第4話 バイト先、甘酢に沈む
結論から言うと、
社会は、触る前提でできている。
南波恒一は、
その事実をコンビニで痛感することになった。
「……おはようございます」
バイト先の自動ドアが開く。
※ドアには触れていない。
※今日は調子がいい。
「南波くん、久しぶり」
店長が笑顔で言った。
「昨日は連絡なくてごめんね」
「……すみません」
言えない。
スマホが南蛮漬けになったなんて。
南波は、
軍手を装備していた。
意味がないことは分かっている。
だが心の安心は大事だ。
「今日は品出しお願い」
「了解です」
南蛮漬けにならなければ、
今日は勝ちだ。
棚に近づく。
何段にも並ぶ商品。
お菓子、カップ麺、缶詰。
「……」
南波は、
棚を“棚として意識しない”
ことに全力を注いだ。
――これは物体じゃない。
――情報の集合体。
――SKUの集合。
商品を持ち上げる。
何も起きない。
「……よし」
一段、成功。
二段、成功。
少しだけ、気が緩んだ。
「……これ、
売れ残りそうだな」
その瞬間。
じゅわっ。
「……あ」
目の前から、
棚が消えた。
正確には、
棚一列分が丸ごと消えた。
そこに現れたのは――
業務用サイズの、
巨大な南蛮漬けバット。
「……」
床に、甘酢が跳ねる。
「……え?」
隣のレジから、
高校生バイトの声。
「……え??」
南波は、
立ち尽くしていた。
「……南波くん?」
店長が、
ゆっくりと振り向く。
「……その、
棚は?」
「……売れ残りです」
「……何?」
「……ですから」
説明が、
追いつかない。
そのときだった。
甘酢が、
床に広がっているのを見て、
南波の頭がよぎる。
――滑るな、これ。
「……あ」
じゅわっ。
「連鎖すんな!!」
床の一部が、
南蛮漬けになる。
商品が、
滑り、
倒れ、
さらに意識する。
じゅわっ、じゅわっ。
「ストップ!!」
店内が、
静かに、そして確実に、
南蛮漬けで満たされていく。
甘酢の匂い。
玉ねぎ。
鯵。
「……営業、
できないよね?」
店長の声は、
妙に冷静だった。
「……はい」
南波は、
深く頭を下げた。
十分後。
南波は、
店の外に立っていた。
エプロンは返却済み。
軍手も没収。
「……南波くん」
店長は、
申し訳なさそうに言った。
「うち、
食品は売ってるけど」
「……はい」
「人を南蛮漬けにする店じゃないから」
「……ですよね」
「しばらく――
いや、
もう来ないで」
それが、
最も優しい言い方だった。
自動ドアが閉まる。
南波は、
店の前で立ち尽くした。
――バイト、クビ。
――収入、ゼロ。
――冷蔵庫、南蛮漬け。
「……詰んだな」
だが、
妙なことに。
胸の奥には、
まだ笑える余裕があった。
「……棚は、悪くない」
悪いのは、
“売れ残る”なんて考えた自分だ。
その日、
南波恒一は理解した。
社会は、
南蛮漬けを許容しない。
そして自分は、
社会から、
一段ずつ外れていっている。
(つづく)
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