第5話:レガシーコードの読経

1. 偶然の再会


「……神崎? お前、神崎徹だよな?」


金曜の夜。


駅前の赤提灯で、一人で焼き鳥をつついていた徹は、声をかけられて振り返った。


そこには、ジャージ姿に雪駄(せった)を履いた、丸坊主の男が立っていた。


「……えっと、誰だっけ?」


「俺だよ、隆太(りゅうた)だ! 中学の時の!」


思い出した。



クラスのお調子者だった寺の息子の隆太だ。

二人は相席になり、ビールを追加した。


聞けば、隆太は若くして父親を亡くし、嫌々ながら実家の寺を継いだらしい。


「大変だな、住職なんて」


徹が言うと、隆太はジョッキを一気に干して、忌々しそうに吐き捨てた。


「やってらんねーよ。朝は早いし、正座で足は痺れるし。檀家の婆さんたちの話は長いし」


「……相変わらずだな」


「おまけにアレだ。『変なもん』が見えるせいで、除霊の依頼ばっかり来やがる。……お前もだろ? さっきから店の隅っこにいる『サラリーマンの残骸』を気にしすぎだ」


隆太はニヤリと笑った。


徹の手が止まる。


「……バレたか」


「目は口ほどに物を言うってな。……まあ、飲め飲め。どうせ俺たちみたいなのは、損な役回りなんだよ」



2. 古代の仕様書


酒が進むにつれ、話題は「見えてしまうもの」への愚痴になった。


隆太はコンピュータのことなどさっぱり分からないアナログ人間だ。


だが、彼が語る仏教の理屈は、徹のエンジニア思考に、奇妙なほどピタリとハマった。


「いいか徹。霊ってのはな、要するに『執着(しゅうちゃく)』の塊なんだよ」


隆太は枝豆の殻を飛ばしながら語る。


「この世は『諸行無常(しょぎょうむじょう)』だ。全ては流れて変わっていく。なのに、人間ってのは愚かだから『変わりたくない』『俺はここにいる』って意地を張る。その意地が、脂汚れみたいにこびりついて残っちまうんだ」



徹は、脳内で高速翻訳した。

(執着=キャッシュデータの残留。諸行無常=常に更新され続けるシステム)


システムは更新されているのに、古いデータが「削除されたくない」とエラーを吐いて、メモリに居座っている状態。

それが霊の正体。


「なるほど……。じゃあ、お前がやってる『供養』ってのは?」


「ああ? そりゃお前、言い聞かせるんだよ。『お前の居場所はもうここにはねえぞ』『デカイ流れに帰れ』ってな。そうすりゃ、氷が溶けるみたいに消えていく」


徹は膝を打った。


(……データのアップロードと、ローカル領域の解放!)


なんてことはない。


自分が「バグ」と呼んでいるものを、こいつらは数千年前から「業(ごう)」とか「迷い」と呼んで処理してきたのだ。


「すげえな、仏教」


「あ? 何がだよ」


「いや、俺が最近やっと気づいたシステムのバグを、お前らはとっくにマニュアル化してたんだなって」


「何言ってんだお前? 飲みすぎか?」


隆太は怪訝な顔をしたが、徹は一人で納得していた。


孤独じゃなかった。


古代のハッカー(仏陀)たちも、この世界の重さとバグに気づいて、必死にデバッグ方法を残してくれていたのだ。



3. 深夜の共同作業


「ういー、飲みすぎた……」


深夜2時。

千鳥足で店を出た二人の前に、淀んだ空気が立ち込めていた。


繁華街の路地裏。

酔っ払いの吐瀉物とゴミの臭いに混じって、データの腐った臭いがする。


「……出たな」


「ああ、出やがった。……これだから夜道は嫌なんだよ」


路地の奥から、ゆらりと現れたのは、複数の霊だった。


チンピラの霊、疲れたOLの霊、何かの動物霊。 都市のノイズが生み出した、有象無象のバグの群れ(クラスター)。


彼らは、生者の生命力(リソース)を求めて、ゾンビのように揺らめいている。


「めんどくせえ……タクシー拾って帰りてえのに」


隆太が首を鳴らし、懐から数珠を取り出した。


「徹、お前どうすんの? 隠れとくか?」


「いや、こいつら道を塞いでる。……どかすしかないだろ」


徹はネクタイを緩めた。


酔いが回っているせいか、恐怖心はない。 隣には、専門家(?)もいる。




4. 読経とコマンド


「……南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」


隆太が印を結び、低い声で経を唱え始める。


すると、どうだろう。

ざわついていた空間のノイズが、スッと静まり返った。

霊たちの動きが鈍くなり、輪郭がぼやける。


(すげえ……!)


徹はエンジニアとして感嘆した。

隆太のお経は、攻撃魔法じゃない。


「セーフモード起動」だ。

周囲の環境変数を書き換えて、バグが暴走しないようにシステムを安定化させている。


「おい徹、今のうちに逃げるぞ」


隆太が小声で言ったが、徹は一歩前に出た。


「いや、今なら通る。……サンキュー、隆太。環境は整った」


「は? 何が?」


徹は右手をかざした。


相手はセーフモードで動きが止まっている。

これなら、複雑なコードはいらない。

単純な一括削除コマンドでいい。


徹は、意識のエンターキーに指をかけた。


(悪いな。まとめて還ってくれ)


『強制終了(Force Quit)』


バシュッ! 空気が弾ける音がした。


隆太の読経で弱体化していた霊たちは、徹のコマンドに抵抗できず、一瞬で霧散した。

光の粒子となって、夜空へ吸い込まれていく。


後に残ったのは、静まり返った路地と、酔っ払い二人。




5. 笑い声


「……はあ!?」


隆太が目を丸くして、数珠を取り落としそうになった。


「お前、今何した!? お経もなしで、手ぇかざしただけで……なんで消えるんだよ!」


「んー、まあ……管理者権限の行使? みたいな」


「わけわかんねーよ! なんだよ管理者って! お前、新興宗教か何かか!?」


「違うって。ただのSEだよ」


徹は笑った。腹の底から笑った。



隆太も、わけが分からないという顔をしながら、つられて笑い出した。


「なんだよそれ! 必死に修行した俺が馬鹿みたいじゃねーか!」


「いや、お前のお経のおかげで回線が安定したんだよ。ナイス連携だった」


不条理だ。


死んでもこの世にしがみつく霊たちも。

何千年も前のマニュアルを唱える生臭坊主も。


それを最新のIT用語で解釈して消してしまう自分も。

全部がバグっていて、全部が滑稽で、どうしようもなく人間くさい。


「あーあ、やってらんねえな」


隆太が道端に座り込み、タバコに火をつけた。


「一本くれ」


「ほらよ」


二人は路地裏で紫煙をくゆらせた。


煙が夜空に昇っていく。

星空は相変わらず、冷徹なハードディスクのように輝いている。


「なあ徹。……仏教じゃあな、この世は『苦(く)』だって言うんだよ。思い通りにならないことだらけだってな」


隆太が煙を吐きながら言った。


「でもよ、たまにはこういう美味いタバコもあるから、やめらんねえよな」


「……違いない」


徹は深く頷いた。


世界は不具合(バグ)だらけの無理ゲーだ。


でも、こうしてバグ同士で肩を並べて、不条理を笑い飛ばす瞬間があるなら、まだログアウトせずに続けてみるのも悪くない。


「また飲もうぜ、隆太」


「おう。次は奢れよ、管理者様」


二人は肩を組み、ふらつきながら大通りへ向かった。

街のノイズが、今は少しだけ、優しいBGMのように聞こえた。

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