『150cmの少女(バグ)が放つ一投は、国家の闇をぶち抜く。 ――仮想バスケで世界を狂わせる『ノイズ』になれ!』 -V.B.L” Virtual Basketball League “ -
Node0.3:V.B.Lと父(プレイヤーX)
Node0.3:V.B.Lと父(プレイヤーX)
階下から微かな物音がして、遥は顔を上げた。夕闇が迫る部屋を出て、階段を降りる。リビングに入ると、壁面いっぱいのモニターに、都会のニュース映像が流れていた。
「本日はWVBLワールドツアー準決勝。同時接続視聴者数、一億人を突破しました!」
画面の中には、ここが同じ地球とは思えないほど煌びやかな未来都市のアリーナが映し出されている。
空間全体を巨大なホログラム演出が包み込み、リアルの物理法則を無視したかのようなアクロバティックなプレイが繰り広げられている。
――『V.B.L』。Virtual Basketball League。
遥は冷蔵庫から麦茶を取り出しながら、その映像に目を奪われた。
アナウンサーが興奮気味に捲し立てる。
「このV.B.Lの最大の特徴は、完全なる公平性です!老若男女、障害の有無、そして体格差。すべての身体的ハンデを取り払い、純粋な『センス』と『メンタル』のみが勝敗を決する、究極のバリアフリースポーツ!」
「……すごい世界だな」
田舎町の古びたちゃぶ台の前に座り、遥は思わず呟いた。その世界には、重力も、身長差という理不尽もない。自らの意思で設計図を描くことができる。
窓の外には、昼間と変わらない田畑の風景が広がっている。自動運転の農業用ドローンが、蛍のように淡々と明滅しながら稼働し、収穫の進捗を光のバーで表示していた。
先進的な技術は、確かにここにもある。でも、あのモニターの中の熱狂は、自分とは無縁の遠い世界の出来事のように思えた。
玄関で電子ロックが解除される音がした。
「ただいま」
低く、少し疲れた声。父、一ノ瀬大樹(たいき)だった。
遥は振り返る。父はヨレたスーツの上着を脱ぎながら、リビングに入ってきた。どこにでもいる、少し背中の丸まった、冴えないサラリーマン。それが遥の知る父の姿だ。
大樹はモニターの映像を一瞥すると、苦笑いを浮かべた。
「またV.B.Lか。最近は本当に話題が絶えないな」
遥は少し驚いた。父は仕事ばかりで、スポーツや流行には関心が無いと思っていたからだ。
「お父さん、V.B.L知ってるんだ?」
「まあな。会社でも若い連中が騒いでる。今やもう、立派なプロスポーツだからな」
淡々と答える父。冷蔵庫から缶ビールを取り出すその横顔に、一瞬だけ、遥の知らない鋭い影が差した気がした。だが、プシュッというプルタブを開ける音と共に、いつもの穏やかな父の顔に戻る。
「遥も、興味あるのか?」
「……別に。ただ見てただけ」
遥はそっけなく答え、視線を逸らした。自分のコンプレックスを、父に悟られたくなかった。
――しかし大樹は、知っている。自分が若かりし頃に抱えていた同じ悩みを、娘の遥も抱えていることを……
食後、ふと用事で父の書斎の前を通りかかったとき、遥は足を止めた。少し開いたドアの隙間から、部屋の中が見えた。
本棚の隅。分厚い技術書の陰に、古びたバスケットシューズが置かれているのが目に入ったのだ。埃を被ってはいるが、丁寧に手入れされた跡がある。革の擦り切れ具合が、それがただの飾りではなく、かつて激しく使い込まれたものであることを物語っていた。
(お父さん……バスケなんて、やってたっけ?)
記憶の中の父は、いつもパソコンに向かっているか、疲れて寝ているかだ。運動している姿など見たことがない。
問いかけようとしたが、遥はなんとなく声をかけそびれ、そのまま自室へと戻った。
◇ ◇ ◇
――その時、6畳間の書斎では。
一ノ瀬大樹は、娘の足音が遠ざかるのを確認すると、深く息を吐き出した。
柔和な父親の表情が消え、冷徹な狩人のような眼差しに変わる。
彼はデスクの鍵を開け、プライベート用の高性能端末を起動した。
大樹には、遥に隠している過去がある。かつて彼もまた、バスケットボールプレイヤーだった。それも、日本代表候補に名を連ねるほどの。
だが、その栄光は一瞬の「ノイズ」によって断ち切られた。代表戦の最中、鋭いドライブで抜き去ったはずの相手が、焦りから放った無謀なファール。
重力に裏切られた体は無様に床を叩き、その瞬間、彼の膝とアキレス腱は、未来ごと無残に弾け飛んだ。
リハビリの末、「歩く自由」は取り戻したが、コートを支配する「翼」は二度と戻らず、夢の残骸だけが残った。
彼はバスケを捨て、システムエンジニアとしての道を選んだ。二度とコートには戻らないと誓って。
しかし今、彼は別の形でコートに関わっている。
モニターに表示されたログイン画面。ID入力欄に、彼は慣れた手つきで打ち込んだ。
――ID:Player_X
ログインと共に、画面には無数のコードとグラフが滝のように流れ始める。
彼がアクセスしたのは、V.B.Lの表層ではない。JVBL(ジャパン・バーチャル・バスケットボール・リーグ)の管理裏領域、「バックヤード」だ。
キーボードを叩く指先が加速する。
大樹の脳裏に、数年前の記憶が蘇る。
まだ『V.B.L』が稼働して間もない頃、V.B.Lシステムの基盤技術導入のため、『―HARMONIA―』の視察としてアル=ナジール共和国 (Al-Nazir Republic)を訪れた日のことだ。
――熱気を感じない、ガラス張りの都市。案内されたサーバールームは、病院の手術室のように白く、塵一つなかった。だが、そこで大樹が目にしたのは、システムの優秀さよりも、それを運用する技術者たちの瞳だった。
彼らは全員、同じタイミングで笑い、同じタイミングで頷いた。
その瞳には、疑いも、疲れも、個人の意思すらも希薄だった。まるで、巨大な演算装置の一部品として機能することに、至上の喜びを感じているかのような。
『ここでは、ノイズは自動的に排除されます』
現地の担当者が誇らしげに言った言葉が、今も耳にこびりついている。
その時、大樹の背筋を走った悪寒は、単なる異文化への戸惑いではなかった。生物としての本能的な拒絶反応。このシステムは、いつか人間の「魂」を食い物にするのではないか?――そんな予感があった。そして今、その予感はリアルとなりつつある。
V.B.Lの基幹システムには、あの『―HARMONIA―』の*アーキテクチャが採用されている。その深層から、最近、奇妙なデータが検出されていた。
大樹の瞳が、モニター上の波形を追う。
「……またか。浸食が進んでいる」
彼が追っているのは、アル=ナジール方面から流れてくる不自然なデータログ。
彼はそれを、―『コグニティブ・ノイズ(認知の雑音)』―と呼んでいた。それは通常のプレイデータではない。
プレイヤーの感情値、心拍、脳波といった生体情報を、極めて微細なレベルでスキャンし、外部へ送信しようとする痕跡だ。さらに、一部のプレイヤーの動きを、システム側から補正――いや、「誘導」しているような形跡さえある。
その波形は、あまりに美しく、整然としすぎていた。かつて現地で見た、あの技術者たちの瞳のように。人間特有の「迷い」や「ゆらぎ」が完全に欠落している。元トッププレイヤーである大樹の直感が、警鐘を鳴らしていた。
(これはただのプレイデータじゃない。何かの検証か?)
彼は本棚の古いバッシュを一瞥した。
怪我で夢を諦めた自分。そして今、体格という壁に苦しんでいる娘。
彼女がもし、このバーチャルの世界に救いを求めたとしたら
――そこが、何者かの意図で汚染された場所であってはならない。
娘に、自分と同じ絶望を味わわせてはならない。いや、それ以上の「何か」を奪われることを、防がなくてはならない。
「……いったい誰が、何をしようとしている?」
静かな書斎で、大樹はエンターキーを強く叩いた。砂漠の理想郷と、閉塞した6畳間。遠く離れた二つの場所は、見えないケーブルで既に繋がり始めていた。
そして遥もまた、運命に導かれるように、自室でスマートフォンの画面をタップし、JVBLの登録画面を開こうとしている。
それぞれの夜が、更けていく。
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