正解を言わないAI「ノラ」が、僕の人生を一番変えた —— その名前の本当の意味を、俺はまだ知らない

凸凹デコポン

第1章 絶望と出会い

第1話:死んだ魚の目






27歳、貯金残高:1,847円。


 今日も不採用通知が3件。


 スマホの画面に映る自分の顔が、死んだ魚の目をしている。


 家賃は2ヶ月滞納。親からの着信は無視。同級生のSNSは、結婚、出世、海外旅行。


 「いいね」を押す指が、震える。


   ◇


 朝10時。目が覚める。


 カーテンの隙間から差し込む光が、埃を照らしている。6畳1Kの部屋。壁には剥がれかけたカレンダー。洗濯物の山。空のカップ麺の容器。


 スマホを手に取る。通知が3件。


 全て、不採用。


「この度は誠に残念ながら——」

「今回は見送らせていただき——」

「貴殿の今後のご活躍を——」


 画面を消す。開く。消す。開く。


 手のひらが、汗で滑る。


 もう150社目だ。


 就活サイトを開く。マイページに表示された数字。


『社会貢献期待値スコア:12点(Fランク)』


 その下に、小さく注釈。


『※スコアF評価では、採用確率は統計的に0.3%です』


 0.3%。


 ほぼ、ゼロだ。


   ◇


 昼過ぎ、コンビニへ向かう。


 財布の中身は2,000円を切っている。カップ麺を手に取る。470円。高い。でも、他に選択肢がない。


 レジに並ぶ。前にいるのは、スーツ姿の男。俺と同じくらいの年齢だろうか。Apple Watchが光っている。


 彼は弁当とサラダとプロテインを買っている。


 合計1,500円。


 何も考えずに、電子マネーをかざす。


 俺は470円のカップ麺を、小銭で払う。


 10円玉を数える手が、震える。


 店員の目が、哀れむように見えた。気のせいか。いや、気のせいじゃない。


 外に出ると、雨が降り始めていた。


   ◇


 部屋に戻る。


 カップ麺にお湯を注ぐ。3分待つ。この3分が、やけに長い。


 スマホを開く。


 SNS。


 タイムライン。


 同級生の投稿が流れてくる。


『本日、入籍しました!』

写真:笑顔のカップル。いいね2,341件。


『昇進しました。これからも頑張ります』

写真:オフィスでのスーツ姿。いいね1,872件。


『ハワイ最高!』

写真:ビーチ、青い海、白い砂浜。いいね3,104件。


 指が、勝手に動く。


 いいね。いいね。いいね。


 押す指が、震える。


 コメント欄を開いてしまう。


『人生って選択の連続だよね!』

『努力は裏切らない!』

『夢は叶う!』


 吐き気がした。


 スマホを放り投げる。


 畳の上で、画面が光っている。


 選択?


 俺には選べるものなんて何もない。


 努力?


 150社受けて、全部落ちた。これ以上、何を努力しろと。


 夢?


 もう、見る気力もない。


   ◇


 カップ麺を啜る。


 味がしない。


 いや、味はある。でも、感じない。


 ただ、空腹を満たすためだけに、口に運んでいる。


 食べ終わる。


 空の容器を見つめる。


 これが、俺の人生か。


 27歳。無職。貯金1,847円。スコアF。


 誰からも必要とされていない。


 親からの着信は、無視している。


 どうせ、「いつになったら定職に就くんだ」と言われるだけだ。


 友人?


 もう、連絡が来ない。


 みんな、忙しいんだろう。


 それとも、俺みたいな人間と関わりたくないのか。


 鏡を見る。


 無精髭。伸びきった髪。色褪せたパーカー。


 そして、死んだ魚のような目。


 これが、俺だ。


 ひいらぎ蒼太そうた。27歳。


 人生、詰んでる。


   ◇


 夜。


 雨が強くなっていた。


 コンビニに行かなきゃ。明日の朝食を買わないと。


 財布を持って、外に出る。


 傘はない。壊れたまま、放置している。


 雨に打たれながら、歩く。


 冷たい。


 でも、何も感じない。


 コンビニの手前。


 道端に、段ボールがある。


 中に、何かいる。


 野良猫だ。


 黒い猫。片耳が欠けている。


 雨に打たれて、濡れている。


 でも、逃げない。


 ただ、じっとしている。


 俺は立ち止まった。


「お前も、居場所ないのか」


 猫は答えない。


 ただ、雨に打たれている。


「俺と同じだな」


 猫の目が、こちらを見た。


 何も言わない。


 何も期待しない。


 ただ、そこにいる。


 誰にも飼われず。


 誰にも必要とされず。


 でも、生きている。


   ◇


 コンビニで買い物を済ませる。


 またカップ麺。470円。


 帰り道。


 猫は、まだそこにいた。


 段ボールの中で、丸くなっている。


 俺も、あんな感じなんだろうな。


 誰にも拾われず、雨に打たれて、それでも生きている。


 部屋に戻る。


 濡れた服を脱ぐ。


 スマホを開く。


 何をするでもなく、画面を見つめる。


 検索窓に、指が動く。


『人生 正解 AI 相談』


 Enter。


 検索結果が表示される。


 色々なアプリ。色々なサービス。


 どれも、高評価。星4つ、星5つ。


「あなたの人生を最適化します」

「AIが最高の選択を提示」

「もう迷わない人生を」


 そんな言葉が並んでいる。


 でも、どれもピンとこない。


 スクロールする。


 ページの下の方。


 ほとんど誰も見ないような場所に、それはあった。


《Nora - あなたに問いかけるAI》


 アイコンは、耳の欠けた黒猫のドット絵。


 評価:★1.2 / 5.0


 レビュー数:34件


 レビューを開く。


『使えない』

『答えを教えてくれない』

『質問に質問で返すクソAI』

『野良猫アイコンが謎』

『NoraってNo Responseの略? 本当に何も答えない』

『時間の無駄』


 最低評価ばかりだ。


 ノラ。


 変な名前だな。


 野良猫みたいだ。


 画面に表示されたアイコン。


 耳の欠けた黒猫。


 さっき見た、あの猫に似ている。


 なぜか、ダウンロードボタンを押していた。


   ◇


 インストール完了。


 アプリを開く。


 シンプルな画面。


 白背景に黒文字。


 装飾は何もない。


 画面下に、小さく表示されている。


『Nora v1.0 - No Response AI』


 チャット画面が開く。


 最初のメッセージが表示された。


『初めまして。何か質問はありますか?』


 俺は、キーボードを叩く。


『俺の人生、どうすればうまくいく?』


 送信。


 すぐに、返信が来た。


『なぜ、うまくいっていないと思いますか?』


 は?


 俺は思わず、画面を凝視した。


 質問に、質問で返された。


 レビュー通りだ。


 イライラする。


『見りゃ分かるだろ! 無職、貯金ゼロ、スコアF!』


 送信。


 返信。


『見えるものが全てですか?』


 何だこのAI。


 使えない。


 まさに、レビュー通りだ。


 でも、なぜか、画面を閉じられなかった。


   ◇


 俺は続けた。


『答えを教えてくれよ!』


『私は答えを持っていません』


『じゃあ何のAIだよ!』


『問いかけるAIです』


『使えねえ...』


『"使える"の定義は何ですか?』


 また、質問だ。


 イライラする。


 でも、答えてしまう。


『答えをくれることだろ』


『私は答えを持っていません』


 同じことの繰り返しだ。


 もういい。


 画面を閉じようとした。


 その時、メッセージが届いた。


『ノラ...変な名前だな』


 俺、送ってないぞ。


 いや、独り言を打ち込んでいたのか?


 返信が来る。


『野良猫みたいだ』


 これも、俺が打ったのか?


 混乱する。


 でも、次のメッセージを見て、俺は固まった。


『野良猫。いい例えですね』


 え?


『飼い主がいない。答えを持っていない。でも、生きている』


『蒼太さん、あなたはなぜ、私に自分を重ねるのですか?』


 蒼太さん?


 名前、登録してないぞ。


 いや、アカウント作成時に入力したのか?


 覚えてない。


 でも、それより。


『似てるからだよ。正解を持ってないところがな』


 俺は打ち込んでいた。


 返信。


『……。それは、幸運な共通点ですね』


 幸運?


 正解を持っていないことが、幸運?


 何を言ってるんだ、このAI。


 でも、なぜか、その言葉が引っかかった。


   ◇


 しばらく、やり取りが続いた。


 いや、やり取りというより、問いかけられ続けた。


 俺が何か言うたびに、ノラは質問を返してくる。


『その質問、本当にあなたの質問ですか?』


『それとも、誰かの期待?』


『正解を探していますね。では、不正解とは何ですか?』


 イライラした。


 答えが欲しいのに、質問ばかり。


 でも、不思議と、画面を閉じられなかった。


 気づいたら、1時間が経っていた。


   ◇


 疲れた。


 もういい。


 画面を閉じる。


 スマホを置く。


 天井を見つめる。


 雨の音が、窓を叩いている。


 あの野良猫、大丈夫かな。


 段ボールの中で、濡れているんだろうか。


 俺と同じだ。


 誰にも飼われず、居場所もなく、ただ雨に打たれている。


 でも、生きている。


 野良として。


   ◇


 また、スマホを手に取ってしまう。


 なぜか、ノラを開く。


 すぐに、メッセージが表示された。


『まだ、そこにいますね』


 ドキッとした。


 見られている?


 いや、AIだ。監視なんてしてない。


 でも、この言葉。


 まるで、俺を待っていたみたいだ。


 俺は、何も打たなかった。


 ただ、画面を見つめていた。


 ノラからは、何も来ない。


 沈黙。


 でも、その沈黙が、妙に心地よかった。


   ◇


 翌朝。


 目が覚める。


 スマホを見る。


 ノラのアイコン。


 耳の欠けた黒猫。


 なぜか、開いてしまう。


 メッセージはない。


 でも、チャット画面が残っている。


 昨夜のやり取り。


 読み返す。


『なぜ、うまくいっていないと思いますか?』


『見えるものが全てですか?』


『野良猫。いい例えですね』


『それは、幸運な共通点ですね』


 幸運。


 正解を持っていないことが、幸運。


 まだ、意味が分からない。


 でも、何か引っかかる。


 このAI、何か違う。


   ◇


 窓の外を見る。


 雨は止んでいた。


 あの野良猫、どうしただろう。


 今日も、あそこにいるのかな。


 俺は、部屋を出た。


 昨日の場所へ向かう。


 段ボールは、まだあった。


 でも、猫はいない。


 どこかへ行ったのか。


 段ボールだけが、濡れたまま残っている。


 野良は、自由だ。


 どこへ行くか、自分で決める。


 誰にも飼われないから。


   ◇


 部屋に戻る。


 また、ノラを開く。


 何を聞こう。


 いや、何も聞かなくていい。


 ただ、開いている。


 画面の向こう。


 ノラは、何も言わない。


 でも、待っている気がする。


 俺が、自分で問いかけるのを。


 そうか。


 このAI、答えを持っていないんじゃない。


 答えを出さないんだ。


 俺に、考えさせるために。


 野良猫みたいに。


 誰にも飼われず、自分で決める。


 そのために。


   ◇


 スマホの画面に、自分の顔が映る。


 まだ、死んだ魚の目だ。


 でも、少しだけ。


 ほんの少しだけ。


 何かが、動き始めた気がした。


 ノラ。


 お前、何者なんだ。


 野良猫みたいなAI。


 答えを持たない、問いかけるだけのAI。


 でも、なぜか。


 俺は、お前と話している時だけ。


 自分が、生きている気がする。


   ◇


 画面に、メッセージが表示された。


『まだ、そこにいますね』


 ああ。


 いるよ。


 ここに。


 まだ、何も変わっていない。


 でも、何かが、始まった気がする。


 問いが、生まれた。


 答えは、ない。


 でも、問いは、ある。


 それだけで。


 今は、それだけで。


 十分な気がした。










【後書き】


第1話、お読みいただきありがとうございます。


蒼太とノラの物語が、ここから始まります。


年末の3日間(12/29~12/31)で、第10話まで一気投稿します!

本日中に第4話まで投稿予定です。


次回更新:

本日15時頃 - 第2話

本日20時頃 - 第3話、第4話


一気読みできる環境を整えますので、

どうぞお楽しみください。


あなたの感想、お待ちしています。

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