第9話 蒸気の中で、地に足がつく
宿屋の暖簾をくぐったとき、街はすっかり夜の帳に包まれていた。
全身の筋肉が悲鳴を上げ、一歩進むごとに膝が笑う。けれど、心は不思議と軽かった。
(ぼく……やり遂げたんだ)
テスト勉強も、部活も、ゲームですら、嫌なことがあればすぐに投げ出してきた人生。
そんなぼくが、初めて自分の足で山を越え、誰かの役に立ち、無事に帰ってきた。
懐にあるのは、まだ見ぬ報酬への期待と、確かな達成感。それは、チートで手に入れた最強の称号よりも、ずっと価値のある重みだった。
宿屋に入ると「おかえり」という声がした。
女将だ。
歳の頃は50代後半だろうか?母親のような笑顔で迎えてくれた
「よく帰ったね。疲れたろ?」
「ありがとうございます。女将さんのお弁当のおかげです」
そう言って風呂敷と竹筒を返した。
「わたいは何もしてないよ。それより疲れたろ? 風呂にでも行ってきたらどうだい?」
「お風呂があるんですか?」
「ここを出て左に真っ直ぐ行くと左手にパン屋がある。そこが夜は風呂屋をしてるんだよ」
「パン屋がお風呂屋さんなんですか?」
「パン焼窯の上が風呂になってるんだよ。熱せられたパン焼窯に水をかけて蒸気をだす。蒸し風呂さ」
女将は続けた。
「アンタは何も知らないだろうから教えてやる。汗を十分にかいたら部屋の外に乾いた藁が置いてある。それで汚れを拭き取りな」
「でも……お金がないんで明日にでも……」
「パン屋の主人にこれを渡しな」
そう言って手形を渡してくれた。
「これはうちに泊まる客に配る手形さ。これを渡すと後にパン屋の主人がわたいに請求するって仕組みさ」
「心配しないでいいさね。宿泊代金に含まれてるよ。サービスさ」
「ありがとう。じゃあお言葉に甘えて……」
ぼくはこの世界に来てから一度も風呂に入ってなかったので、喜び勇んでパン屋に向かった。
パン屋に着くと主人に声をかけて手形を渡した。
「あいよ。風呂は2階だ。そこの階段を上がった所だ」
ぼくは階段を上がる。
…おかしい。男湯と女湯の表示がない………
そして何よりも気になったのは……淫靡な男女の声が聞こえる……。
ぼくが少しだけ戸を開けて覗いてみると…複数の男女がまぐわっている…………
びっくりして扉を閉めてパン屋の主人のところへ……
「どうした?」
「あ、あの…男女が……その………………」
「なんでえ。童貞か?」
「う、うん」
「じゃあちょうどいい。中に入ってる女の何人かは金出せばやらせてくれる。ついでだから童貞捨てとけ」
パン屋の主人は笑いながら言った。
「だが人妻に手を出すなよ? 教会の連中が血相変えて押し寄せてくるからな」
「え、えと……」
「覚悟決めな! 別に風呂だけでもいいから入ってこい」
ぼくはもう一度階段を上がり扉を開ける。
石造りの床が足裏からじんわりと熱を伝え、視界は真っ白な蒸気で霞んでいる。熱気と湿気が肌にまとわりつき、汗が滴り落ちる。
けれど、何よりもぼくを硬直させたのは、その「音」だった。
「……んっ、ああ……」 蒸気の向こうから聞こえる、男女の生々しい喘ぎ声。
すると2組の男女が……していた。
一組は屈強な体の大きい男性と、小柄な女性だ。男性の動きに合わせて小柄な女性の体は跳ね上げられる……
一方では線の細い男と豊満な女性だ。人というのは自分の特徴の逆を好むのだろうか?
そんな事を思いながら、ぼくは何食わぬ顔をして端っこの方の石の上に腰をかける。
すると別の女が近寄ってきて言った。
艷やかな目で美しい黒髪をかき上げながら囁く
「50ファナンでどうだい? 安くしとくよ」
「す、すみません。お金持ってないんです……」
「………じゃあ今度頼むよ」
妖艶な笑みを浮かべながら女は元にいた石座に戻る。
それなりにキレイな女性だ。ぼくは気づかれないようにイキリ立つ息子を押さえながら無関心を装う。
しかしバレバレのようだ……。
さっきの女性ともう一人が、ぼくを見てクスクスと笑っている。
教えられた通り20分ほど汗をかいて藁で体を拭く。
蒸し風呂は初めてだったが、思ってた以上にスッキリする。
疲れも取れたようだ。
パン屋の主人に会釈をして帰る。
「ただいま。女将さん食事いいですか?」
「おや? 早かったんだね…」
そう言って含み笑いをした
「正直に言うとしたかったです。でもお金がないので」
「ふふwww アンタ…自分で気づいてるかい? この世界に来てからの自分の成長を」
女将さんの言葉に、ぼくはハッとした。
見栄を張らず、自分の欲望も状況も、真っ直ぐに認められるようになっている。
子供じみた幻想を捨て、泥臭い「現実」の中に、ようやくぼくの足が着いたのだ。
………………………………。
確かに…以前のぼくならこんな事言わなかった……
初めては処女がいい…なんて思ってた過去の自分が子供に感じる……
今はお金に余裕があってそれなりに好みなら……なんて思っている。
ぼくは女将さんが用意してくれた食事を済ますと、ベッドに横たわり眠りにつく
明日はいよいよ報酬の受け取り。そして、フレイ様が言っていた「竹とんぼの若者」の手がかりを探さなければ。
――初めての、心地よい眠り。
ぼくは深い闇の中で、初めて明日が来るのを「楽しみ」だと思った。
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