第7話 冷蔵庫は、もう限界だった


 南波恒一の部屋には、

冷蔵庫が二つある。


 正確には、

二つあった。


「……おかしい」


 南波は、

 冷蔵庫の前で腕を組んだ。


「どう考えても、

 一人暮らしの量じゃない」


 冷蔵庫を開ける。


 ――ぎちぎち。


 上段:南蛮漬け

 中段:南蛮漬け

 下段:南蛮漬け


 野菜室:

 玉ねぎ(玉ねぎ入り)


「……自己増殖してないよな?」


 していない。

 ただ、

 自分が増やしているだけだ。


 ドアノブ。

 机。

 スマホ。

 棚。

 手袋。

 箱。

 ガラケー。


「……俺の生活、

 全部アジだったな」


 冷蔵庫の隣には、

 発泡スチロール箱。

 クーラーボックス。

 タッパーの山。


 部屋が、

 小さな魚屋みたいになっていた。


「……腐らないのが

 一番怖いんだよな」


 不思議なことに、

 南蛮漬けは

 全然傷まない。


 昨日作られたものも、

 一週間前のものも、

 味が変わらない。


「保存性、

 高すぎだろ……」


 南波は、

 しゃがみ込んだ。


「……処理しないと」


 その言葉に、

 自分でドキッとする。


「……処理?」


 なんだ、その言い方。


 食べる。

 捨てる。

 配る。


 どれも、

 現実味がない。


「……食うか」


 結局、

 それしかない。


 南波は、

 箸を取った。


 一口。

 二口。


「……うまい」


 三口。


「……うまいな」


 四口。


「……」


 無言で、

 食べ続ける。


 南蛮漬け。

 南蛮漬け。

 南蛮漬け。


「……一生分の鯵、

 食ってないか?」


 腹は、

 とっくに限界だ。


 それでも、

 減らない。


「……これ、

 どうすればいいんだ」


 南波は、

 ゴミ袋を見た。


 捨てる?


 頭に浮かんだ瞬間、

 嫌な感覚がした。


「……だめだ」


 理由は分からない。

 ただ、

 捨てちゃいけない気がした。


 次に、

 思いつく。


「……配る?」


 近所の人。

 友人。

 バイト先――

 いや、出禁だ。


「……なんて説明する?」


 ――触ったら南蛮漬けになったんです。

 ――原因不明です。

 ――安全です。


「……通報されるな」


 南波は、

 冷蔵庫にもたれかかった。


「……俺、

 何屋なんだよ」


 そのとき、

 冷蔵庫がピーピーと鳴った。


「……?」


 表示を見る。


 エラー。


「……は?」


 次の瞬間。


 ぶつん。


 冷蔵庫の電源が落ちた。


「……待て」


 南波は、

 慌てて叩く。


「……頼む、

 今だけは……!」


 何も起きない。


 沈黙。


 室温にさらされる、

 大量の南蛮漬け。


「……あ」


 南波の頭に、

 最悪の想像がよぎる。


 ――腐る。

 ――匂う。

――苦情。


 じゅわっ。


「……は?」


 目の前で、

 冷蔵庫そのものが消えた。


 代わりに現れたのは――


 業務用サイズの、

 超・南蛮漬け。


「……」


 南波は、

 しばらく黙っていた。


「……冷蔵庫まで

 南蛮漬けにするなよ……」


 床に広がる甘酢。

 もはや、

 片付けようという気力もない。


 部屋は、

 完全に限界を迎えていた。


 その夜、

 南波恒一は思った。


「……これ以上増えたら、

 外に出すしかないな」


 その言葉は、

 冗談のつもりだった。


 だが。


 それは後に、

 とても現実的な選択肢になる。


 今はまだ、

 笑える話として。


(つづく)



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