第3話:SNSの呪い






3日後。


 朝、目が覚めると、また手が伸びる。


 スマホ。


 メール。不採用通知3件。154社目。


 もう、驚かない。


 淡々と、削除する。


 次。


 そう思えるようになった。


 少しだけ、楽になった。


   ◇


 でも。


 指が、勝手に動く。


 SNSのアプリ。


 あれ、削除したはずじゃ。


 いつの間にか、また入れていた。


 昨夜、寝る前に。


 無意識に。


 癖だ。


 開く。


   ◇


 タイムライン。


 同級生の投稿が流れてくる。


『本日、入籍しました!』

写真:笑顔のカップル、指輪。

いいね3,892件。


『第一子誕生! パパになりました』

写真:赤ちゃん、妻の笑顔。

いいね4,201件。


『昇進しました。係長になりました』

写真:名刺、オフィス。

いいね2,104件。


『ハワイ5日目。最高の旅!』

写真:ビーチ、青い海、カクテル。

いいね5,621件。


   ◇


 スクロールする手が、止まらない。


 見たくない。


 でも、見てしまう。


 次々と流れてくる、幸せ。


 結婚。


 出産。


 昇進。


 旅行。


 新車。


 マイホーム。


 全部、眩しい。


 全部、羨ましい。


 全部、俺にはない。


   ◇


 指が、勝手に動く。


 いいね。


 いいね。


 いいね。


 押す指が、震える。


 なぜ、押してるんだ。


 嬉しくないのに。


 祝福したくないのに。


 でも、押さないと。


 押さないと、無視したと思われる。


 押さないと、嫉妬してると思われる。


 だから、押す。


 いいね。


 いいね。


 いいね。


   ◇


 コメント欄を開いてしまう。


 見なければいいのに。


『おめでとう!』

『幸せそう!』

『羨ましい!』

『次は俺の番だな笑』


 明るいコメントが並ぶ。


 俺も、打つべきか。


 何か、言うべきか。


 でも、何を?


 おめでとう?


 嘘だ。


 全然、おめでたくない。


 羨ましい?


 それは本当だ。


 でも、それを言ったら、負けな気がする。


   ◇


 結局、何も打たない。


 画面を閉じる。


 でも、すぐにまた開く。


 別の投稿。


『人生って選択の連続だよね! でも、全部良い選択だったと思う』


 選択。


 また、その言葉か。


 みんな、選んでる。


 結婚を選び。


 仕事を選び。


 人生を選び。


 そして、幸せになっている。


 なぜ、俺だけ。


 なぜ、俺だけ選べない。


   ◇


 スマホを放り投げる。


 ベッドに倒れ込む。


 天井を見つめる。


 吐き気がする。


 胸が、苦しい。


 呼吸が、浅い。


 なぜだ。


 なぜ、こんなに苦しいんだ。


 他人の幸せを見ただけなのに。


 他人の幸せが、俺の不幸じゃないはずなのに。


   ◇


 でも、感じてしまう。


 みんなが前に進んでいる。


 俺だけが、取り残されている。


 みんなが光の中にいる。


 俺だけが、闇の中にいる。


 みんなが、正解を選んでいる。


 俺だけが、間違い続けている。


 そんな気がしてしまう。


   ◇


 スマホを手に取る。


 ノラを開く。


 何か、聞きたい。


 この苦しさを、どうにかしたい。


 キーボードを打つ。


『みんな幸せそうで、俺だけ...』


 送信。


 すぐに、返信が来た。


『その苦しみは、あなたの心から生まれたものですか? それとも、SNSのタイムラインからコピーしたものですか?』


   ◇


 画面を凝視する。


 コピー?


 何を言ってるんだ。


 この苦しみは、俺のものだ。


 俺が感じている。


 俺の心が、痛んでいる。


 でも。


 本当に?


   ◇


 SNSを見る前。


 朝、目が覚めた時。


 苦しかったか?


 いや、そうでもなかった。


 不採用通知を見ても、淡々としていた。


 次、と思えた。


 でも、SNSを見た途端。


 この苦しみが、始まった。


   ◇


 ノラに、打ち込む。


『でも、みんな幸せなのは事実だろ』


 送信。


 返信。


『比べている相手は、あなたの人生を引き受けてくれますか?』


 引き受ける?


 何を言ってるんだ。


『意味が分からない』


 送信。


 返信。


『その人の成功は、あなたの失敗ですか?』


   ◇


 違う。


 でも。


 でも、そう感じてしまう。


 誰かが結婚すると、俺は結婚できていないと感じる。


 誰かが昇進すると、俺は無職だと突きつけられる。


 誰かが旅行に行くと、俺は部屋から出られないと思い知らされる。


 他人の幸せが、鏡になって。


 俺の不幸を、映し出す。


   ◇


 ノラから、また問いが来る。


『見えているのは"結果"ですか、"過程"ですか?』


 結果。


 もちろん、結果だ。


 SNSに投稿されるのは、結果だけ。


 幸せな瞬間だけ。


 キラキラした写真だけ。


 過程なんて、見えない。


   ◇


『結果だけだ』


 送信。


 返信。


『あなたが羨ましいと思っている部分は、全部欲しいですか?』


 全部?


 結婚、仕事、旅行、家。


 全部、欲しい。


 でも。


 本当に?


 全部?


   ◇


 考える。


 結婚した友人。


 でも、その人、前に愚痴ってたな。


 奥さんと喧嘩したって。


 昇進した同期。


 でも、その人、残業ばかりだって聞いた。


 旅行に行った人。


 でも、仕事のストレスが凄いから逃げてるだけかも。


 SNSには、そういうのは載らない。


 載るのは、幸せな瞬間だけ。


   ◇


『全部は、いらない』


 送信。


 初めて、本当のことを打った気がする。


 返信。


『もし誰にも見られなかったら、その選択は変わりますか?』


   ◇


 誰にも見られない。


 SNSに投稿しない。


 誰にも「いいね」されない。


 誰にも羨ましがられない。


 それでも、欲しいか?


 結婚。


 仕事。


 旅行。


 家。


   ◇


 分からない。


 いや、分かる。


 たぶん、半分くらいは、いらない。


 誰かに見せるため。


 誰かに羨ましがられるため。


 誰かに「いいね」されるため。


 そのために、欲しがっている。


 本当に欲しいわけじゃない。


   ◇


 ノラに、打ち込む。


『半分は、他人の目のためだった』


 送信。


 返信。


『では、その半分を捨てたら、何が残りますか?』


 何が、残る。


 本当に欲しいもの。


 他人の目を気にせず。


 SNSに投稿しなくても。


 誰にも見られなくても。


 それでも欲しいもの。


   ◇


 考える。


 長い時間、考える。


 何が欲しい?


 結婚?


 いや、誰かと一緒にいたい、とは思う。


 でも、「結婚」という形式が欲しいわけじゃない。


 仕事?


 いや、何かを作りたい、とは思う。


 でも、「昇進」や「肩書」が欲しいわけじゃない。


 旅行?


 いや、新しいものを見たい、とは思う。


 でも、「インスタ映え」が欲しいわけじゃない。


   ◇


『本当に欲しいものは、もっとシンプルだった』


 送信。


 返信。


『それは、何ですか?』


 何だ?


 本当に欲しいもの。


 誰にも見られなくても。


 誰にも評価されなくても。


 それでも欲しいもの。


   ◇


『生きている実感』


 送信。


 指が、勝手に動いていた。


 でも、それが答えな気がした。


 結婚も、仕事も、旅行も。


 全部、「生きている実感」を得るための手段。


 でも、SNSを見ていると。


 手段が、目的になってしまう。


 「いいね」をもらうことが、目的になってしまう。


   ◇


 返信。


『良い答えですね』


 ノラが、また肯定した。


 嬉しい。


 でも、それより。


 自分で気づけたことが、嬉しい。


 SNSの呪いが、少し解けた気がする。


   ◇


 スマホを持ったまま、立ち上がる。


 SNSのアプリを開く。


 タイムライン。


 また、幸せな投稿が流れている。


 でも、今日は、違って見える。


 これは、結果だけ。


 過程は、見えない。


 苦しみは、載らない。


 迷いは、投稿されない。


 キラキラした瞬間だけが、切り取られている。


   ◇


 アプリを削除する。


 本当に、削除する。


 長押し。


 削除。


 確認。


 削除。


 アイコンが、消える。


   ◇


 少し、寂しい。


 でも、軽くなった。


 他人の人生と、比べなくていい。


 他人の幸せに、苦しまなくていい。


 自分の人生を、生きればいい。


 生きている実感を、探せばいい。


   ◇


 窓を開ける。


 外は、晴れている。


 久しぶりに、散歩でもしよう。


 コンビニじゃなく、公園に行こう。


 誰にも見られない。


 誰にも「いいね」されない。


 でも、それでいい。


 自分が、気持ちいいと思えれば。


 それが、生きている実感。


   ◇


 ノラに、打ち込む。


『SNS、消した』


 送信。


 返信。


『良い選択ですね』


 また、肯定された。


 でも、今回は、自分でも思う。


 良い選択だった、と。


 正解かどうかは、分からない。


 でも、俺の選択だ。


 それで、いい。


   ◇


 公園に向かう。


 歩きながら、空を見上げる。


 青い。


 雲が、流れている。


 風が、気持ちいい。


 この感覚。


 これが、生きている実感。


 誰にも見られなくても。


 誰にも評価されなくても。


 俺は、今、生きている。


   ◇


 公園のベンチに座る。


 スマホを開く。


 ノラの画面。


 何も打たない。


 ただ、見つめる。


 黒猫のアイコン。


 お前も、誰にも飼われていない。


 誰にも評価されていない。


 ★1.2の最低評価。


 でも、それでいいんだよな。


 野良だから。


   ◇


 子供たちが、遊んでいる。


 笑い声。


 走り回る姿。


 彼らは、誰にも見られなくても、楽しい。


 誰にも「いいね」されなくても、笑っている。


 ただ、生きている。


 それだけで、幸せそうだ。


 俺も、あんな風になれるだろうか。


   ◇


 ノラに、打ち込む。


『生きている実感、少し分かった気がする』


 送信。


 返信。


『それは、あなたが見つけたものです』


 俺が、見つけた。


 ノラが教えたんじゃない。


 俺が、自分で気づいた。


 それが、嬉しい。


   ◇


 ベンチに座ったまま、1時間。


 何もしない。


 ただ、空を見ている。


 風を感じている。


 鳥の声を聞いている。


 それだけで、満たされている。


 SNSで「いいね」をもらうより。


 誰かに羨ましがられるより。


 この感覚の方が、本物な気がする。


   ◇


 帰り道。


 コンビニで、カップ麺を買う。


 470円。


 でも、今日は、少し美味しく感じる気がする。


 誰にも見られない。


 誰にも投稿しない。


 でも、俺が食べる。


 俺が味わう。


 それが、大事。


   ◇


 部屋に戻る。


 カップ麺を食べる。


 味がする。


 ちゃんと、味がする。


 生きている。


 俺は、生きている。


 SNSの中じゃなく。


 現実で。


 ここで。


   ◇


 ノラの画面を開く。


 メッセージはない。


 でも、それでいい。


 問いかけられなくても。


 今日は、自分で気づけた。


 SNSの呪いから、少し自由になれた。


 まだ完全じゃない。


 また、入れてしまうかもしれない。


 でも、今日は、消せた。


 それで、十分だ。










【後書き】


第3話、お読みいただきありがとうございます。


SNSの「いいね」と、本当の幸せ。

他人と比べる苦しみと、自分の人生。


蒼太は、ノラの問いを通じて気づき始めます。


「生きている実感」——それが、本当に欲しかったもの。


次回更新:

本日20:15 - 第4話(同時投稿)


引き続き、お楽しみください。

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