【五】世俗化した終末——イデオロギーと陰謀論
終末予言は死んだのか。
近代化とともに宗教の力が衰え、科学的世界観が広まった。天使のラッパも、最後の審判も、もはや文字通りには信じられていない——少なくとも、かつてほどには。
しかし、終末論は消えなかった。
形を変えて生き延びたのである。
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宗教から政治へ。神話からイデオロギーへ。
終末論の世俗化は、一九世紀から二〇世紀にかけて進行した。
最も純粋な形で終末論を継承したのは、意外にも、無神論を掲げた思想だった。
マルクス主義である。
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マルクスの歴史観を、終末論の構造と並べてみよう。
原始共産制——人類の「エデンの園」。私有財産がなく、搾取もない原初の状態。
私有財産の発生——「堕落」。階級が生まれ、人間が人間を支配するようになった。
資本主義の矛盾激化——「終末の徴」。貧富の差は拡大し、恐慌は繰り返され、労働者の困窮は深まる。
革命——「最後の審判」。プロレタリアートが蜂起し、ブルジョワジーを打倒する。歴史の決算。
プロレタリア独裁——「千年王国」。過渡期の支配。旧体制の残滓を一掃する。
国家の死滅——「新しいエルサレム」。階級が消滅し、国家も不要になり、真の共産主義社会が到来する。
構造は驚くほど似ている。
楽園、堕落、苦難、審判、過渡期、そして理想郷。
直線的な歴史観。必然的な終末。選ばれた者(プロレタリアート)による救済。
マルクス自身は宗教を「阿片」と呼び、唯物論を掲げた。しかし彼の思想は、ヘーゲルを経由して、キリスト教的歴史観を世俗化したものだった。神の国を地上に引き下ろし、天使を労働者に、サタンを資本家に置き換えた。
終末論は、革命論として生まれ変わったのである。
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注目すべきは、この世俗的終末論が広まった地域である。
ソ連、東欧、そして中国——いずれも、キリスト教(あるいは一神教的発想)の影響を受けた、あるいは受け入れる土壌があった地域だった。
もちろん、共産主義の普及には経済的・政治的要因がある。帝政ロシアの矛盾、第一次大戦後の混乱、植民地支配への抵抗。しかし、なぜこの特定の思想が、これほど広範に受け入れられたのか。
一つの要因として、終末論的思考への親和性が考えられる。
直線的な歴史観。善悪二元論。必然的な救済への確信。これらは、キリスト教文化圏で長く培われてきた思考様式だった。共産主義は、その様式に乗ることで、宗教に代わる「信仰」として機能したのである。
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資本主義の側にも、終末論はある。
ただし、その形はやや異なる。
フランシス・フクヤマは一九八九年、「歴史の終わり」を宣言した。
冷戦の終結とともに、自由民主主義と市場経済が最終的な勝利を収めた。これ以上の歴史的発展はない。人類は到達すべき場所に到達した——と。
これは楽観的な終末論である。
審判はすでに終わった。われわれは勝った側にいる。歴史は完了した。
共産主義の終末論が「来たるべき革命」を語ったのに対し、フクヤマの終末論は「すでに到来した理想」を語った。未来の千年王国ではなく、現在の千年王国。
もっとも、フクヤマ自身は後に自説を修正している。歴史は終わっていなかった。しかし、九〇年代の一時期、この終末論が西側世界を覆ったことは事実である。
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もう一つの資本主義的終末論は、技術に由来する。
「シンギュラリティ」である。
人工知能が人間の知能を超える瞬間。その後、AIは自己改良を繰り返し、人間には予測も制御もできない速度で進化する。人類の歴史は、根本的に変わる。
これを「技術的特異点」と呼ぶ。
シンギュラリティ論には、楽観版と悲観版がある。
楽観版では、AIが人類の問題をすべて解決する。病気、貧困、環境問題。人間は労働から解放され、創造的な活動に専念できる。不老不死すら視野に入る。——技術による楽園。
悲観版では、AIが人類を滅ぼす。あるいは支配する。人間は、より高次の知性にとっての「害虫」か「ペット」になる。——技術による終末。
いずれにせよ、「その後」は予測不可能である。人間の時代が終わり、何か別のものが始まる。
これは審判型でも循環型でもない、新しい類型の終末論かもしれない。超越的な「神」の代わりに、超越的な「知性」が登場する。神の審判ではなく、AIの判断。
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さて、ここまでは知識人やイデオローグが語る終末論だった。
しかし現代には、もう一つの終末論がある。
草の根から湧き上がる、民主化された終末予言。
陰謀論である。
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二〇一七年、アメリカのインターネット掲示板に、奇妙な投稿が現れた。
投稿者は「Q」と名乗った。米政府の高官であり、最高機密へのアクセス権を持つ、と主張した。
Qによれば、世界は「ディープステート」と呼ばれる秘密結社に支配されている。この組織は悪魔崇拝的な儀式を行い、児童の人身売買に関与している。ハリウッドのセレブ、民主党の政治家、グローバル企業の経営者たち——彼らは表向きの顔の裏で、おぞましい陰謀を企んでいる。
しかし希望はある。ドナルド・トランプ大統領は、このディープステートと戦っている。やがて「嵐」が来る。大量逮捕が行われ、悪は裁かれ、真実が明らかになる。そして「大いなる覚醒」が訪れる——。
これがQアノンである。
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Qアノンの構造を、古典的な終末予言と比べてみよう。
悪の勢力——かつてはサタン、反キリスト。今はディープステート、グローバリスト。
終末の徴——かつては天変地異。今はパンデミック、経済危機、気象異変。
選ばれた者——かつては信仰深いキリスト者。今は「目覚めた」者、真実を知る者。
審判の日——かつては最後の審判。今は「嵐」、大量逮捕。
千年王国——かつては神の国。今はトランプ政権下の理想社会。
構造は同じである。
悪が世界を支配している。しかし選ばれた者だけが真実を知っている。やがて審判が来て、悪は滅び、正義が実現する。
陰謀論は、世俗化した終末予言なのである。
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なぜ陰謀論は広まるのか。
終末予言が満たしていた心理的機能を、陰謀論が代替しているからである。
意味の付与——世界は混沌としている。なぜ不況が起きるのか、なぜ疫病が流行するのか、なぜ自分の人生はうまくいかないのか。陰謀論は答えを与える。それは偶然ではなく、「彼ら」の計画なのだ、と。混沌に秩序を、無意味に意味を与える。
コミュニティの形成——「目覚めた者」たちは連帯する。真実を知らない「羊」たちとは違う、特別な存在として。かつて教会が提供していた帰属意識を、陰謀論コミュニティが提供する。
正義への渇望——世界は不公正である。しかし、いつか正義は実現する。悪は裁かれる。「嵐」が来る。この確信は、現状への不満を昇華させる。
これらは、終末予言がかつて果たしていた機能と同じである。
宗教が後退した場所に、陰謀論が入り込んだのだ。
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Qアノンは日本にも波及した。
2020年頃、「QAJF(Q Army Japan Flynn)」が活動を始めた。アメリカのQアノンを日本語で紹介し、日本の文脈に翻訳した。
2021年には「神真都Q(やまとQ)」が形成された。Qアノンの陰謀論に、反ワクチン運動とスピリチュアリティが融合した。LINEのオープンチャットには約13000人が登録し、全国規模のデモには約6000人が動員された。一部はワクチン接種会場への妨害活動にまで及んだ。
「コンスピリチュアリティ」という造語がある。Conspiracy(陰謀論)とSpirituality(霊性)の合成語だ。
陰謀論とスピリチュアリティは、一見すると異質に見える。しかし両者には共通点がある。
「目に見えない真実がある」という確信。「普通の人には見えないものが、私には見える」という特権意識。科学や専門家への不信。直感や「気づき」の重視。
この親和性ゆえに、陰謀論とスピリチュアリティは容易に融合する。そして融合したとき、その信念は二重に強化される。
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陰謀論の厄介さは、その閉鎖性にある。
専門家が反論する。「それは事実ではない」と。
しかし陰謀論者はこう答える。「専門家も陰謀の一部だ」と。
証拠を示す。「これが真実だ」と。
しかし陰謀論者はこう答える。「それこそが偽情報だ。本当の証拠は隠されている」と。
反証が不可能な構造。批判すればするほど、「やはり陰謀はある」という確信が強まる。
これは信仰と同じ構造である。そして終末予言と同じ構造でもある。
終末予言が外れても、信者は離れなかった。「計算が間違っていた」「神が猶予を与えた」と解釈し、信仰を維持した。
陰謀論も同じである。「嵐」が来なくても、信者は離れない。「まだ準備中だ」「ディープステートが妨害している」と解釈し、信念を維持する。
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ここまで見てきたように、終末論は宗教の専売特許ではなくなった。
共産主義は革命として終末を語った。
資本主義は「歴史の終わり」として、あるいは「シンギュラリティ」として終末を語る。
陰謀論は「嵐」として終末を語る。
形は変わった。しかし構造は残っている。
「今の世界は間違っている」「しかし変革は来る」「そのとき、すべてが正される」。
この三段論法は、ゾロアスター教から現代の陰謀論まで、四千年にわたって繰り返されてきた。
なぜか。
人間が絶望するからである。
現状に耐えられないとき、人は「別の秩序」を夢見る。神による審判でも、革命でも、AIによる変革でも、「嵐」でも——何でもいい、今とは違う何かを。
終末予言は、絶望の器なのである。
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しかし、現代の終末論には、かつてとは異なる特徴がある。
かつて、終末は「神が起こすもの」だった。人間は受動的に待つしかなかった。
しかし現代では、終末は「人間が起こしうるもの」になった。
核戦争。気候変動。AI暴走。生物兵器。
これらは神話ではない。現実の脅威である。
そして、これらの脅威は、終末への「予感」によって増幅される。
次章では、この「予算化される終末」——終末の予感が終末を準備するという、現代に固有の構造を見ていく。
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