Node0.2:砂上の自由と、150cmの宇宙

一方、地球の反対側。日本の地方都市。

アル=ナジールの無菌室のような、制御された空気とは対照的な、湿度90パーセントの重たい大気が、盆地の町を覆っていた。

田畑の上を渡る風は、青々とした稲穂の匂いと、泥の湿った匂いを運んでくる。

どこかで鳴くヒグラシの声が、夕暮れのけだるさを一層際立たせていた。


自動運転のバスが無音で走り抜けていくが、商店街のシャッターは半分閉まったままだ。古びたアーケードの錆びた鉄骨と、最新鋭の配送ドローン網が空中で交錯する、不格好な風景。

その一角にある、築20年の木造一軒家。西日が差し込む2階の6畳間で、高校生の一ノ瀬遥(いちのせはるか)は、畳の上に膝を抱えて座り込んでいた。


部屋には旧式のエアコンの低い駆動音が響いているが、遥の体感温度は下がらない。Tシャツに染み込んだ汗が冷たく肌に張り付き、不快だった。だが、それ以上に彼女を苛んでいたのは、今日の部活で味わった屈辱の記憶だ。


脳裏に、数時間前の体育館の光景が鮮明にフラッシュバックする。

キュッ、というバッシュが床を擦る高いスキール音。汗とシーブリーズの混ざった匂い。遥は、背番号7のユニフォームを纏い、ボールを持っていた。

対峙するのは、県内でも強豪とされる高校のセンター。身長178センチ。遥より、30センチ近く高い。見上げるような壁だ。


(抜ける)

遥は直感した。相手の重心が高い。左足に体重が乗っている。一瞬の*クロスオーバーで右へ揺さぶり、低い姿勢で懐に飛び込めば、置き去りにできる。

遥はイメージ通りに動いた。鋭いドリブル。相手の反応がコンマ数秒遅れる。抜き去った。目の前にはもうリングしかない。彼女は踏み切り、レイアップシュートを放つ――

その瞬間だった。


視界が、急に暗くなった。

バシィッ!!

乾いた破裂音と共に、手から離れたボールが、真上から叩き落とされた。

背後からカバーに入ってきた、もう一人の長身選手。遥の体ごと押し潰すような、理不尽なまでの高さとパワー。

ボールは無残に床へ叩きつけられ、勢い余った遥もまた、バランスを崩して無様に転がった。見上げれば、相手選手が遥を見下ろしている。

嘲笑っているわけではない。ただ、物理的な「高さ」という絶対的な優位性が、そこには厳然として存在していた。

試合後のミーティング。顧問の言葉が、慰めではなく棘となって胸に突き刺さる。


「一ノ瀬、動きは悪くないぞ。技術はチームで一番だ」

そして、言い淀むように付け加えた。

「あと10センチ……いや、せめて5センチあればな」


自室の6畳間、遥は膝を抱えたまま、顔を埋めて奥歯を噛み締めた。

技術はある。スピードもある。誰よりも練習し、誰よりもバスケを愛している。けれど、身長150センチというリアルは、どれだけの努力を積み重ねても覆せない。それはまるで、生まれた瞬間に足首に嵌められた、見えない鉄球のようだった。

重力。この地球に存在する物理法則そのものが、遥の敵だった。


「……くそっ」

掠れた声が漏れる。目じりに滲んだ涙を、乱暴にジャージの袖で拭った。どれだけ望んでも、どれだけ叫んでも、遺伝子の設計図は、書き換わらない。

この閉塞した6畳間のように、遥の世界は「身体」という檻に閉じ込められていた。


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