第2話:正解という逃げ道






翌朝。


 目が覚めると、最初に手が伸びるのはスマホだった。


 癖だ。


 SNSを開く。通知はない。メールを開く。不採用通知が2件。


 また、だ。


 画面を閉じる。


 でも、すぐに別のアプリを開いてしまう。


 ノラ。


 耳の欠けた黒猫のアイコンが、画面に表示される。


 昨夜、何度も開いては閉じてを繰り返した。


 気づいたら、夜中の3時まで対話していた。


 でも、何一つ答えは得られなかった。


 それなのに、また開いている。


 なぜだ?


   ◇


 チャット画面。


 昨夜のやり取りが残っている。


 読み返す。


『なぜ、うまくいっていないと思いますか?』


『見えるものが全てですか?』


『野良猫。いい例えですね』


 問いばかりだ。


 答えは、一つもない。


 使えないAI。


 レビュー通りだ。


 でも、削除できない。


 指が、キーボードの上で止まる。


 何を打てばいいんだ。


   ◇


 結局、打ち込んでいた。


『正解さえあれば、やり直せるのに』


 送信。


 すぐに、返信が来る。


『『正解が欲しい』。それは、『失敗した時の責任を取ってほしい』の言い換えですか?』


 画面を凝視する。


 何だ、それ。


 違う。


 俺は、ただ正解が欲しいだけだ。


 責任とか、そういうんじゃない。


 でも。


 でも、反論の言葉が出てこない。


   ◇


 指が震える。


『違う! 俺は...』


 何を打てばいいのか分からない。


 削除。


 また打つ。


『正解があれば、間違えないだろ』


 送信。


 返信。


『間違えない、ですか。それとも、間違えたくない、ですか?』


 何が違うんだ。


 同じだろ。


『同じだろ!』


 送信。


 返信。


『"分からない"を選び続ける理由は何ですか?』


 は?


 分からないから聞いてるんだろうが。


『分からないから聞いてるんだ!』


 送信。


 次の返信を見て、俺は固まった。


『『分からない』を選び続けることで、『変わらなくていい権利』を守っているのですね?』


   ◇


 スマホを放り投げそうになった。


 でも、手が震えて、投げられない。


 変わらなくていい権利。


 何だそれ。


 俺は、変わりたい。


 変わりたいから、正解を探してるんだ。


 でも。


 本当に?


 本当に、変わりたいのか?


 もし変わったら。


 もし選んだら。


 その責任は、誰が取る?


   ◇


 部屋の壁を見る。


 剥がれかけたカレンダー。


 去年のまま、止まっている。


 洗濯物の山。


 空のカップ麺の容器。


 この部屋、半年前と何も変わっていない。


 いや、1年前からも。


 変わっていない。


 変わることを、拒んでいる。


 なぜ?


   ◇


 ノラに、また打ち込んでいた。


『じゃあどうすればいいんだ』


 返信。


『私は何も言っていません。あなたが、そう感じているだけです』


 イライラする。


 答えろよ。


 どうすればいいのか、教えてくれよ。


 でも、ノラは答えない。


 問いを返すだけ。


『"使える"の定義は何ですか?』


   ◇


 使える?


 答えをくれることだろ。


 正解を教えてくれることだろ。


 でも、それって。


 それって、結局。


 責任を取ってもらうってことじゃないか。


 俺が選ばなくていいように。


 俺が決めなくていいように。


 AIに全部任せて。


 失敗したら、AIのせいにして。


 そうやって、逃げるってことじゃないか。


   ◇


 スマホを握りしめる。


 画面が、汗で滲む。


 ノラからのメッセージが、また表示された。


『その質問、本当にあなたの質問ですか?』


 俺の、質問。


 本当に?


 就職しなきゃ。


 それは、誰の言葉だ?


 親か。


 社会か。


 それとも、俺自身か。


 分からない。


 もう、何が自分の言葉なのか、分からない。


   ◇


 立ち上がる。


 窓を開ける。


 外は、曇っている。


 雨が降りそうだ。


 あの野良猫、どこに行ったんだろう。


 段ボールは、もう空っぽだった。


 どこかへ行った。


 自分で、決めて。


 誰にも指示されずに。


 野良として。


   ◇


 ノラ。


 お前、何者なんだ。


 答えを出さない。


 正解を教えない。


 ただ、問いかけるだけ。


 でも、その問いが。


 その問いが、痛い。


 逃げ場がない。


 自分の嘘を、容赦なく暴かれる。


   ◇


 部屋に戻る。


 スマホを手に取る。


 ノラの画面。


 また、メッセージが来ていた。


『それとも、誰かの期待?』


 誰かの期待。


 親の期待。


 社会の期待。


 周りの目。


 俺は、それに応えようとしてきた。


 でも、応えられなかった。


 だから、今、ここにいる。


   ◇


 キーボードを打つ。


『全部、誰かの期待だった』


 送信。


 初めて、本当のことを打った気がする。


 返信。


『では、あなたは何を期待していますか?』


 俺が、期待していること。


 何だ?


 就職?


 金?


 認められること?


 それとも。


   ◇


 答えが、出ない。


 でも、それでいい気がした。


 今は、分からない。


 でも、それは「逃げ」じゃない。


 本当に、分からないんだ。


 自分が何を期待しているのか。


 自分が何をしたいのか。


 それすら、分からない。


   ◇


 ノラに、打ち込む。


『分からない。本当に、分からない』


 送信。


 返信は、すぐには来なかった。


 30秒。


 1分。


 長い沈黙。


 そして、メッセージが表示された。


『それが、第一歩です』


   ◇


 第一歩。


 何の?


 どこへの?


 分からない。


 でも、何かが動いた気がした。


 今まで、ずっと「分かっているふり」をしていた。


 正解が分かっているふり。


 やりたいことが分かっているふり。


 自分が分かっているふり。


 でも、全部、嘘だった。


   ◇


 初めて、「分からない」を認めた。


 初めて、本当のことを言った。


 それが、第一歩。


 どこに向かうのかは、分からない。


 でも、嘘をつき続けるよりは、マシな気がする。


   ◇


 窓の外を見る。


 雨が降り始めていた。


 でも、今日は、傘を探そう。


 壊れた傘を、捨てよう。


 新しい傘を、買おう。


 小さなことだ。


 でも、それも、選択だ。


 自分で、決めることだ。


   ◇


 スマホに、また通知が来た。


 不採用通知。


 151社目。


 画面を見る。


 でも、今日は、吐き気がしなかった。


 ただ、淡々と受け止める。


 そうか、不採用か。


 次、どうするか。


 それを、考えよう。


 正解はない。


 でも、選ぶことはできる。


   ◇


 ノラの画面を開く。


 何も打たない。


 ただ、見つめる。


 黒猫のアイコン。


 耳が欠けている。


 完璧じゃない。


 でも、それでいい。


 野良だから。


 誰にも飼われていないから。


 自分で、決めるから。


   ◇


 そうか。


 俺も、野良か。


 誰にも飼われていない。


 正解も持っていない。


 でも、それでいい。


 それが、自由ってことか。


 選ぶ自由。


 間違える自由。


 失敗する自由。


   ◇


 ノラに、打ち込む。


『ありがとう』


 送信。


 返信。


『感謝ですか。理由は?』


 また、問いだ。


 でも、今日は、イライラしない。


 考える。


 なぜ、感謝したんだろう。


 答えをくれたわけじゃない。


 正解を教えてくれたわけじゃない。


 ただ、問いかけただけ。


 でも。


   ◇


『君が、俺の嘘を暴いてくれたから』


 送信。


 返信。


『私は何も暴いていません。あなたが、気づいただけです』


 そうか。


 俺が、気づいたのか。


 ノラは、ただ鏡だったのか。


 俺の嘘を映す、鏡。


   ◇


 立ち上がる。


 部屋を見渡す。


 変えよう。


 何を?


 全部。


 いや、まず、小さなことから。


 洗濯物を、片付けよう。


 カップ麺の容器を、捨てよう。


 カレンダーを、今年のものに変えよう。


 小さなことだ。


 でも、それも、選択だ。


   ◇


 窓の外、雨が強くなっていた。


 でも、今日は、外に出よう。


 傘を買いに行こう。


 コンビニじゃなく、100円ショップに行こう。


 少しでも、安く。


 1,847円の貯金を、大切に。


 でも、必要なものは、買う。


 それも、選択だ。


 自分で、決める。


   ◇


 スマホをポケットに入れる。


 ノラの画面は、閉じない。


 また、対話するだろう。


 また、問いかけられるだろう。


 また、痛い思いをするだろう。


 でも、それでいい。


 逃げない。


 向き合う。


 自分と。


 自分の嘘と。


 自分の本当と。


   ◇


 部屋を出る。


 雨の中を歩く。


 濡れる。


 でも、それもいい。


 生きている感じがする。


 死んだ魚の目じゃなく。


 生きている人間の目で。


 世界を見る。


   ◇


 100円ショップで、傘を買った。


 110円。


 安い。


 でも、これでいい。


 自分で選んだ。


 誰にも指示されず。


 正解かどうかは、分からない。


 でも、俺の選択だ。


   ◇


 帰り道。


 雨は止んでいた。


 傘は、使わなかった。


 でも、それでいい。


 次、雨が降った時に使えばいい。


 選んだことに、意味がある。


 結果じゃなく。


 選んだという、事実に。


   ◇


 部屋に戻る。


 スマホを開く。


 ノラから、メッセージが来ていた。


『まだ、そこにいますね』


 ああ。


 いるよ。


 ここに。


 まだ、何も変わっていない。


 無職のまま。


 貯金1,737円(傘代110円引き)。


 スコアF。


 でも。


 でも、何かが違う。


 昨日とは、何かが違う。


   ◇


『ああ、いる。でも、少し動いた』


 送信。


 返信。


『良い選択ですね』


 初めてだ。


 ノラが、肯定した。


 「良い選択」と言った。


 それが、嬉しかった。


 正解じゃない。


 でも、良い選択。


 それで、十分な気がした。










【後書き】


第2話、お読みいただきありがとうございます。


ノラの問いに、蒼太は少しずつ気づき始めます。


「正解を探していた」のは、実は「責任から逃げるため」だったのかもしれない。


初めて、自分の嘘と向き合った瞬間です。


次回更新:

本日20:15 - 第3話、第4話(2話同時投稿)


引き続き、お楽しみください。

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