『150cmの少女(バグ)が放つ一投は、国家の闇をぶち抜く。 ――仮想バスケで世界を狂わせる『ノイズ』になれ!』 -V.B.L” Virtual Basketball League “ -
蒼井 理人
Initial Sequence:砂上の楼閣と、6畳の宇宙
Node0.1:調和の箱庭
西暦2045年。世界地図の片隅、かつては赤茶けた熱砂と、生命を拒む乾いた風しか存在しなかった不毛の地。そこに人類史上最も静謐で、最も煌びやかな都市が、現実を嘲笑うかのように、まるで巨大な蜃気楼かのように地平に君臨している。
――中東の新興国家、アル=ナジール共和国 (Al-Nazir Republic)
空を突く白亜の摩天楼群は、昼間は容赦ない砂漠の太陽を反射して神々しいまでの輝きを放ち、夜になればホログラムのオーロラを纏って、砂漠の闇に極彩色の夢を描き出す。
都市全体を覆うのは、不可視の巨大な環境シールド。外の世界で砂嵐が轟音を上げて吹き荒れようとも、内側の気温は常に摂氏24度、湿度45%に固定されている。ここでは、汗をかくことさえシステムのエラーに感じる。
かつて、この国には何もなかった。あるのは飢えと、一滴の水を巡って隣人が殺し合う争いと、果てしない絶望だけだった。
しかし十数年前、砂の下深くに眠っていた莫大なレアメタル鉱脈の発見が、この国の運命を一変させた。政府はその資源を枯渇する世界中に輸出し、得られた天文学的な富を、惜しげもなく、たった一つの「システム」の構築に注ぎ込んだのだ。
それが、国家運営メタバース・システム――『HARMONIA(ハルモニア)』―である。
◇ ◇ ◇
午前七時ちょうど。都市区画第4エリア、白を基調とした無駄のない居住ユニットに住む青年、アミールの一日は、柔らかな、しかし無機のささやきな電子音と共に始まる。
目覚めてすぐに、枕元のスマートバイザーを装着する。網膜に淡いブルーのARインターフェースが展開され、心地よい女性の声が、鼓膜ではなく脳の聴覚野へ直接響いた。
『おはようございます、市民コードAN-4029。本日のバイタル、精神安定値(メンタル・スタビリティ)、共に最適値(オプティマル)です』
アミールは小さく安堵の息を吐く。視界の端には、今日の「推奨活動予定(ライフ・スケジュール)」がタイムラインとして表示される。
『本日は、オンサイトワークの日です』
――08:00:IT区画での*データマイニング業務
――12:30:第3公園での休息(推奨時間45分、摂取カロリー600kcal)
――18:00:夕刻礼拝
彼は迷うことなく、そのスケジュールの下にある【承諾(ACCEPT)】のアイコンを視線入力でタップした。
『承認されました。本日も、調和の取れた一日を』
この国には、迷いがない。
今日何をすべきか、何を買うべきか、誰と会うべきか。それらすべてを、全知全能のAI『―HARMONIA―』が、数十億のパラメータ計算の果てに導き出した「最適解」として提示してくれるからだ。
アミールは、バイザー越しに窓の外を見下ろした。
通りを行き交う人々は、まるで目に見えないメトロノームに合わせているかのように、整然としたリズムで歩いている。誰もがスマートバイザーを装着し、リアルと同時進行する“メタバースの世界”、それぞれのアバター――天使の翼や、幾何学模様のオーラなど――を纏いながら、穏やかな微笑みを浮かべている。
そこには、貧困も、格差による妬みも、明日への不安もない。すべてが管理され、すべてが保証されている。
アミールは身支度を整え、街へ出た。通り沿いのマーケットには、色とりどりの果物や最新の*ガジェットが並んでいる。
彼はスタンドで、朝露に濡れた新鮮なオレンジを一つ手に取った。
店主と目を合わせ、軽く会釈をする。財布を取り出す必要はない。そもそも、この国には紙幣も硬貨も、クレジット端末さえ存在しない。
彼がオレンジを手に取った瞬間、バイザーが商品の*RFIDタグを認識し、生体認証と共に政府への「購入申請」が送信される。
『市民AN-4029。ビタミンC摂取の必要性を確認。購入を承認します』
システムが0.01秒で判断を下し、この国独自の仮想通貨〈N-Dinar(エヌ・ディナール)〉が彼のアカウントから引き落とされる。店主のバイザーにも承認通知のグリーンの光が灯り、彼は笑顔で手を振った。
「良い一日を、アミール」
「あなたにも、神の祝福と―HARMONIA―の加護を」
アミールは、オレンジを片手に従事する軍部施設の“VR中央センター”に向かう。
この一連の流れは、呼吸をするようにスムーズだ。
買い物も、給料の受け取りも、慈善活動への寄付さえも、すべてが〈N-Dinar〉という仮想通貨のみで完結する。国際市場からは「異様な監視経済(パノプティコン・エコノミー)」と奇異の目で見られているが、国民にとってこれは、空気のように自然な日常だった。
かつて、パン一つ買うために暴動が起き、紙屑同然のインフレ札束が血塗られた路地を舞った時代を、年長者たちには、それを骨の髄にまで刻み込まれていた。それに比べれば、自分の購買履歴や行動データがすべて政府に閲覧されることなど、あまりに安すぎる代償だった。
この国においての教育は「個人の研鑽」ではなく、システムへの―「最適化プロセス」―として国から提供される。学費という概念は存在せず、すべての子供たちは等しく無償のカリキュラムを享受されるが、その代償としては、初等教育から高等教育に至るまでの全学習ログ、適性検査、さらには無意識下の思考傾向までもが『―HARMONIA―』によって克明に記録・解析される。
そして卒業と同時に下されるのは、最高高等教育機関への進学か、あるいは労働(ワーク)かという絶対的な審判。その瞬間に自らの人生のレールを決定付けられる。
国民の5分の4は、国家の心臓部であるメタバース・システムを維持する―「IT産業」、砂漠の底から富を掘り起こす「レアメタル採掘産業」、そしてその利権を外敵から死守する「軍事産業」へと、歯車の一部として組み込まれていく。そして5分の1の国民は、それら上位市民に安らぎを提供する「サービス産業」―に組み込まれる。
そこには「何になりたいか」という迷いは存在しない。あるのは『―HARMONIA―』が算出した、その個体にとっての―「最も効率的な居場所」―だけだ。国民はそれを、選別の苦しみから解放された「幸福」として、疑いもなく受け入れていた。
街角では、母親が子供を学校へ送り出していた。
母親は空中に浮かぶホログラム・ウィンドウ――『―HARMONIA―』の教育管理ブロックへログインし、今日のカリキュラムを確認する。
『本日は、数学的論理思考と、協調性育成プログラム重点日です。お子様の逸脱可能性予測は0.002%です』
母親は満足そうに頷き、子供の頭を撫でた。
「先生とシステムの言うことをよく聞くのよ」
「うん、わかってる。僕、いい子にするよ。スコアを落としたくないもん」
子供は無邪気に笑い、迎えに来た自動運転のイエローバスへと乗り込んでいく。その笑顔には、一点の曇りもない。
アミールはその光景を眺めながら、胸の奥で温かい、しかしどこか麻薬的な充足感を感じていた。(ここは楽園だ――)
外の世界では、未だに「自由」という名の無秩序が人々を疲弊させていると聞く。自分で悩み、自分で失敗し、誰の助けもなく路頭に迷う。そんな野蛮な世界が、壁の向こうには広がっているらしい。
(――なんて哀れなんだろう)
ここでは、システムに身を委ねさえすれば、誰もが等しく、間違いなく幸福になれるのに。
夕刻。空の色が人工的な美しい茜色に染まる頃、街に低く厳かな鐘の音が響き渡った。
――祈りの時間だ。
通りを歩く人々、カフェで談笑していた若者たち、オフィスで働いていた労働者たちが、一斉に動きを止める。彼らはその場に立ち止まり、あるいは膝をつき、スマートバイザーのモードを切り替えた。
――ログイン:ヴァーチャル大礼拝堂。
リアルの肉体はその場に留まったまま、彼らの意識は広大な“メタバース”のデジタル空間へとダイブする。そこは、黄金に輝く巨大なドームの下。物理的な制約を超えた、無限の空間。数千万の国民のアバターが、一人の欠落もなく整列し、一斉に跪いていた。
リアルの街並みは静まり返り、ただ端末のLEDライトだけが、まるで地上の星々のように規則正しく明滅している。仮想空間に響くのは、システムが生成した完璧な和音による祈りの言葉。人間の喉では決して発声できない、純粋な音の波。
『我らは一つ。意思は一つ。未来は一つ』
アミールもまた、その巨大な集合意識の一部となり、自我が溶けていく震えるほどの陶酔に浸っていた。個を捨て、全体と溶け合う瞬間の安らぎ。そこには孤独も、責任もない。美しく、整然とした国家。管理システムという名の神を除けば、他国の誰もがここを理想郷(ユートピア)と呼びたくなるだろう。
しかし、その「理想郷」を見つめる各国の視線は、決して純粋な羨望だけではなかった。水面下では、主要国首脳による極秘会議が繰り返されている。議題は―「次世代社会管理プロトコル」―について。少子高齢化による労働力不足、拡大する貧富の差、止まらない暴動、そしてSNSによって制御不能となった世論――。そして来るべき、――物理的リアルを凌駕するメタバースの世界。
近代国家が抱えるこれらの「問題」を、民主主義という煩雑な手続きを踏まずに解決する方法はないか。
各国の指導者たちは、その答えを喉から手が出るほど欲していた。
アル=ナジールは、世界にとってただの富裕な新興国ではない。人類をどこまで管理・制御できるかを示す、巨大な―被検証モデル―なのだ。
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