遺言

四季あらた

プロローグ:福留直孝という男

 好かれる人間と嫌われる人間。

 福留直孝は、恐らく後者に含まれるだろう。

 彼は22歳の時、つまりは1976年の時、当時日本で五本の指に入る企業の一つ、浦部産業の子会社である浦部地所に入社し、多額の不動産取引を行った。その中でも、一人の男が山梨県の芦子岳を購入した取引において、福留直孝は重要な役目を担っていた。男は鈴木という。

 鈴木は芦子岳周囲を開発しようとしていた。今で言う四大公害病のように公害問題が盛んに騒がれていた当時に山の開発を行おうとする鈴木もいい度胸としか言いようがなく、鈴木は結局、反対する住民の一人に殺害された。それが1980年。

 芦子岳は鈴木の死後、放置されていた。半端に開発されただけの芦子岳はその後荒れ放題となり、後に岩沼という男が買い取り別荘を建設した。芦子岳開発の壮大な計画は潰えたのだ。

 直孝には、大きな夢があった。

 話は多少前後するが、直孝が取引を行った人間の一人に、当時五本の指の筆頭、伊本船舶の若手社長、伊本寿生がいた。

 一着10万円もするスーツを着こなして、毎日異なった金ピカの腕時計をつけて、髪を七対三に分けて、毎晩企業や国のお偉方を連れて浴びるように酒を飲んで遊ぶ。

 それが伊本の生き方だった。

 伊本と知り合ってから、直孝は一気に業績を上げた。伊本の悪友が、仕事を融通してくれるようになったからだ。山城光電や太平電工などの超一流企業の新工場建設、共生モールの関西進出の際の建設、運輸省が絡んだ空港建設など。官僚や大手企業とのコネクションを最大限に活かす方法を学んだ。彼らは大概伊本と似たような金の扱い方をしている人間だった。

 そういう人間と接していると、直孝の心の中にも、野心なるものが生まれてくるのは必然であろう。このままでいいのか、もっと上を目指さなくていいのか。

 自分も、伊本や山城浩満、海野敏三、丹下正興のように、金ピカの腕時計やポール・スミスのスーツ、1台何千万もする車に憧れたのだ。


「ほんなら、独立することやな。」

 山城はいつもの調子で言った。

「独立?」

「おん。俺も独立したんが、お前くらいのときや。東京オリンピックの景気でぎょうさん儲かったもんやで。」

「オリンピックか、懐かしいな。」

 海野は仰け反りながら、シャンパンを呷った。共生モール関西中央店店長として功績を上げた海野は、今では同社の広報担当常務取締役だという。50万もする時計を「安物」と切り捨ててしまうような男の左腕には、修理が終わったばかりの「1000万円」が付いている。

「私もその頃だったな。会社を立ち上げたのは。時代に恵まれたんだよ。我々は。」

「いえいえ、伊本社長も海野常務も、山城社長だって、ご自分の実力でここまで会社を大きくされてきたわけじゃないですか。」

「いや、ちゃう。」

 真っ先に否定したのは、山城だった。

「実力なんかが通用する世の中ちゃうで。俺達みたいな『悪友』ゆうもんのおかげや。せやろ?」

「確かに『悪友』には世話になった。」

 海野も伊本も口を揃える。

「……『悪友』って?」

「俺達みたいなもんたい。円陣組んで会社一個作り上げたら強いで?すぐに逮捕者出るけどな。」

 山城は豪快に笑うが、ただ一人官僚の丹下は口端を釣り上げるに留まった。

「……福留くん。ならんね。『悪友』。」

「ぼ、僕がですか?」

「君の実力は僕達が一番良く知ってる。君は今、確かに浦部地所のエース社員かもしれないよ。だとしてもそれは、企業という巨大なパズルを構成するたったの1ピースでしかない。代わりなんかいくらでもいるんだ。それは組織の規模が大きくなればなるほどそうなんだよ。」

「でもトップとなれば話は別だ。」

 海野が言葉を継ぐ。

「トップの座に就く能力のある人間なんて、そうそういないさ。分かるだろ、意味?」

 直孝は曖昧に頷いた。海野は言葉を続ける。

「君が会社を立ち上げるつもりなら私たちは全面的に支援するつもりだよ。」

「……それは、背任行為になりませんか?」

「おい。何のための『悪友』なんや。真面目過ぎちゃあ、トップなんか務まらんわい。」

 山城が、ボケにツッコミを入れるように言う。しかし、大真面目な顔で「社長なんざ、綺麗事ばかりじゃ務まるかいな。」と付け加えた。

 直孝は、あまりにも唐突に人生最大の決断を突きつけられたことに、少々驚いてはいた。しかし、迷うようなことはなかった。

 こんなチャンスが、今後あるか?いや、絶対にない。

 太平洋戦争を生き延びた父は、「お国のために」という精神の残り香がまだあった。そしてそれは、DNAレベルで直孝にも受け継がれている。日本の経済発展の一部に、自分がなる。

 夢のような話ではないか。

「……僕も、『悪友』にしていただけませんか?」


 そういう経緯で1984年に立ち上げたのが、「株式会社福留開発」である。福留直孝、わずか30歳。

 浦部地所での経験を活かし、土地取引の仲介だけではなく、購入した土地を開発すること、具体的には、遊園地の建設だとか、空港を作るだとか、自衛隊の基地にするだとか、そういった事まで一手に引き受ける会社だ。そういう土地に、「福留開発」というブランドを付け、他に転売したり、自社で運営したりしていくのだ。

 「悪友」は助けになってくれた。

 運輸省の丹下は、鹿崎空港の建設の際に、大変助けになってくれた。談合で福留開発への委託を叫んでくれたのだ。

 当然のように拡大していく福留開発は、創業からたった2年で上場した。当時バブル経済でうなぎのぼりに土地価格が高騰し、特にリゾート地の買付が大変盛んだった。その方向性は他社も顕著に現れており、例えば伊本船舶は巨大な豪華客船を3隻も購入し、世界一周ツアーを毎年のように行っていた。山城は自分のクルーズ船を買い、「スイートオーシャン」という名前をつけて海上で贅沢の限りを尽くしていた。運輸大臣になった丹下も、その恩恵に預かったという。海野は共生モールの社長取締役に就任し、新たに競馬事業や観光などにも乗り出して、共生グループなる巨大グループを作り上げた。

 福留開発も、福留観光、福留書籍、福留船舶、福留エンターテインメント、福留工業など、「福留」のブランドの価値をますます高めていった。

 しかし、1991年、バブル崩壊。

 山城はスイートオーシャンを競売にかけ、共生モールは競馬事業から撤退し、丹下は目前だった総理大臣の椅子から遠ざかることとなった。当然、福留グループにもその影響は重くのしかかる。

 最も打撃が大きかったのは、伊本船舶である。

 豪華客船で世界一周ツアーを楽しむ客などバブル崩壊の頃にはおらず、満を持して計画していた「1991年ツアー」の参加者は、応募枠422名に対して参加者はたったの2名。人員削減や船の売却を余儀なくされ、624隻もあった船は291隻となる。

 浮き沈みを続けながら、伊本船舶は何とか業績を持ち直し、1999年に新たに小さめのツアーを企画する。幸か不幸か、応募枠390名に対し参加者311名。日本からサンフランシスコへの旅で、若干赤字だったものの、当社が健在であることをアピールするにはもってこいのツアーだった。

 8月15日。そのツアーで、すずらん丸は沈没した。

 乗客乗員303名が死亡。原因は、経費削減のために劣化部品の交換を怠ったことだった。最悪の事故を引き起こした伊本船舶に、立ち直る術はもはやなかった。

 同年12月、伊本船舶は倒産。

 翌年1月1日、伊本寿生は首吊り自殺を遂げた。


 寿生の一人息子である備は、当時5歳。小学校入学前だった。備の母親つまり伊本の妻は、すずらん丸の事故で死亡しており、彼女の親族は備の引き取りを拒否した。伊本には親族がおらず、行く先がなかった。

 葬式で、直孝は数年ぶりに丹下と再会した。

 運輸大臣を解任されて以降、国会議員選挙にも敗れ、現在は大物議員の秘書としてひっそり生きていた丹下は、すっかりやせ細っていた。

「情けないでしょう。こんな姿。」

 丹下は直孝を見るやいなや、自嘲気味にそう言った。

「福留さん。一つ、頼まれてくれませんか?」

 葬儀の後、直孝は丹下に飲みに誘われた。狭い小料理屋で、二人カウンターに腰掛け、たった4桁の酒をちまちまと飲んだ。

「伊本社長の一人息子備くんの、後見人になってくれませんか?」 

「はい?」

 酒を飲む手が止まった。

 当時直孝には、子供が3人いた。一番下の彩音は、備の一つ上。備を気の毒に思う気持ちもあったが、備を引き取るつもりはなかった。

「なんで、私が?」

「備くん、今年の4月から小学校です。今のままでは、事故を起こした会社の社長の息子と、いじめられてしまいます。」

「……丹下さんではだめなんですか?」

 直孝は、少し苛立った声で尋ねた。すると丹下は、淋しそうな笑顔を浮かべた。

「僕は……だめなんですよ。」

「なぜ。」

「理由は聴かないでください。野暮ですよ……来月までには分かりますから。」

「来月?」

「ええ。」

 彼の言葉の意味が分からず、結局この話はうやむやになった。

 しかし丹下の言ったとおり、一ヶ月も経たない内に、丹下は死んだ。

 航空会社との癒着の責任を取ってとのことだった。

 ふてぶてしく秘書の自殺を悼んでいる議員の顔を見て、直孝は怒りが込み上げた。


 3月18日、伊本備は、福留直孝の息子となった。

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遺言 四季あらた @11014

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