フレイは偉そうにふんぞり返るが、すぐにマリオの方を向いて憤慨した。


「……しかしマリオ! ヌシはわざとやっておるのか!? そのハンスとやら!またまたワシと役割が被っておるではないか!」


「…は? どこがだよ」


「魔法使い枠、ヒロイン枠、おまけに……ネコではないか!」


「あっ!」


 命懸けの戦闘の後の、あまりに馬鹿馬鹿しいやり取り。


イリスはそれを見て、溜め込んでいた緊張を吐き出すように、くすくすと笑い出した。


「ふ、ふふ……あはは! もう、みんな最高……。テレポート、準備しますね……」


 夕闇が迫る山脈に、イリスの晴れやかな笑い声が響き渡った。


地獄の記憶を乗り越えた彼女の隣で、ぼくは新しい仲間の背中を見つめた。

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