03 太陽

 輝の匂いのするベッドの上で目が覚めた。

 目の前では空兄がサムと零、それにオレの四人で真面目な顔をした話し合いをしてた。起き上がりたいのに力が入らない。なんだこれ?

「つまりあれか、階段から落ちたら入れ替わってたなんて事件が起こってんのか?」

「そうだよ兄貴、今すぐどうにかしてくれ」

 こうやって見ると、確かにオレの髪の毛さらさらなんだな。きれいって言われるのも分かる気がする。邪魔なだけなんだけどな、あれ。

「どうにかって、もう一回階段から落ちるしかないんじゃないの?」

「分かった、今すぐ太陽を階段に連れて行って飛び降りる」

 必死そうに声を上げてるオレの体が、髪を大きく揺らしながら騒いでる。

「待て待て、もし首の骨でも折ったらどうするんだ。極端すぎるんだよ」

「そうですよ、太陽の体があの筋肉の塊に押し潰されたら終わりですよ」

「嫌だ、今すぐ元に戻りたい」

 くらくらしながら、オレは自分の筋肉質で太い腕を見た。スゲェ。これが輝の体か。最高すぎる。見てるだけで幸せになれるぜ。

 突然、オレの体が言った。

「ヤバい。どうしよう」

「なんです?」

「おしっこ行きたい」

 行けばいいのに、深刻そうな顔をして、オレの体が零に掴みかかった。セーラー服のまま、ギャーギャー騒ぐ後ろ姿が、なんかシュールすぎてヤバい。

「助けてくれ。女ってどうやってしょんべんするんだよ」

「アホですか? 普通にすればいいでしょう?」

「その普通ってどうやるんだ。っていうか、それ流石にオレが見たらマズい気がする」

 訳の分かんねぇ事を言いながら大騒ぎするオレの体は、空兄に言った。

「兄貴、なんか方法ねぇのか?」

「おむつでも履かせてその場でやるとか」

「どうやってそれ履くんだよ、クソ兄貴!」

 大騒ぎする自分の体に向かって、オレは言った。

「行けばいいだろ、何騒いでやがんだ?」

 思った以上に低い、輝の声が響く。

「空兄、起きちゃったみたいだけど」

「大丈夫だ。まだしばらくは動けない筈だ」

 オレの体、多分中身は輝のままなんだろうけど、その輝が一人で頭を抱えて天井を仰ぐ。

「そんなのどうでもいいから、どうにかしてくれ。マジでおしっこ行きたい」

「分かりました。私が連れて行きますから、あなたは上だけ向いてなさい」

「嫌すぎるっ!」

 大袈裟な声を上げる輝が、泣き叫びながら零に引きずられて部屋を出て行った。どうやらオレの体の使い方が分かんねぇらしい。輝は力なく零に引きずられて行った。

 零にすら負けてんぞ。ヘボすぎねぇか、輝の奴。

 空兄がオレに近寄ってきた。

「太陽ちゃん、分かるか?」

「空兄、オレ今すぐ誰かとケンカしてぇ」

「やめろ、輝の体で太陽ちゃんが本気出したら死人が出る」

 大真面目な顔で空兄は言った。

「いいか、本当の強さはケンカの強さじゃない。心の強さだ」

「心?」

「そうだ。太陽ちゃんが女の体で、何を言われても男を貫いてきた事が本当の強さであって、ケンカの強さは本当の強さじゃないんだよ」

 部屋の外から悲鳴が聞こえる。

 じゃあ、あれが弱さなのか?

「オレは輝より強いのか」

「そうだ。超強い」

 空兄はそう言いながら、オレの前に正座して座った。

「空兄、それじゃ太陽が勘違いするんじゃ」

「黙ってろ、サム。大事な話だ」

 真面目な顔で、空兄は言った。

「いいか太陽ちゃん、人と戦う事だけが強さじゃない。いいな?」

「分かった」

「よし、じゃあ男らしくどっしり構えて、大人しくしてるんだぞ」

 空兄はそう言うと、オレの肩をポンポン叩いて、泣きながら戻ってきた輝に言った。

「お前、何泣いてんだ」

「零に老人介護みたいな事された。死にたい」

「ほらな、太陽ちゃんの方が強いんだよ」

 あきれた顔でこっちを見てたサムが、泣きべそかきながら座った輝の肩を叩いた。

「どんまい」

「今すぐ戻してくれ、兄貴の頭だったら出来んだろ」

「無茶言うなよ。ファンタジーの世界みたいな事になってんだぞ」

 空兄は溜息をつくと、零に言った。

「とりあえず、今晩は零ちゃんも一緒にうちに泊まれ。じゃないと怪しまれる」

「それはそうですね」

 しつこく泣きべそかいたままの輝を見下ろして、空兄が言った。

「お前、せっかくなんだからちょっとくらい楽しんだらどうだ?」

「どう楽しめって言うんだよ。全然力でないし、背は低いし、女なんだぞ」

「せっかくだから、可愛い服でも着せてもらえよ」

「嫌すぎる」

 サムにしがみついてギャンギャン泣き出した輝を見て、零がちょっとだけ不満そうな顔をした。でも何も言わずに輝の背中をさすって言う。

「そうですね。せっかくなので、家に帰って可愛いネグリジェでも持ってきますよ」

「やめろ、マジでやめてくれ」

 泣きながら零にしがみついた輝を、零はひょいっと簡単そうに押しのけると立ち上がった。

「とりあえず着替えをとってきますから、そこで大人しくしてなさい」

 ギャン泣きし続ける輝を放置して、空兄がこっちを向いた。

「よし、太陽ちゃん。起きられそうか?」

「なんとか」

 ちょっとふらつくけど、どうにか起き上がる。思ったより体が重い。これが筋肉の重みか。ニヤけちまうぜ。とうとう最強になっちまったな、オレ。

 ムキムキになった自分に興奮しながら、オレは輝の横に座った。

「おい、何泣いてんだよ?」

「戻りたい。今すぐ元に戻りたい」

 まさかそんなに泣くほど嫌とは思わなかったから、オレは輝の背中をさすった。

 輝の体で見ると、オレってめちゃくちゃちいせぇな。なんでこんなにちっこいんだ? 輝の手がデカいからか、自分が小さいからか、撫でるところが少なすぎる。

「空兄、オレ服脱いで筋肉眺めたい」

「太陽ちゃん、せめて誰もいない部屋でやってくれ。ここでやったらただの変態だ」

「ああくそ、なんでオレがこんなアホと入れ替わるんだよ」

 輝がそう言いながらこっちを向くと、涙と鼻水でぐしゃぐしゃな顔してた。なかなか酷い有様だけど、どうせサムと空兄しか見てないしどうでもいいや。しかも中身はオレじゃねぇし。

「もうちょっと男らしくしろよ。それじゃマジで女だぜ?」

「お前が落ちてきたせいだ!」

 泣きながら掴みかかってきた輝の手を掴んで、とりあえず座らせた。

 輝が喚きながら抵抗してるつもりっぽいけど、力には敵わない。それはその体で何年も生きてきたオレが一番知ってる。しかもこの筋肉、簡単には勝てねぇだろ。

 でも空兄に言われた通り、出来るだけ加減したつもりだ。でも力加減が分かんねぇから、輝が泣きながら叫ぶ。

「痛い痛い痛い。お前何考えてんだ、腕折れる」

「ごめん」

 オレはぱっと手を放すと、座り込んだ輝を見下ろした。

 こうやって見ると、マジでただの女子だぜ。輝って、オカマの才能でもあんのかな? このオレが女子に見えるって、凄くねぇか? 天才だ。

 泣きながら座ってる輝に、オレは言った。

「なぁ、輝。サンドバッグとかねぇのか? 一回本気で殴ってみたい」

「お前だけ何エンジョイしてんだ、太陽」

「だってオレ、せっかく男になったんだぜ? 立ちしょんやってみたい」

 輝が真っ赤になってまたしがみついてきた。

「お前マジでいい加減にしろよ」

「いいじゃん。親友だろ?」

「親友だからって許されると思うな」

 輝はそう言うと拳を思いっきり後ろに引いた。でもなんて言うか、そのいつもの殴り方だったら、オレの体って筋肉マジでないから多分効果全くねぇと思うぞ。

 ぺちってほっぺたに可愛い音しかしない拳がぶつかってきた。痛くも痒くもねぇ。ちょっと強めに叩かれただけみたいな感じ。

 輝が絶望って顔をして、泣き崩れる。

「嘘だろ、なんで?」

「その体でボクシングの殴り方しても、筋肉ないから効果ねぇぞ」

「ああクソ、マジで戻りたいぃ」

 オレの膝を涙で濡らしながら、輝がわんわん声を上げてる。サムも空兄もあきれた顔で輝の小さい背中を眺めてた。

「オレ、立ちしょんしてターミネーターの登場シーンやるまでは嫌だ」

「マジでやめろ、何考えてんだ、バカ野郎」

 輝は飛び起きるとオレの胸をぺしぺしと叩きながら泣く。多分力いっぱい殴ってるつもりなんだと思うけど、全然痛くない。

「嫌だ嫌すぎる。そんな自分の姿見たくないぃ」

「せっかくムキムキになったから、フルチンでだだんだんだだんやるまで待てよ」

「お前、なんでそんなアホなんだ」

 空兄が割り込んできた。

「太陽ちゃん、立ちしょんは便所でやれよ。気持ちは分かるけど、ターミネーターは流石にやめてやれ」

「なんで?」

「太陽ちゃんは自分の体でそれされたら嫌だろ?」

「別にいいぞ。その筋肉ゼロの体でやっても面白くねぇけど、やりたいならやれよ」

 サムが溜息をついた。

「輝、いっそその体でストリップでもやりなよ。それくらいやらなきゃ、太陽には分かんないよ」

「ストリップってなんだ?」

「太陽はもう黙っててくれる?」

 半ギレって感じのサムはそう言うと、輝に言い聞かせるように言った。

「いいじゃん。レディースデイの料金で映画でも見ておいでよ」

「サムは零の体になっても同じ事言えんのか?」

「それはその……少なくともそこまで騒がないよ」

 サムはそう言うと、オレに言った。

「太陽、とりあえずその制服くしゃくしゃになるから着替えよっか。お風呂もついでに済ませよう。俺が入れてあげるから」

「なんで?」

「輝が可哀想だから、アイマスクしろって言ってるんだよ」

 ちょっと怖いサムはそう言うと、どこからともなくアイマスクを引っ張り出してきて、パジャマとバスタオルを押し付けてきた。仕方がないから大人しくサムについて行く。

 泣きながら空兄にしがみつく輝が、髪の毛を振り乱してわんわん声を上げていた。

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